[この一枚 No.58] 〜インバル/バルトーク:オペラ《青ひげ公の城》〜

この一枚

日本の音楽ファンにとって、オペラハウスのオーケストラ・ピットで指揮するエリアフ・インバルはあまりなじみのない光景かもしれない。
しかし、インバルの経歴を見るとパリ、ハンブルク、グラインドボーンなど各国のオペラハウスで活躍してきたし、若い頃にイタリア、ヴェローナの野外オペラでヴェルディのアイーダなどを指揮した海賊盤CDもある。 また、2007年から音楽監督を務めているヴィネツィアのフェニーチェ歌劇場の上演では、シェーンベルクの「今日から明日へ」、コルンゴルトの「死の都」などがDVDとして発売されている。いかにもインバルらしい、渋い、ひねったレパートリーだが。

日本コロムビアのクラシック・カタログで最も欠けているのがオペラのレパートリーである。
1980年代以降ではウィーン・フォルクスオーパーによる「こうもり」、「ウィーン気質」、「メリー・ウィドウ」、そして「チャルダッシュの女王」などの日本公演を、また東ドイツ・シャルプラッテンとの共同制作で1985年2月のドレスデン、ゼンパー・オペラハウス復興記念の「魔弾の射手」、「ばらの騎士」を、鮫島有美子主演で「夕鶴」、「メリー・ウィドウ」などがCDとして発売されたが、いずれも公演のライヴ盤で、オペラ・カタログに欠かせない「アイーダ」や「椿姫」、「トスカ」などのイタリア・オペラの数々は一部のオペラ・アリアを覗いて皆無であった。

イタリア・オペラの録音など夢と思われていた1991年12月半ば、突然「インバルでヴェルディを録音する」という話が起こった。具体的には、12月20日過ぎにスイス、チューリッヒのオペラハウスでヴェルディの「運命の力」新演出をインバルが指揮するので、年末から正月にかけての公演数回をライヴ録音してCDを作る、というものだった。当時、チューリッヒ・オペラハウスの支配人は現在ザルツブルグ音楽祭の総監督を務めるアレクサンダー・ペレイラで、インバルとはウィーン交響楽団によるショスタコーヴィチ交響曲全集演奏と録音を実現させたコンビでもあった。

しかし、今回は録音までの準備期間があまりになかったし、ライヴ録音では協力を仰がなければならないオペラハウスの劇場スタッフをドイツのDENON録音チームは誰も知らなかった。
困惑している所に、東京本社から「オペラハウスからの連絡だが、スイス、バーゼル放送局のトーンマイスター、イェックリンがこの仕事に最適だから、パートナーのガスタイナーと共に打合せをしてくれ」という指示が届いた。

数日後、私はバーゼルで両氏と収録方法や機材手配などの録音の打合せを行い、その足で録音下見のため、初日を迎えるチューリッヒ・オペラハウスに向かった。

ヴェルディの傑作「運命の力」公演はソプラノ(マーラ・ザンピエーリ)、テノール(フランシスコ・アライサ)、バリトン(ジョルジョ・ザンカナロ)という当時のイタリア・オペラの名歌手たちが揃い、インバルの明晰な指揮のもと、主人公たちが数奇な運命に弄ばれながらも、最後は静かな死を迎えるというドラマチックな世界を創り出し、初日は大成功のうちに幕を閉じた。しかも収録にあたっての大きな問題点は見出せなかったし、また終演後のパーティのインバルは上機嫌だった。

しかし、ここからこの公演はまるでタイトルのように運命に翻弄された。まず、初日から10日後の大晦日、正月に行われた録音本番の2公演はアライサの声の不調でソロはともかく、2重唱の部分も使い物にならなかった。
さらに悪いことに、同一キャストによる公演は数ヶ月後まで無かったので、スイス録音スタッフはライヴテープを編集し、どの部分が収録できていないか、を確認して次の録音に備えた。

数ヶ月後の公演ではアライサの大きな傷は修復できたが、幾つかの場面で演出の変更による歌手の立ち位置、動きが変わり、前の録音とうまく編集することが出来なくなった。結果、さらにもう1回の録音が必要であった。でも、その先の同一キャストの公演は6月であった。

