[この一枚 No.44] 〜田部京子/グリーグとブラームス 新旧石橋メモリアルホール〜

この一枚

1974年秋の上野学園石橋メモリアルホールの開館は様々な意味でクラシック音楽 界にとって大きな一歩であった。

それまでの日本のコンサートホールは様々なジャンルの音楽やオペラやバレエ、さらに歌舞伎や演劇、舞踏、そして講演など、どんな催し物もできる多目的ホールと呼ばれる造りで、舞台の間口(幅)が広いために演奏に輝きを付加する壁か らの強い反射音が聴集に届きにくかった。また、響きの目安である残響時間が短いこともあり、豊かな響きに包まれるというより、さっぱりとした音のするホールが大半だった。

しかしながら、このホールは最初からクラシックコンサート専用のホールとして造られた。建物のサイズからの制限もあったのだろうが、ステージは間口が狭く、客席は左右の壁が近くてそそり立ち、天井も高く、下に大きく弧を描く形をとっ ているので、まるでヨーロッパの石造りの教会内部に足を踏み入れたかような豊かに響く空間があった。具体的な数値で表せば、座席数622で満席時の残響時間が1,8秒。ホールを貸し切って行う録音時は空席なので、残響はさらに長く、たっぷりとして、このホール以前には東京近郊では体験できないものだった。そのため、当初は一部から「響き過ぎる」とクレームがあったという。

このホールの音響設計を担当したのはNHK技術研究所で音響を専攻し、この年、独立したばかりの永田穂建築音響設計事務所。現在の永田音響で、以降、国内では福島市音楽堂、カザルスホール、サントリーホール、紀尾井ホール、ミューザ川崎、兵庫県立芸術文化センターなど、また海外ではロス・フィルの新本拠地ウォルト・ディズニー・コンサートホールやパリのラジオ・フランスのコンサートホールなど名だたる世界中のホールの音響設計や改修を行い、演奏のし易さと心地よい響きを作り出すことでクラシック音楽文化に貢献する会社のまさに第一作 であった。

日本コロムビアがこのホールで最初に録音を行ったのは75年3月のヤーノシュ・シュタルケルのチェロ小品集だった。通常、ホールを貸し切っての録音では録音機材をセットするモニタールームは舞台裏の楽屋に設置するのだが、このホールの楽屋は地下にあるため、ステージからは狭く急な階段を下りなくてはならず、楽屋まで引き回すマイクロフォン・ケーブルが非常に長くなることや、演奏家がプレイバックの度ごとに急な階段を使うことは難しいことなどの理由で楽屋使用を断念し、4階にある録音・照明室を借りることになった。

当時のPCM録音機の記録部である放送用2インチTVRは騒音がうるさいので、録音室奥の小部屋に入れられ、オペレータはインターホンでミキサーやディレクターと会話しなければならなかった。また、録音室からはエレベータを使って2階に降り、さらに客席奥のドアを開けてステージに向かわなければならず、機材設置や撤収、また演奏家がプレイバックを聴きに来るのもひと手間だった。おかげで演奏家は演奏をチェックするため度々録音室を訪れることは無く、休憩や翌日開始前にまとめて聴き直していた。

シュタルケルの録音も佳境に入った夕方、突然インターホンから「お〜い。ピアノの譜めくりを行ってくれ!」との声が聞こえてきた。譜めくりを頼んでいた女性が帰る時間となり、しかも楽譜のコピーが無いために譜めくりの人間が必要となり、小部屋に録音機と共に籠もっていたオペレータにその役が回ってきたという次第である。

伴奏ピアニストは岩崎淑さんから「めくる数段前にきたら、静かに立ち上がって手を譜面に伸ばし、私が首を縦に振ったときにめくって下さい」との指示を告げてぶっつけ本番。翌日も再び譜めくりを依頼され、合計数曲の録音は冷や汗をかきながらの体験であった。

この話には続きがあり、この年の冬、ミュンヘン音楽院でのバッハのフルート・ソナタの録音で筆者は再度譜めくりを行うことになった。バッハの楽譜は16分音符の連続で埋め尽くされており、ちょっと目を離すとどこを演奏しているか解らなくなってしまう。そのため片時も油断できず、上野学園での経験が非常に役に立った。

