陸上自衛隊中部方面音楽隊 鶫 真衣インフォメーション
アルバム「いのちの音」に寄せて 音楽隊長/3等陸佐 柴田昌宜 「音楽隊は普段どんな日課をおくっていますか?」よくいただく質問です。 中部方面音楽隊は、年間約100回の演奏活動を行っていますので、単純に3〜4日に1回、週に2回は演奏会を行っている計算になり、他の日は演奏会に向けての練習や自衛官としての訓練などを行っています。日々の練習や訓練はとても地道で、誰に見せるわけでもなく飾ることのない努力の積み重ねです。鶫3曹はいまや中部方面音楽隊の誇るソプラノ歌手として活躍していますが、普段の彼女はとても控え目で大人しく、飾らない地道さや堅実さをいく筆頭のような隊員です。 本CDには、音楽隊オリジナル曲「いのちの音」をはじめ、いのちの大切さや家族・友人への愛情、優しさを歌った楽曲を中心に収録しました。私はそれらの想いも日々の積み重ねに他ならず、我々自衛官の活動にも重なる部分が多いと感じています。鶫3曹の歌声とそれを支える中部方面音楽隊の演奏が、聴いていただいた方々の心に響き大切なものへの想いに繋げていただければ幸いです。 ソプラノ歌手/3等陸曹 鶫真衣 陸上自衛隊の歌手として入隊した私の歌が、今回こうしてCDとなって多くの方々に聴いていただけることを心から嬉しく思います。 CDのタイトル曲「いのちの音」は、私が作詩をさせていただいた曲です。一人ひとりが授かったいのちの大切さや、この世に生を受けたことの奇跡に感謝の想いを込めて書きました。そのほかにも学生時代に聴いて勇気をもらった曲や、大好きなジブリ映画の歌など幅広く収録しましたので、自信をもって聴いていただけるCDになりました。 陸上自衛隊に入隊して4年が過ぎ、様々な演奏活動の中で、歌を聴いてくださった方々から「涙が出たよ」という言葉や、私の歌う姿から「夢を見つけました」という言葉をもらうことが多くあり、何より私自身が励まされています。ホールでの演奏会だけでなく、屋外や公民館など近い距離で音楽をお届けし、聴いてくださる方の心に寄り添うことができる、これは自衛隊の音楽隊ならではだと思っています。 このCDを聴いていただいた皆様にも、幸せな気持ちや前を向いて進む力を感じていただければ嬉しいです。 |
終演後、隊員たちはロビーへと走る。お客さまにご挨拶をするために。 「昔のことを思い出して懐かしかった」 「子育て奮闘中だけれど、元気が出ました」 「心が洗われたようで、また明日からもがんばれます」 お客さまから寄せられるメッセージを胸にとめ、彼らは再び舞台へと戻り、譜面台や椅子などの片付けを行う。 「われわれは演奏家ではなく『音楽隊員』です。『自衛隊の音楽隊』というジャンルがあると思っています。」 とお話しくださったのは、陸上自衛隊中部方面音楽隊の柴田昌宜隊長だ。年間100回にも及ぶコンサートは、コンサートホールだけでなく屋外や公民館、体育館など地域の方々と近い距離でも開かれるが、これら人々の交流の「場」の立ち上げからなにからすべて隊員たちの手によって生み出されていることに、筆者はとくに深い感銘を受けた。プロの演奏家ならば、コンサートの企画や調整は音楽事務所やマネージャーが手がけることが多く、舞台の設営、椅子や譜面台のセッティングも舞台スタッフが担うものだ。 「ジャンル」の違いはお客様の反応にも表れている。オケや吹奏楽の演奏会で、涙を流しているお客さまは毎度見かけるものでもないが、音楽隊の客席は違う。演奏のなかに含まれる涙を誘う成分は、自分たちの表現の披露ではなく、「誰かのために」演奏を捧げていることにあると思う。自ら雛壇を組み立てた人たちだからこそ出せる音。それを受けとめる「私」は自分の思いを演奏に重ね、お隣の人と演奏を分かち合っている実感は、「私たち」の一体感へとつながる。