コロムビアミュージックエンタテインメント(旧日本コロムビア)は、世界初のデジタル(PCM)録音実用化(1972年)を皮切りに、クラシック音楽の自主制作録音に力を注いできました。1974年から始まった欧米各地に機材を持ち込んでの制作は、やがて独・デュッセルドルフに録音機材と制作スタッフを常駐させるまでになりました。その中で、世界初B&K社製無指向性マイクロフォンによる収録(1981年)、インバル指揮フランクフルト放送響のマーラー交響曲第4番でのワンポイント録音(1986年)などの一連のマーラー交響曲全集録音、ヴィヴァルディ自身も演奏したというコンタリーニ宮(イタリア)の美しい音響をまとったイタリア合奏団のバロック・レパートリー、有田正広を中心アーティストとした古楽シリーズ(アリアーレ)など数多くの名盤を生み出し、音楽内容のみならず優秀な録音で多くのご支持を頂いてきました。その録音の歴史は、並行して進められた自社製デジタル録音機のたゆまぬ開発、ハードディスクを用いたランダム・アクセス音楽編集機(世界初)、マイク間の遅延補正を可能にしたデジタル調整卓、デジタル・マスタリング機器など、自社開発技術によって支えられてきたもので、音楽録音の歴史において、文字通りソフト・ハード両面のリーディング・カンパニーとして貢献してきたのです。

また、再生の分野に目を向けると、1982年からのCD時代になってからは「金蒸着」など、材質の面から高音質化を図る試みがなされてきました。しかしながら、音質の優位性の差異やコストなどから多くのメーカーを巻き込むムーヴメントにまでは至らず、残念ながら市場に定着しなかった、というのが筆者の見解です。その一方、昨年(2007年)以降に登場してきた新たな新素材CDは、一般ユーザーの皆様の支持を得て大きな広がりを見せています。これは、単なる素材の改良にとどまらず、スタンパー作成や成型技術などプレス技術の総合力が往時に比べて格段の進歩を遂げたこと、携帯オーディオの普及により圧縮音源を聴きなれてしまったユーザーが、「いい音」を聴く喜びを「再発見」するに至ったこと、など多くの複合要因の結果といえるのではないでしょうか?その中で、今回コロムビアが採用したHQCDは、制作・スタジオ関係者の間での高い評価を得て決まったものです。

さて、コロムビアがHQCDによる再発売を検討し始めたとき、企画方針として「これらの名盤を、ただHQCD化するだけではもったいない。録音から20年以上を経たDENONの名盤の数々を、さらに魅力的な作品として蘇らせてアルバムの真価を改めてお伝えできたら・・・・・・」という考えが立てられました。実は、1980年代の原盤で作られたCDの音は、最新録音と比べると平均記録レベル、すなわち再生音量が低く、第一印象として痩せた音で聴こえてしまう、という指摘が以前からありました。アンプのボリウムを上げれば伸びやかな音が再生されるとはいえ、最新録音盤との印象の違いはいなめませんでした。
今日の視点で過去のマスターテープを改めて聴きなおすと、コンサートホールにおけるオーケストラの幅広いダイナミック・レンジを忠実に録音・商品化を行ってきた制作意図をはっきりと確認できます。このDENONの制作ポリシーが多くの名録音を生み出す土壌になったことは間違いありません。しかしながら、(当然ではありますが)一般家庭の再生環境はコンサートホールのそれとは大きく異なります。十分な空間容積、絶対的静寂や大音量再生が可能な環境が確保できるリスナーは、恵まれた極々限られた方々であろうことは容易に推察できます。そのような環境下にはない多くの一般のリスナーに対して、これまでのディスクは、コンテンツの魅力を充分に伝え切れていなかったのでは?という思いがありました。

もう一つのきっかけは、2007年10月発売のケルテス指揮バンベルク響の「ベートーヴェン:交響曲第4番&序曲集」のCDでした。ドイツの倉庫で新たに発見されたテープは、編集用のスプライシング・テープがいたるところに貼られた、きわめて状態の良い正真正銘のオリジナル・マスターテープ。それを最高のアナログ・テープレコーダで再生・復刻したサウンドは、50年前の音とは思えないほど瑞々しいもので、多くのリスナーのご支持を頂戴したのです。その背景には、往時には不可能だったさまざまな音響的処理を可能にしたデジタル機器の発達がありました。

こうして、「HQCDという新しい器を存分に生かすこと」と、「過去の名盤を、最新録音に肩を並べるレベルで蘇らせる」という2つの目標を持つ、このうえなく欲張りな企画の大枠が見えてきました。すなわち、「HQCDでの発売を前提に、そのポテンシャルを最大限に引き出すリマスタリング処理を施して、DENON、スプラフォン、オイロディスクの名盤がもっている最新録音に引けを取らない魅力をリスナーにお届けする」というものです。