続いて同年5月には「ハンガリーの若手3羽烏の一人」として人気の高いラーン キによるリストのピアノ作品集を録音した。ロ短調ソナタのようなロマンチックな楽曲では豊かな響きがその魅力を膨らませてくれたが、メフィスト・ワルツなどの激しい、打鍵が続く場合にはホールのあちこちから反射した打鍵の音が聴こえて、ややうるさくなることを知ったのもこのホールが最初だった。人気に浮かれることのない、物静かな好青年ラーンキの瑞々しい演奏が聴かれるこのアルバムは翌年ハンガリーで「リスト大賞」を受賞した。また、これは日本コロムビアの自主制作作品が国際的な賞を受賞した最初でもあった。

ラーンキから2週間後、スザナ・ルージッチコヴァによる「パーセル:ハープシコード作品集」の録音が行われたが、ハープシコードという音量の小さな楽器のため、マイクに近くを走る地下鉄の音が時折混入し、その都度セッションは中断 となった。前2回の録音でもピアニシモの箇所でときおり地下鉄の音が聞こえていたが、中断するほどではなく、ここから、ホールの外部騒音への遮音が充分でないことと、小音量楽器のソロ録音は避けた方が良いことを学んだ。

地下鉄の騒音問題はあるものの、その豊かな響きは魅力で、翌年以降も高橋悠治のシューマン、ミラノーヴァのヴァイオリン作品集、シフによるバッハ作品集、モレイラ=リマのショパン作品集、チューリッヒ・バロック合奏団、パリ・バロック・アンサンブル、ニコレ、ルツェルン弦楽合奏団など、80年代初頭まで年数枚の録音が行われていた。この間、モニタールームは4階の録音室からステージ横の楽器収納庫に移り、PCM録音機も狭い小部屋から1階ロビーに移ってリモコン操作となり、ようやくオペレータはモニタールームで音や楽譜のチェックに専念できるようになった。

しかし、80年代以降、各地に響きの豊かな音楽専用ホールが次々建てられ、録音会場の選択肢が増えると学校の休暇期間のみしか使えず、騒音問題もある石橋メモリアルホールは次第に敬遠されるようになり、代わって隣接のエオリアンホールでの録音が屡々行われるようになった。ここでは無伴奏チェロやハープシコード独奏の録音でも地下鉄の騒音は問題にならなかった。

そして、長い空白期間を経た2006年8月、このホールの良さを改めて認識させられる1枚、田部京子のグリーグ・リサイタルが録音された。作曲家の没後100年を記念して制作されたこのCDは田部の優れた演奏によりグリーグのメロディの美しさが引き出され、息を飲み込むほど透明なピアノの音を包み込むホールの美しい響きが記録されている。

しかしながら、翌2007年、ホールは施設の変更に伴い、取り壊され、跡地に新たに石橋メモリアルホールが2010年春に開館した。この新ホールは旧ホールの形状や残響時間など響きの良さを活かしつつも、座席数は508とやや減らし、新たに2階バルコニー席を設け、ステージはオーケストラ演奏ができるように間口や奥行きをやや広げている。また問題だった地下鉄の騒音は遮断され、楽屋はステージと同じフロアに設けているという。

そして、この新たなホールで録音された田部京子の「ブラームス:後期ピアノ作品集」が12月に発売される。ここに収められた作品117から119までの前奏曲集、小品集、さらに弦楽六重奏曲第一番の第2楽章としても有名な「主題と変奏」はいずれもが抒情的メロディに満ち、豊かな響きを求めているものばかりで、新ホールでのコンサートやレッスンを通じて会場の響きを掴んでいる田部ならば前述のグリーグ、いやそれ以上の1枚になっているのではと期待が膨らむ。さらに、日本のコンサートホールの音響設計の原点でもあったこのホールが同じ永田音響設計の手でどのように生まれ変わったのか、録音面でも興味深い1枚で ある。

(久)


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