6月の録音の直前、東京から「インバルが序曲だけ弦楽器を増やして録音したい、と言っている。だから次の録音では公演前に序曲も再録音する」との連絡が入った。
急いでスイスチームに録音変更の連絡を行い、当日は昼過ぎにチューリッヒ湖畔に建つオペラハウスに入った。楽屋口からスタッフ用のカフェテリア、衣裳部屋、多くの楽屋を横に見て、録音室に機材をセットし、舞台を見ると、狭いオーケストラ・ピットに大勢の弦楽器奏者がいる。夕方に序曲の録音が始まった。この有名な序曲は力強い金管楽器による「運命の動機」の後、弦楽器による、波を連想させる主題が現れる。厚い弦の響きがモニタールームで鳴り響くとスタッフは顔を見合わせ、確かに人数が増えた効果があると、その音に納得していた。
と、突然、音楽が盛り上がった所で演奏が中断し、慌ただしい人の動きが聞こえてくる。「どうした!」、モニタールームを飛び出し、オーケストラ・ピットに辿り着くと、「演奏中、指揮棒が折れ、折れた先端がインバルの目にぶつかったようだ。すぐにインバルは病院に向かった。」
現場は大混乱となり、録音は中止となった。私はスイス人スタッフ達と機材を片付け、終わると支配人室に向かった。ペレイラから「指揮棒の先が飛んできてインバルは目の下に怪我をしたが、幸い目は大丈夫のようだ。だが今日は入院して様子見となった。病院はここだよ」と教えられた。
突然の事故により夜のオペラ上演は中止となり、私はお見舞いの花を買ってメッセージと共に病院に届けた。
まさに、「運命の力」の数々のアクシデントにより、インバルの、日本コロムビアのヴェルディ・オペラ録音は中止となった。

この録音から数ヶ月後の9月、フランクフルト放送交響楽団の1992年演奏会シーズンがスタートした。
インバルの最初のコンサートはオペラ《青ひげ公の城》。
この20世紀初頭に若きバルトークが作曲した唯一のオペラは登場人物が青ひげ公(バリトン)と4番目の妻ユディット(ソプラノ)の二人だけで、しかも1幕、演奏時間も約1時間と短いため、オペラハウスでの上演のみならず、しばしばオーケストラ演奏会でも取り上げられる。
フランクフルトでもアルテ・オパーのステージにオーケストラが並び、その前に二人のソリスト(青ひげ公:ファルク・シュトルックマン、ユディット:カタリン・センドレニ)が立つ、という演奏会形式で行われた。もう20年前のことだから確かではではないが、冒頭のマジャール語のナレーションはコンサートでは省かれ、別録音されたのではなかっただろうか。

インバルは数ヶ月前の事故を引きずることなく、ぐいぐいとオーケストラを鳴らし、ソリストを引っ張って「拷問部屋」、「武器庫」、「宝物庫」、「秘密の庭」、「領地」、「涙の湖」、「愛した3人の王妃」という7つの秘密のドアが開かれるごとに繰り広げられる静かで恐ろしい、不条理なドラマの世界を創り上げていった。

そして、アルテ・オパーの下手、ステージを見下ろす位置にある広い録音室では1984年のマーラー録音から続く共同録音チーム、ヘッセン放送局のスタッフ(ディレクター:ハウク、エンジニア:キットラー)と日本コロムビア(ディレクター:川口)によるセッションと公演ライヴを組み合わせるスタイルの録音が進められ、インバルの演奏による20世紀の傑作オペラの名盤が1つ誕生した。
残念ながらヴェルディではなかったが、

個人的には、1977年サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団の定期演奏会でこのオペラに圧倒された思い出がある。その時の青ひげ公は昨年亡くなったディートリヒ・フィッシャー=ディスカウ、ユディットはオペラと同じく、実生活でも彼の4番目の妻、ユリア・ヴァラディであった。
どうやら、ディスカウもオペラと同じく4回目の結婚で終わったようだ。
当時はPCM海外録音がやっと始まったばかりで、5年後の82年に発売されるCDも形すらなく、更に15年後にまさか自分がこのオペラの録音に従事するなんて、想像もできない時代だった。

(久)


アルバム 2008年12月17日発売

インバル/バルトーク:オペラ《青ひげ公の城》
※1992年録音
COCO-70998 ¥1,000+税

★商品紹介はこちら>>>

[この一枚] インデックスへ

ページの先頭へ