デジタル調整卓とモニターSP★機材・技術面の進歩がもたらした、マスタリングの新たな可能性
この企画のキーポイントのひとつが、「どのようにリマスタリングを施すか」です。この音作りの方針決定に至る前段として、機材面から見たマスタリング技術の進歩を振り返ってみましょう。
今日の録音機器は、1980年代、CD初期と比べると著しい進化を遂げています。特徴的な点の1つが、コンピュータとその周辺機器の発達をベースにしたテープレスの時代になったこと。1940年代後半にアナログテープとして登場した録音媒体は、80年代にデジタルテープに替わり、そして21世紀にはハードディスクに変化を遂げ、多くの音響処理をコンピュータ上のデジタル領域で実現するようになりました。音楽の時間的変化がディスプレイ上に映し出されるようになったことで、エンジニアは、瞬間瞬間の音だけでなくアルバムの全体像を容易に目視で把握することができます。音量や音質の各種パラメータの設定・変更は、かつてのアナログ調整卓を遥かに越えてエンジニアの望む精度がほぼ実現され、十分なリハーサルと確認を経たプログラム化を行うことで、往時とは比べ物にならない微細な調整にチャレンジできるようになったのです。

マスタリングエンジニア山下氏★制作意図(音作りの方針)リマスタリングの実際
どんなに新鮮・良質の食材でもシェフの手が加わらない限りは芸術的価値を持つ一皿にはなり得ないように、収録時の音源そのままの再生だけでは魅力的なアルバム創りは難しいと言えましょう。今回、全20タイトルのリマスタリングのシェフは山下由美子マスタリング・エンジニア。目覚しい進歩を遂げた機材を操っての音の調整の判断を任されていて、いわば、彼女の耳が最終基準と言っても過言ではありません。DENONレーベルの録音ポリシー「ピュアでナチュラルな音」を行なってきたエンジニアの一人であり、今回のプロジェクトの最適任者といえます。「いかにしてマスターテープの音楽的魅力を伝えるか?」という今回の制作意図に強い共感と理解をしめした彼女は、実際の音作りに当たっていくつかの提案をしました。

《聴感上のダイナミックレンジ拡大》
判りやすく、写真撮影を例にとってみましょう。当時の録音は、被写体として写るものは全て、例え数本の髪の毛が飛び出していたとしても(=音楽の実態に影響のない瞬時的なピーク)、その先端までの全てをフレームに収めていました。結果として、肝心の被写体像が小さくなってしまい、標準的な被写体像と比べると「小さくて表情が見えにくい(=音量感に乏しい)」という結果になっていたのです。この、やや余分な髪の毛を自然な感じに適切に補正すると、被写体へのズームが可能となります(=音量感のアップ)。結果として、これまで環境騒音に隠れがちであったpp(ピアニシモ:最弱音)を聴き取りやすくすることで、弱音部分での音楽表現を豊かにし、聴感上のダイナミック・レンジの拡大をめざすのです。アナログ録音+LP時代には望みようのなかった、デジタルならではの広大なダイナミック・レンジは、リスナーの皆さまの耳にまで音楽がとどいて初めて本来の役割を果たすのだと言えるのではないでしょうか。

ディスプレイ《音楽のバランスを重視した、質感の補正・向上》
被写体へのズーム(=音量感のアップ)によって、より表情の細部が見えるようになれば、それにふさわしい仕上げ(肌の色やコントラストの補正)を施して、被写体の魅力を高めたくなるというものです。このような視点で、従来音源よりより音楽的な充実感をリスナーに伝えるべく、音楽のバランスを重視しての質感の補正・向上をコンテンツごとに丁寧に実施しました。2chのマスター音源での作業のため、個別のパート(トラック)だけに処理を加えるということは出来ませんが、部分と全体の試聴を繰り返しながら、全体の音質バランスを見極めた最適なパラメータの設定を実現してゆきます。また、最適な処理実現のために、各コンテンツに応じた個別の作業ルーチンを選択。たとえば、現在とは異なったフォーマットの初期デジタル録音や、スプラフォン、オイロディスクのアナログ録音については、オリジナル・マスターテープから新たに96kHz/24bitでデジタル・コピーをとり、同フォーマット上でのリマスタリングを実施しました。その後の最終的な合意は経験を積んだエンジニアとディレクターとの協議の上でなされます。

《HQCDのテストプレスのフィードバック》
山下にとってもはじめてのメディアとなる、HQCD。そのポテンシャルを生かすために、メモリーテック社の協力の下、事前のテストプレスと、そのフィードバックを実施しました。試聴したHQCDテスト盤は、同時にテスト製造した通常CD盤に比べ、高域が伸びやかで各楽器の輪郭が浮き出るともに、ゆとりのある豊かな低域をも実現。ソロ楽器の定位がピンポイントでクリアになって残響音との分離がよくなり、結果として残響音を含めたステレオイメージが大きく拡大しました。これらの特長は、いわゆるイコライザ等での音響補正のみでは、思うような実現がなかなか難しいものです。以上の試聴の結果、HQCDがよりナチュラルなサウンドへの大きな武器となることを確認した山下は、マスタリングの最終的な音決めにおいて「HQCDの特徴を最大限に生かした」パラメータの選択によって、リマスタリングとHQCDの大きな相乗効果を引き出すことに成功しました。