そうして、「私」が感じた喜びと「私たち」が手にした思い出を誰かに伝え、さらに大きな「私たち」の幸せに広げていきたくなる。人と人とのつながりの温かさを思い出させてくれるのが、音楽隊の生み出す演奏なのだ。 そのような音楽隊に、「誰かのために歌いたい」という強い思いで入隊したのが、鶫真衣さんだ。 鶫さんは、敵を作らないどころか味方を増やしていける人。そう確信したのは、インタビュー中しばしば登場する「○○させてもらって」というフレーズに気づいたからだ。周りの方々のおかげで今の自分があるという感謝の気持ちが、このさりげないフレーズを生み出している。音楽隊においても、誰かに背中を押されないと前に歩み出ないような控えめさで、まずは誰かのために、というのが鶫さんだという。だからこそ隊員たちは自然と彼女に手を差し伸べ、エールを送る。 誰かのために−−。 こうした鶫さんの人柄は、これまでにいくつもの幸せな出会いを導いてきた。 たとえば、将来の道を切り拓くきっかけとなった最初の出来事。それは、仲良しの幼なじみに「『うたのおねえさん』になれば?」と言われたことだった。14歳のことだ。茂森あゆみさんのご活躍を知るにつれ、「うたのおねえさん」への憧れは日に日に募り、音楽科のある高校へと進路を決める。 さらに彼女の人生において、もうひとつの大きな舵切りは、なんといっても陸上自衛隊との出会いである。アルバイト中、鶫さんが歌を学んでいることを知ったお客様から、陸上自衛隊で歌手を募集していると教えられた。その日、急遽バイト仲間の代わりに出勤したことが運命を動かしたのだ。 しかし鶫さんの人生は、必ずしもすべてが順調だったわけではない。大学院のときに全く声が出なくなったのだ。聞くだけで自然と声帯が動いてしまうからと、音楽を遮断しなければならなかった日々。少しずつ音楽を聴くことが許されるなかで、心の底からつかみとろうとしたのは、このCDにも収録されている≪おんがく≫を作曲された木下牧子さんの歌曲だった。胸いっぱいに希望を吸い込むようだった。 「喜びのある歌にはどこかに悲しみをこめて、悲しい歌にはどこかに喜びや希望をこめて歌うなど、バランスをとるようにしています」。 鶫さんはご自身の体験を忘れず、多くの人たちの心に寄り添う歌を届けている。聴いて何度目かに自然と口ずさめるようになっているのは、ことばに彼女のやさしさが宿っているからだろう。 中部方面音楽隊は「家族のよう」と柴田隊長は評される。平日の任務にとどまらず、休日もバーベキューや夕飯を隊員同士共にするということからも、絆の強さがうかがえる。今回の録音で、マイクの前にひとり立つ鶫さんが大きな安心感に包まれて歌えたのは、受験や就職などの大事な場面で、聴き慣れた家族の「いってらっしゃい」に送り出されるような感覚を覚えたからではないか。隊員間でも交わされる「誰かのために」の精神。その共鳴が、今ここに私たちのために捧げられた1枚のCDの中に詰まっている。 お客さまからのお手紙や、演奏後にかけられる言葉を丁寧に心に刻み込み、感謝の思いを次の演奏へとのせていく鶫さんの姿に、マザー・テレサも愛した「平和の祈り」の一節が思い出される。 神よ わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。 (中略) 絶望のあるところに希望を、 闇に光を、 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。 (後略) 人々を災害から救い、平和を守る組織の中で鶫さんは「うたのおねえさん」となった。このCDを聴いていると、彼女がつづった≪いのちの音≫にあるように、「未来を信じて生きる」力を与えてもらう気がする。 (文:緒方英子 おがた・えいこ) |