[この一枚 No.42] ザンデルリンクとレーグナー 旧東ドイツ初のPCM録音

この一枚

東西ドイツで最初のオーケストラのPCM(デジタル)録音は1978年6月7日から始まったクルト・ザンデルリンク指揮ベルリン交響楽団によるチャイコフスキー:交響曲第4番だった。


この録音は1972年のルイ・フレモー指揮東京都交響楽団による「展覧会の絵」から始まり、ブロムシュテット指揮デンマーク放送交響楽団のテスト録音、フィッシャー=ディスカウ指揮チェコ・フィルによるブラームス:交響曲第4番などを経て、レパートリーや音源の物足りなさを感じていた日本コロムビア制作録音チームがようやく辿り着いた一里塚であった。


当時、日本のオーケストラはレコード・セールスが見込めず、チェコ・スプラフォンに共同制作の話を持ちかけても、スメタナ四重奏団は認めたが、西側市場に売れるチェコ・フィルやスークの独奏は簡単には首を縦に振ってくれなかった。
1976年末の東京文化会館におけるノイマン指揮チェコ・フィル・ライヴのベートーヴェン:交響曲第9番《合唱》は日本国内市場向けの例外商品であった。


一方で著名指揮者と西ヨーロッパやアメリカのオーケストラとの組合せは録音経費が高く、日本市場のみで利益を出すことは見込めなかったため、その方向は塞がれた状態だった。


自主録音のカタログ拡充のためにオーケストラの録音を行いたい日本コロムビアと西側のお金が欲しい東ドイツ。その両者が結びつくのは必然でもあった。交渉の席でまず日本コロムビアは数年前にザンデルリンクと共に来日し、いぶし銀の響きを聴かせてくれたドレスデン・シュターツカペレの録音を提案したが、商品価値の高いオーケストラの録音は簡単には承認してくれなかった。交渉の中でムラヴィンスキーと共にレニングラード・フィルの指揮者でもあったザンデルリンクのチャイコフスキー:後期交響曲集、レーグナーによるシューベルト:ハ長調交響曲(第9番)の録音が纏まり、1978年6月東ベルリンで行われることが合意さ
れた。


当時のPCMヨーロッパ録音は出張経費の節約から1回が約3ヶ月に及ぶツアーで、機材、録音用の2インチVTRテープ数十本を纏めて総重量トン単位の荷物と共にスタッフはヨーロッパ中の移動を行っていた。また大きな録音の前後に別の録音を、どこで行うか、ツアー・スケジュールを組むのも一仕事だった。結果、チェコでは5月の1ヶ月間にスーク・トリオとプラハ弦楽四重奏団、そしてスメタナ四重奏団の録音が組まれ、6月末にはフランスでカントロフやドレフュスのスケジュールが押さえられた。また、その合間にオランダやフランスの教会のオルガン録音が企画され、録音アルバム数は合計10本を越えた。


78年6月、西ベルリンにある、カラヤン/ベルリン・フィルの録音会場として知られる教会と同名で、しかも録音会場である所まで同じの東ベルリンのイエス・キリスト教会にPCM録音機が据え付けられ、ザンデルリンクの録音が開始された。
以降、この教会ではスウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレによるベートーヴェン、シューベルト、シューマンの交響曲全集、ブラームスのハンガリー舞曲集など、古典派のオーケストラ曲の収録が1989年の東ドイツ崩壊まで続けられ、日本コロムビアのスタッフは毎回西ベルリンから東ベルリンへの入国審査場所チェック・ポイント・チャーリーに並ぶことになった。


78年夏、日本に待望の録音済みテープが届き、楽譜に記された録音テイク番号に従って編集と試聴が行われた。ザンデルリンクの演奏と録音は日本側の期待を半分満足させ、半分困惑させた。まず困惑させた部分は、そのテンポの遅さと競合盤に比較して華やかさや哀愁に欠ける点だった。翌年録音される第5番、第6番《悲愴》でも一貫しているが、ザンデルリンクは終始ゆったりしたテンポで、安易な哀愁や興奮を排除したかのような渋い演奏を繰り広げている。「ベルリンの壁」崩壊後、西側に活動の拠点を移し、晩年はベルリン・フィルの指揮台に立つなど、巨匠として認められた現在でこそ、この演奏は評価されているが、当時の
日本市場や批評はこれを受け入れてくれなかった。事情はPCMレコードを輸出している西欧市場でも同じで、「東ドイツの田舎オーケストラの演奏」として冷たい反応だった。


また、録音面でも冒頭のファンファーレから暗い音色で、さらに低音の豊かなオーケストラの音作りが「抜けが悪い、重い響き」となり、バレエ音楽のような華やかさはどこからも聴こえてこなかった。そして指揮者の「窓を開けたら軍楽隊の音が飛び込んできた、と感じて欲しい」という要望で第3楽章中間部の木管、金管部分は演奏でも、録音でも強調されたが、それがやや不自然さを感じさせていた。結果、「華やかなオーケストラの響き」を求める市場とは違った作品となり、セールスは苦戦した。


反対に、この録音に引き続き行われたハインツ・レーグナー指揮ベルリン放送交響楽団のシューベルト:交響曲第9番(当時)《グレイト》は曲想に相応しいかな低音に支えられた音作りが聴いて心地よかった。しかし、当時のアナログ・レコードでこの低音の魅力をどう伝えるかが問題だった。第1楽章、第2楽章を合計すると30分を越える演奏をこの低音のままレコードの片面に収録するとなると針飛び、溝タッチを防ぐためにカッテイング・レベルを下げなくてはならない。そうするとこの録音の魅力がリスナーに届かない。

急遽社内会議が行われ、結果、カッティング・レベルを下げないで、この低音の魅力を伝えるため各楽章に片面を使うレコード2枚組で、特価\2900で発売することに決定した。当時のレコードの帯には「天国的美しさをたっぷりときかせる、ドイツの気鋭レーグナーの指揮」と記されている。ゆったりとした演奏と豊かな低音、また良心的な制作と価格としてたちまちベストセラーとなり、デジタル録音がオーケストラ録音に威力を発揮することを知らしめた。


残念ながら、レーグナーはこの1枚、ザンデルリンクは翌年の5番、6番の録音で共同制作から外され、ブロムシュテット指揮ドレスデン・シュターツカペレ、スウィトナー指揮ベルリン・シュターツカペレとの録音に移行していった。


2011年9月18日、ザンデルリンクが99才の誕生日を迎える前日亡くなったとのニュースが伝えられた。日本コロムビアにはチィコフスキー:後期交響曲集、オイロディスク・レーベルにはブラームス交響曲全集、ハイドンのパリ交響曲全集、シベリウス:交響曲第3番、5番などが遺産として残された。無い物ねだりだが、もっと一緒に仕事を続けていたら、と惜しまれる指揮者だった。合掌。

(久)


アルバム 2010年8月18日発売

ザンデルリンク/チャイコフスキー:後期交響曲集
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シューベルト:交響曲第8(9)番
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