1.「生命」(いのち)
(作詞:きたやま おさむ/作曲:KAZUKOH)
'62年、サンフランシスコで「和幸」結成、その当時に作曲された曲。長い間レコーディングされなかったが、今回レコーディングされた。このアコースティック・サウンドはその後、サイモン&ガーファンクルに影響を与えた。
2.「サタデイナイト ムービー」
(作詞/作曲: KAZUKOH )
’69年のニューヨーク・セッションから。当時のファンキーなセッション・ミュージシャンの力を借りてリズミックな独特のサウンドを作り出している。この時スタジオ掃除のアルバイトをしていたPaul
Simonが小耳にはさみ、後に、この曲の影響で「Mrs.Robinson」が出来たと言われている。
3.「鎮静剤」
(作詞:マリー・ローランサン/作曲:高田 渡
(訳)堀口大学)
かねてから日本の高田 渡と親交のあった二人が高田の逝去を悼み取り上げた。スタジオにいた、アルゼンチン、フランス、アメリカ、オーストラリア、日本のミュージシャン達とのスタジオ・セッション。
4.「黄昏のビギン」
(作詞:永 六輔/作曲:中村 八大)
「和幸」が'69年に来日した際、覚えていて是非録音したいという想いから今回レコーディングされた。日本語を見事に歌いきり、情感を出している。
5.「Sensored Mail」
(作詞:山上路夫/作曲: KAZUKOH )
'72年に彼らがビバリー・ヒルズに移住した折、隣人のバート・バカラックがPaul
Kazukoの誕生日の為のプレゼントとして書き下ろした曲。しかし、バカラックが忘れていることをいいことに、ちゃっかり自分達の作曲にしてしまった。今回初めてレコーディングされた。
6.「バラバラふたり」
(作詞/作曲: KAZUKOH )
「Kazukoh」英国でのデビュー・シングル、チャート47位までしか上らなかった。しかし二人はそのまま英国にとどまり音楽活動を続けた。当時Beatlesの「All
You Need Is Love」の宇宙中継にも出演しているが、画面の端だったので映ってはいなかった。
7.「Her Hometown」
(作詞:山上 路夫/作曲: KAZUKOH )
カリフォルニアに移住した彼らのアメリカ・デビュー・シングルだが、チャート7位までしか上がらなかった。レイドバックしたごきげんなサウンド。
8.「モノリス」-Om
ye dharma hetu prabhava-
(作詞/作曲: KAZUKOH )
段々と、彼らがドラッグ・カルチャーに染まってゆくなかで録音された曲。しかしテーマは愛と平和であり、彼らが必ずしもドラッグ・カルチャーに単に毒されていた訳ではないことが分かる。セッションはサンフランシスコ、グレートフル・デッドのメンバーも参加していると言われているが、定かではない。バック・コーラスにはバーズのメンバーも参加。
9.「ナニモナイ」
(作詞/作曲: KAZUKOH )
インドのマハリシ・ヨギのアサイラムで知り合ったジョージ・ハリソンの影響で出来上がった曲だが、かなりのサージェント・ペパーズの亜流とみられあまり評判は良くなかった。しかし、彼らの貪欲な音楽的先進性が表れている。
10.「無貪」
(作曲: KAZUKOH )
インドから帰国後、日本に立ち寄り、禅寺に滞在し、禅を学ぶ。「無貪(むとん)」とは悟りに至る境地の一つの段階を意味している。複雑な録音に存在を求めず、ひたすらギター2本だけで、無我の境地に至ろうとする努力の表れか。録音は京都、「幸和寺別院:深情院境内」で朝の4時23分(釈迦が入滅したとされる時刻)に録音された。録音前には護摩を焚き、斎戒沐浴をして臨んだ。
11.「見上げてごらん夜の星を」
(作詞:永 六輔/作曲:いずみ たく)
アメリカでの「SUKIYAKI」のヒットのせいで是非、永 六輔/中村八大の曲を歌いたいと彼らに依頼。しかし稀代の名曲があることを発見、今回のレコーディングとなった。KAZUKOHならではの新解釈が聞き所。
12.「みんなの地球」
(作詞:きたやま おさむ/作曲: KAZUKOH )
ディズニーの映画「シンデレラ」の為に書き下ろされたが余りの名曲のためボツになり今回収録になった。‘60年代に書かれた曲にもかかわらず、今日的なエコロジー賛歌となっているのは、彼らの先見性の現れと見て良い。
解説:夜妻一郎
※ご注意:このライナーは妄想であり、登場する人物、事件、団体名その他は全て架空のものです。仮に実在のミュージシャン、曲名、事件、固有名詞等々と類似した事象があったとしても、全ては偶然の一致もしくは一時の気の迷いですので、深く考えないで下さい。
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