Q:録音、おつかれさまでした。バルトークの録音を終えての感想、印象を聞かせて下さい。
スザンヌ・フランク:
私はここの雰囲気の全てを満喫しました。素晴らしい、広々としたホールで演奏することができ、もうすっかり仲間になったDENONスタッフの皆さんのスーパーチームがいて、いつも皆一緒に昼食の時間を楽しく過ごし、私たちがいい演奏ができるような、いい雰囲気が作られていました。スイスのチューリッヒから到着するのだから、時差ぼけでとても疲れているだろうと予想したのですが、すごく疲れている時でも音楽がエネルギーをくれました。同じ箇所を何度も弾いたり、大きな音で弾かなくてはならないこともありましたけど。これから帰国しますが、私は素晴らしい録音に仕上がるだろうという予感がしています。録音についての私の印象はそんなところです。どうもありがとうございました。
Q:以前にもバルトークの録音が企画にあがったことはありましたが、当時はそれは実現しませんでした。今この時点で、バルトークの録音に踏み切ることができた理由は?
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録音風景 |
ウェンディ・チャンプニー:
バルトークは、どんな弦楽四重奏団にとってもとても大切な中心的なレパートリーです。なので、賛否両論、意見はいろいろあるでしょうが、若い弦楽四重奏団から中堅、そしてベテランまで、いろいろな弦楽四重奏団が演奏しています。そんな中で、うれしいことに、今の私たちはバルトークの四重奏曲とともにグループとしてのある種の「成熟」に到達したと思うんです。そしてその成熟はこのレパートリーの重要さにふさわしいものだと。うれしいことに、25年という歳月を経て、私たちの演奏にある種の「深み」が加わったと感じているのです。それはたぶん15年前にはなかったものです。
Q:かつて皆さんは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は「旧約聖書」で、バルトークの弦楽四重奏団は「新約聖書」だと仰ったことがあります。ベートーヴェン以降、たくさんの弦楽四重奏曲があるわけですが、その中でなぜ、例えばショスタコーヴィチではなく、特にバルトークの弦楽四重奏曲が「新約聖書」なのでしょうか。
マティーアス・エンデルレ:
それは個々の演奏家が決めることだと思いますが、私にとっては、若い頃にとても好きになった作品で、ベートーヴェン、特に後期ベートーヴェンとバルトークは私にとって特別な作品だったんです。それと、弦楽四重奏団にとってバルトークの四重奏曲は演奏がとても難しい作品で、メンバー全員に全力を出し切ることを求めてきます。もちろんショスタコーヴィチも難しいわけですが、放っておいてもひとりでにまとまってくれると言うか…バルトークの場合は意識的に4人に共通のアプローチ法を見つけないと、ちゃんとした演奏にまとめるのが難しいんです。
Q:カルミナ・クァルテットが演奏するバルトークの弦楽四重奏曲の特別な点はどこにあるのでしょうか?
シュテファン・ゲルナー:
私たちのバルトークの演奏は非常に正確だと思います。というのは、まさに録音されたこの2曲を、ベラ・バルトークと直接関係のあったシャーンドル・ヴェーグから学んだからです。私たちはヴェーグから言葉の用法、すなわちハンガリー語だけでなくベラ・バルトーク自身の音楽言語を学んだのです。そして彼は、バルトークがどのように音楽形式についての実験を行ったかを教えてくれました。最初の弦楽四重奏曲から2曲目が書かれるまで10年間ありますが、この間バルトークは独自の形式を探し求めています。そこに私たちは進展を見ることができます。例えば、私は、弦楽四重奏第2番には減音程が使用されていることに、つまり三全音(トリトヌス)が非常に重要な音程、重要な動機、要素であり、それがいかに展開され、また曲全体が展開されていったかに注目しました。すると、バルトークが非常に知的で、それゆえにベートーヴェンともつながっていることがわかるのです。どちらの作曲家も信じられないほど頭で創作しましたから。それはもしかするとショスタコーヴィチにも言えることですが、ショスタコーヴィチには感覚的な面もあるので、二人ほどではありません。
Q:皆さんはいわゆる"HIP"(Historical
Informed Performance=歴史的知識を踏まえた演奏)の経験も豊富なわけですが、それがバルトークの演奏に役立ったり、そこからバルトーク演奏のアイデアを得たりということはあるのでしょうか?