★聴きどころ
選ばれた20タイトルは、1980年代以降のデジタル録音を中心とした名盤で、現在は大半が当社の「クレスト1000」シリーズとして発売されていますが、音の優秀さはもちろん秀逸な音楽内容でも話題になったものを、オーケストラ、協奏曲、室内楽、ピアノソロ、バロック、声楽など、幅広いジャンルの中から厳選したものです。聴きどころをいくつかご紹介しましょう。

なんと言っても、まずは、名盤インバルによるマーラー:交響曲第5番をお聴きいただきたいと思います。これはフランクフルトの巨大なホール、アルテ・オーパーで1986年に収録された名盤ですが、B&Kマイクによるワンポイント収録を基本とした透明感のあるサウンドイメージはそのままに、一聴してわかるほどの量感の改善、中低域を中心としたオ―ケストラの厚み感の補強により、スケールの大きさとディテールの細やかな表現の両立を実現しました。HQCDの特長を活かしきった、伸びやかな高域、明瞭な定位、豊かな残響イメージも聴きどころです。

スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレのベートーヴェン:交響曲第6番「田園」は、DENONがB&Kマイクを導入する1年前、1980年に行なわれた録音で、交響曲全集のその後の録音、第5番「運命」などに比べると「こじんまり」とした印象でしたが、今回の再発売では壮大なサウンドに生まれ変わり、リマスタリング&HQCDの威力を強くアピールしています。

ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレのブルックナー:交響曲第4番や、R.シュトラウス:「ツァラトゥストラはかく語りき」は、底光りのするような艶やかなオーケストラ・サウンドが魅力の名録音ですが、従来盤では、ややステージから遠くはなれた客席で聴くような部分もありましたが、今回、迫力のサウンドで生まれ変わったHQCDアルバムは、ブルックナーの壮麗な音楽の魅力がダイレクトに心に響いてきます。

醒めた視線や客観性が持ち味であるかの印象であったインバル指揮フランス国立管弦楽団によるラヴェルは、ある種の「熱っぽさ」を感じるほどに印象が変わり、スタッフを大いに驚かせました。このような結果を目の当たりにすると、サウンドも光のあたり方で表情を変える美術・工芸品や風景のようだとも思えてくるのです。

スプラフォン、オイロディスクのアナログ録音からの3タイトルについては、既発売CDでもその量感に不足はなく、リマスタリングの主眼はHQCDのポテンシャルを十全に活かすための質感の改善に的が絞られました。繊細なリマスタリングは、HQCDの特徴である、マスターに限りなく近い再生音により、いっそう滑らかなサウンドを実現して、明確な優位性を示します。

COCQ-84558/9以上を含めて全20点の具体的な変化は、サンプラー「これが、DENONクラシックス リマスタリング&HQCDだ!(COCQ-84558/9)」で、是非、ご自身の耳でお確かめください。各タイトルから抜粋されたリマスタリング&HQCD(DISC-1)の効果を、全く同じ部分を収録した従来音源&従来CD(DISC-2)と比較することができるお得な2枚組(税込¥1,000)です。オーディオ機器の買い替え・グレードアップに勝るとも劣らない楽しみを、コンテンツ・ソフト1枚の値段で味わえる、そんな喩えも大げさではないことが、きっとお分かりいただけるものと確信しています。


★終わりに
昭和40年生まれの筆者にとって、少年・青年期は録音技術が目覚しい発展を遂げていった時期に重なります。ことに、デジタル(PCM)録音の開発からCDの発売にいたる技術革新は、よりよい録音技術への飽くなき挑戦として語り継がれるべき特別な出来事であり、個人的には、筆者がコロムビアへの就職を希望した大きな理由でもありました。
しかしながら、当時、夢のオーディオと謳われたCDが普及してゆくにつれて、趣味としてのオーディオは次第にかつての熱気を失っていったように感じられます。一定水準の品質であれば比較的簡便に実現できるというデジタル音響技術の特徴が、まさにそれゆえの結果として、「それ以上」を求めないユーザーの拡大をまねいたのだとすれば、なんとも皮肉な結末と申さねばなりません。
ところが、圧縮音源と携帯オーディオの氾濫する今日の状況下で、新素材を用いた高品質CDが、大きなムーヴメントとして多くのユーザーのご支持をいただいたという事実は、より良い音・音楽を聴く楽しみを求めるユーザーがまだまだいらっしゃるのではないかと、ソフト制作の現場スタッフの大きな励みになったことを、率直に申し上げたいと思います。良質なソフトを丁寧にチューニングしたオーディオ装置で楽しんでくださってきたユーザーの皆様に加えて、一般の多くの音楽ファンの方々にとって、このシリーズが、「良い音で音楽を聴く喜び」にふれるきっかけとなるならば、これに勝る喜びはありません。


★HQCDサイト http://columbia.jp/hqcd/


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