SACD 2ch, 4.0ch, CD Audio (ハイブリッド盤)
■田部さんは、シューマンのことを、「演奏家としての私の心に魂を吹き込んでくれる存在」だと評したことがありましたね。 シューマンというのは不思議な作曲家で、演奏家として感じるシューマンと、聴き手として感じるシューマンとでは、身をおく立場によってその魅力がずいぶん違って感じます。演奏家としてシューマンに向かっているときは、なにかものすごい高揚感、大きなエネルギーをもらえる感覚があります。それが何だろうかと分析して考えると、技術的に安易ではないとしても、魅力的なメロディと反復されるリズムのなかで和声が興味深く変わっていったり、内声と外声が複雑に別の動きをしたり、小節線をまたいで特別の動きをしたり、そんな音楽的な絡みが弾いているとすごく面白くて、自然にかきたてられるのかなあと感じます。とても立体的な感じがあってそこで色々な音楽的な要素が絡み合って、そのなかで浮いては消えという要素が、動きの中で変わり続けていくというのがシューマンらしくて興味深いところです。今回収録された作品にもよく表れていると思います。
■シューマンをただ聴くのと、楽譜を見ながら聴くのでは情報量がぜんぜん違って感じられ、私など「こんなにいろんな仕掛けがしてあるのか」という驚き・発見があります。逆にいうと、耳で聴いただけでそこまでを伝えきれている演奏が少ないということでしょうか? それだけ、そこまでを表現するのが非常に難しいともいえます。 演奏する側は楽譜からの情報を全部把握しているので、余計にそれを聴き手に伝えるのが面白いという部分がありますね。それぞれの声部の横の流れ・縦の流れの絡みをうまく表現するという論理的な表現の部分と、一方で非常に奔放でつかみどころの無いものをも表現する、凝りに凝った作曲法を感じます。
■たとえばショパンなんかはもっとシンプルですよね。 ショパンはどんなに短い曲でも、1曲毎に世界が完結しているように感じます。それにくらべてシューマンは、小さな曲の集合体でひとつの世界を作っていて、全曲を通してはじめて世界がわかるような曲が多いですね。《謝肉祭》が良い例ですし、《クライスレリアーナ》なんかもそうですね。たとえば《謝肉祭》の中から1曲だけ抜き出しても、それではシューマンの世界は掴みきれないと思います。
■今回の収録曲取り上げた3曲は、どのような意図で選ばれたのですか? そんなわけで、シューマンの楽曲にはある種のとっつきにくさ・難解さを感じる方がいても、それは理解できなくもありません。でも、そんな方にも是非シューマンの魅力に触れていただきたい。そういった意味を込めて、リサイタル第1回目は「シューマンの世界に入っていただく扉」として、多面的な特質をもつシューマンの曲の中でも比較的シンプルでわかりやすい曲でプログラミングしました。《謝肉祭》は色々な変遷を辿りながらも最後のフィナーレに向かう明確な構造があって、シューマンがベートーヴェンを尊敬していたことも想起させますね。 今後のシリーズでは、時代を下ったシューマンの作品もとりあげていきます。加えて同時代の作曲家の作品と一緒に取り上げることで、さらにシューマンの特質がクローズアップされていくと思います。それこそ、《森の情景》なんかは、深淵をみるようなところあって、いわゆる森林浴から想像する森の情景とは別世界のように感じずにはいられません。メンデルスゾーンやリストなどは、音から情景が明確に湧いてきて、たとえば「ここが鳥のさえずり声」などと、イメージ出来る部分もあるのですが、シューマンの場合は、なにか独特のフィルターがかかった抽象的・形而上的なものを感じます。今回の3曲は、ピアニストの妻クララの存在も感じる若い時代のピアノ作品ですが、すでにこのころから後年にシューマンが精神を病んでゆくその萌芽を見る思いがあります。 《初めてのライヴ録音を終えて》 ■ディスクで聴く田部さんとコンサートで聴く田部さんとでは、かなり印象が違っていると感じている方が少なくないと思うのです。実際、「是非ライヴ録音を!」という希望がリスナーの方から寄せられたこともありました。これまで、録音に関しては完璧主義者という感じでライヴ録音には慎重だった田部さんが、ライヴ録音に踏み切ったのはどんな理由からですか? 一発勝負という点でライヴの恐ろしさという部分があるにせよ、自分ではライヴでしか出ないものがあるということも事実だなあと、常日頃感じていました。また、CDとコンサートの両方を聴いてくださっている聴衆のかたから、「このコンサートはライヴ録音で残してほしかった」という声をきくことも時々あって、そんなことも意識のどこかにありました。 もうひとつは、シューマンという作品の特性からいっても、ちょっと破滅的な部分があったり、ものすごく自由だったり、そのような作風が、自分としての解釈をしっかり持った上であれば、本番に臨んで、そのときの一期一会的な感性・瞬発力がうまく良い方向に影響がでるように、期待できると感じたのですね。そのような視点から、シューマンだったら「ライヴ録音」もあるかな?と考えたのです。同じくライヴ録音とはいっても、ひとつのプログラムを何度も本番を経験しながらより表現を深めていき、その結果として一つの公演を録音する、という形もあるでしょうけど、今回のシューマンはそれとはまた少し違う発想です。
Newアルバム『シューマン:謝肉祭|田部京子 浜離宮朝日ホールライヴ』の魅力 今回のプロジェクトの計画を知ったある人が、これは、「田部さんによる2つ同時の大きな賭け・チャレンジ」、つまり、同じロマン派とはいっても、ある意味対角線上にいるようなシューベルトからシューマンへの大きなシフト・チェンジと、CDで聴く限りは(決して「爆演派」ではない)むしろ「静」のイメージの田部によるライヴ録音(!)へのチャレンジだと評してくれました。この大きなチャレンジは、本人も驚く予想以上の成果を得て、リスナーの皆さまにお届けできる日を待つばかりとなりました。どうぞ、ご期待ください。
シューマン・プラス 田部京子 ピアノ・リサイタル 第3章 「献呈/シューマン×リストの交歓」 シューマン:幻想曲ハ長調 作品17/リスト:ソナタ ロ短調 ほか 2008年12月10日(水) 19:00開演(18:30開場) 浜離宮朝日ホール(東京、中央区築地) S席:¥4,000 A席:¥3,000 朝日ホールチケットセンター 03-3267-9990 カジモト・イープラス 0570-06-9960 http://kajimotoeplus.com/ 主催・企画・制作: 朝日新聞社、梶本音楽事務所、協賛: コロムビアミュージックエンタテインメント