マティーアス・エンデルレ:
バルトークを演奏することは、もろちん例えば18世紀の音楽を演奏することとは直接には何の関係もありません。でも、この2曲が書かれた1907年や1917年という年に自分がいるつもりになり、それらが演奏された時に人々がどう感じたかを想像することには間違いなく意味があります。それが歴史を踏まえた演奏というものです。例えばモーツァルトの場合、彼がどんな人間だったかを教えてくれる人は1人もいません。私たちは本を読んでそれを知ったり、彼のスコアから何となく感じ取らなくてはならない。でもバルトークの場合は、彼と一緒に仕事をした人がまだ残っているし、シャーンドル・ヴェーグのように彼から助言を受けた人もいる。だからそれもある意味では歴史を踏まえた演奏と言えるかもしれない。でも結局のところ、歴史的な演奏というのはほんの始まりに過ぎません。というのは、歴史的な演奏にしろ何にしろ、奏者の肉体に入り込んで、奏者の全人格と関わるのでなければ誰の役にも立たないのです。音楽においては、実は感情や肉体というものが重要な土台をなしているわけですから。
ウェンディ・チャンプニー:
その点については私にも1つ言わせて下さい。私たちはシャーンドル・ヴェーグのレッスンを受けましたが、それは時期的にはニコラウス・アーノンクールに学んだ時から1年ほどしか離れていませんでした。その時、技術的なことで不思議に感じたことがありました。というのは、当時の私はちょうど、アメリカで、もっとずっとレガートを多用して、ずっとフラットに、平坦に弾くことを教わったところだったのですが、ヴェーグとアーノンクールの2人から、全く同じことを、全く違う理由で、言われたんです。つまり、もっと語るように弾きなさい、他のアーティキュレーションもいろいろ試してみなさいと。それが私にはとても興味深く思えました。
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モニタールームにて |
Q:バルトークの弦楽四重奏曲というのは、現代音楽を愛し、現代音楽の世界を知っている言わば特殊なリスナーのための特殊な音楽なのでしょうか? どうお考えでしょうか? それから初めてバルトークを聴く人に何か助言があれば聞かせて下さい。
ウェンディ・チャンプニー:
私はバルトークに対して特別な感情があります。というのは、私が育ったのはアメリカの小さな町で、大都市ではなく、文化的な中心地というわけでもなく、私の両親は音楽好きでしたけれどもプロの音楽家ではありませんでした。私の父が、たぶん20歳の時だったと思いますが、そのオハイオの小さな町にやって来たジュリアード弦楽四重奏団がバルトークの弦楽四重奏曲の全曲を演奏するのを聴いたんです。父はバルトークの弦楽四重奏曲がすっかり気に入って、いつもバルトークのレコードを聴くようになったのですが、赤ん坊だった私は、それは普通の人たちのための音楽だと、誰でもバルトークが好きなのだと思っていました。バルトークを聴く時に大切なのは、まっさらな心とまっさらな耳で聴いて、これはクラシック音楽だからなどという強い先入観は持たずに理解しようとしてみることだと思います。私の場合に役に立ったのは民族音楽とのつながりです。日本でも同じかどうかわかりませんが、私が子供の頃はルーマニアなどバルカン諸国の民俗舞曲を聴きました。だから私にとってバルトークは一種の民俗音楽のような
ものだったのです。プロの音楽家でない人が聴く時には民俗音楽として聴くのがいいのではないかと思います。
マティーアス・エンデルレ:
1つだけ付け加えさせて下さい。この音楽はいろいろな角度から聴くことができます。そしてこの音楽は非常に入り組んだ複雑な音楽でありながら、最後になって全体を見渡すとちゃんと意味をなしていて、すべてがぴったりと収まっている。そういう構造があります。それから、ウェンディが言ったように民俗音楽という強い底流があり、それと同時に、背後には驚くほど力強い推進力が隠れている。その力には、バルトークが書いてきたすべて──あらゆるものがバランスを保つようにと計算しながら書いてきたすべて──が結集しているような感じがある。最後にその力はこちらが予想していたよりもずっと強大になります。それはその間に複雑さが増しているからですが、その複雑さは、私から見ると、その力の邪魔をするようなものではないのです。
ウェンディ・チャンプニー:
シンプルな力が複雑な構造に勝るんですよね。
シュテファン・ゲルナー:
私が言いたいのは、多くの音楽愛好家の中にベラ・バルトークに対するあるイメージまたは偏見が存在するということです。誰かがぺらぺらしゃべったことを別の誰かが繰り返す音楽だとか、バルトークの音楽は難しい、という印象があるのです。そのため、実際に聴くと、バルトークの音楽の単純さ、民俗音楽的な面、そしてマティーアスが言っていた力に驚かされるのです。音楽の力だけでなく、音楽の持つ悲しみ、深さにも驚かされる。この音楽を夢中で聴いた人は、とにかく驚かずにはいられないと思います。なんて面白い音楽なのだと、良い意味で驚かされることになると思います。
マティーアス・エンデルレ:
さらに付け加えると、弦楽四重奏第2番は戦時の四重奏曲です。ですから、第一次世界大戦に関わる多くの悲しみが含まれていて、それが強く感じられます。例えば終楽章は深い悲しみに基づいて書かれています。
スザンヌ・フランク:
私からもさらに少し付け加えさせて下さい。私は、知らない作曲家の作品を聴く時はいつも良い録音で聴くことが非常に重要だと考えています。そこで少し私たちの録音の宣伝をさせていただきたいのですが、私たちはぜひ皆さんに伝えたいと思うことがあり、皆さんがこの録音をじっくり聴いて私たちが今伝えたいことを感じていただければと思います。
Q:皆さんは2009年の6月に再び東京で演奏するわけですが、このアルバムを聴く人たち、あるいは皆さんの演奏を聴く人たちに向けてメッセージをお願いします。
シュテファン・ゲルナー:
私は皆さんが私たちのバルトークの録音を聴き、きっと感動して下さるだろうと確信しています。なぜなら、皆さんが感激できるような、非常に実感のこもった演奏ができたと思うからです。2009年6月の演奏会を楽しみにしています。
ウェンディ・チャンプニー:
2009年の6月の東京で、私たちは4夜にわたるコンサートをします。皆さんはアルバムに収録された四重奏曲第2番を生で聴くことができます。いつも不思議な感じがするのですが、演奏家というのはこうやって録音をして、それを通じて会ったこともない多くの人とコミュニケーションをとることができます。このアルバムを聴いたどなたかが、東京でのコンサートの後に私たちのところにやって来て、手を取り、アルバムもコンサートも素晴らしかったと言ってもらえるなら、それは私たちにとってとても特別な素敵なことになると思います。
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