COLUMN

おかえり、NAOKO!!~けんかをやめて奈保子を語ろう。

特別回 伊東秀雄さんエッセイを先行して発表!!

今回は写真集発売週特別企画として、写真集に掲載される、当時河合奈保子さんを「平凡」で担当していた伊東秀雄さんのエッセイを先行して発表!! 今回発掘された写真のなかでも目玉中の目玉の写真がいかに作成されたかがわかる貴重な話です。刮目して見よ! なお、この写真はポスター販売の1枚です。とてもいい写真ですので、ぜひご購入を!!

偶然というドラマ。
河合奈保子の引き寄せる魅力。

伊東秀雄

デビュー間もない河合奈保子さんを担当したのは、今から36年前のこと。  その頃は今と違って、携帯電話もないしインターネットもない。もちろんタレントが発信するブログなんていう便利なものも存在していない。だから雑誌はテレビ以上に、タレントとファンをつなぐ大切なツールだった。その重要性はたぶん、今とは比べ物にならなかったと思う。
 編集者もタレントも、ファンにどんな形で情報を発信するか、必死だった。毎号の企画に関して、タレント本人とも様々な打合せをした。河合奈保子さんも例外ではなかった。いや、誰よりも協力的で、何より、彼女には「偶然を引き寄せる」不思議な力があった。
column6_1  あれは1982年の1月。前の年の秋に腰椎を骨折していた彼女を連れて、オーストラリアロケに向かった。「平凡」の独占取材だった。まだコルセットをしていた彼女は、グレート・バリア・リーフの雄大な風景を前にして何かから解き放たれたような自然な表情を浮かべた。「いいものができる!」私とカメラマンは闘志を燃やした。
 まずはロケハンだ。海岸線を歩く。すぐに打ち捨てられた白い錨を発見。まさに奈保子の撮影のためにセットされたよう。翌日、彼女には「これ、昨日徹夜で白いペンキを塗ったんだよ」と小さな嘘をついて撮影にのぞんだ。私の嘘に気づいていたのかどうなのか、とにかく彼女は、これまでにない突き抜けた表現をしてくれた。この写真集にも収められているあの夕景の1枚である。
 当時、グレート・バリア・リーフには日本人観光客などほとんどいなかった。きっと彼女はオーストラリアという土地に強烈な印象を受け、それがめぐりめぐって、決して忘れることができない大切な場所になっていたのだろう。
 オーストラリアに住むキッカケは、あのときの撮影の思い出があったのかどうか、是非聞いてみたい。
 北海道の雪原での撮影では、壊れたグランドピアノが置いてあったこともあった。
 それもこれも「偶然を引き寄せる」河合奈保子という女性が持っている力なのかもしれない。
 最後にひとつだけ。
「平凡」の独占取材だったバリ島でのロケが終わった夜、カメラマンやスタイリストたちといっしょに、デッキチェアに寝そべって満天の星空を見上げたことがあったよね、覚えているかな?
 あのとき、君は未来の何を想っていたのだろうか。河合奈保子20歳の時だ。

(元「平凡」担当編集者)