COLUMN

おかえり、NAOKO!!~けんかをやめて奈保子を語ろう。

第2回 元気少女に訪れた試練が、彼女をプロフェッショナルに成長させた。

彼女の姿が舞台から忽然と消えた。
そして誰かが「キャー」と叫んだ。

1981年10月5日、NHKホール。河合奈保子さん6枚目のシングル「ムーンライト・キッス」がヒットチャートに登場し始めたころ、事故は起こった。「レッツゴーヤング」のリハーサル中、舞台のセリを使った演出などを確認していると、舞台にいたトシちゃんや聖子ちゃんの目の前から、河合奈保子さんの姿が一瞬にして消えた。文字通り、奈落の底に転落してしまったのだ。第一腰椎圧迫骨折。当日収録で歌う予定だった松任谷由実さんの「魔法の鏡」は聖子ちゃんが代役を務め終わったが(聖子ちゃんもスゴイ)、当の本人は病院で精密検査のため、その日出演予定だった日本テレビ系「ザ・トップテン」の生放送には出演できなかった。司会の堺正章さんが事故の速報を伝え、思ったよりは怪我の症状が軽いと言っている隣で、思ったよりは軽くても事態が深刻だということを物語る榊原郁恵さんの神妙な表情がまたなんとも痛ましい放送で、今風に言えば、「奈保子ロス」寸前であった。 column2_1 「平凡」編集部では彼女のことを気遣い、怪我のことが大げさにならないよう、いつもと変わらぬ奈保子スマイルをストックしてあった取材からページを作っていたが、そのストックも底をつき、最後は奈保子さんのところに誰がどんなお見舞いをしたか、ということをページにしたりしていた。そして、退院後の「平凡」1982年2月号の付録カレンダーでは12月の写真、つまりクリスマスの絵柄なのですが、どこかこの事故のことを彷彿とする絵柄にも見えます。不思議な1枚。

笑顔の下の並々ならない精神力。
水面を優雅に進む白鳥のように。

アイドルが舞台の事故で怪我をして、復帰が遅れたために、その間に別のアイドルが台頭し、居場所がなくなる。芸能界では意外とよくある話だ。だから本人は無理をして出ようとするし、周りも焦って活動を再開したりする。河合奈保子さんの場合は事務所の理解もあり、きちんと回復に努めたということだが、それでも入院は2ヶ月ほど。11月末に退院したときも、まだ河合奈保子さんはコルセットをしていて、年を明けて4月近くまでコルセットをしていたという。奈保子さんの場合はいつも爽やかに「ハイッ!!」と受け答えしているので、ついまだ100%でない、ということを忘れてしまう読者も多かったのではないか。でも、休養も兼ねたオーストラリアでも、彼女はコルセットをしながら「平凡」読者のためにたくさんのグラビアをこなしてくれた。 column2_2 当時の編集担当に聞いてみると、この浜辺の1枚も下はコルセット。白鳥が優雅な舞を見せるその足下で必死に足を掻いているようなけなげな努力。ファンに笑顔と幸せをあげるには、やはり強い精神力が必要なんだと30年以上の時を経て大人になって初めて感じる。本当に強い人だ。こうして見事、完全復活、その年の7月号では美しいビキニ姿を見せてくれた。この試練があったからこそ僕たちは河合奈保子さんの笑顔に無意識のうちに惹かれていたのかもしれない。そして次はバリやグァム、オーストラリアといった海外グラビアで見せる彼女の表情。一級品だった。開放的な海や大地に溶け込む様子は、本当にその場所が好きなんだなあと感じさせずにはいられない。

そのあたりの話は、また来週。