[この一枚 No.59] 〜アカデミア・ビザンチナ/レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア〜

この一枚

1992年9月のドイツ、DENON録音チームは次のような録音スケジュールで動いていた。
2日から6日までスイスのヴヴェでゲルバーの録音、並行して3日から8日までイタリアのラヴェンナでアカデミア・ビザンチナの第1回目の録音、そして4日空けて12日から17日までおなじくラヴェンナでアカデミア・ビザンチナの第2回録音、並行して14日から18日までケルンでラ・ストラヴァガンツァ・ケルンの録音、重なって17日から19日までフランスのクレルモン=フェランでオーヴェルニュ室内管弦楽団の録音が行われたが、さすがにこれは人、機材とも足りず、外部に委託となった。
さらに、22日から26日まではフランクフルトで先月このコーナーで取上げたインバルのバルトーク「青ひげ公の城」の、そして28日からは南ドイツ、バンベルクでクリヴィヌ指揮バンベルク交響楽団のブラームス交響曲全集録音第2回という、まるでパズルのように人と機材の組み合わせと移動を考えなければならないハードな月であった。

ちなみに私のスケジュールは2日からヴヴェの録音に携わり、6日ジュネーヴから空路帰宅。12日にはイタリア、ボローニャ空港行きの飛行機に乗ってラヴェンナへ、17日帰社したら次回の録音の準備。22日からはレンタカーに機材を積んでフランクフルトに運び26日に帰社するという、旅から旅の生活が続いていた。
イタリア中部のアドリア海に面した世界遺産の街ラヴェンナの歴史は古代ローマ時代に遡る。5世紀頭にはローマ帝国の首都となり、また6世紀半ばのユスティニアヌス1世の時代には東ローマ帝国(ビザンチン帝国)のイタリア政府が置かれた。今も街の至る所にこの頃栄えたビザンチン美術に彩られた教会などの歴史的建築物が残っている。
この街を基点に活動を繰り広げている弦楽アンサンブルが「アカデミア・ビザンチナ」とビザンチン文化の名を語るのもご理解いただけるだろう。

1960年代からのイ・ムジチ合奏団に代表されるバロック音楽のブームは80年代には急速に現代楽器から古楽器での演奏へと移っていった。並行して古楽器や演奏法に対しての研究も進み、単に現代楽器の金属弦を単にガット弦に張り替えて演奏するスタイルは邪道とみなされるようになった。
現代楽器奏者と古楽器奏者の間には例えば楽器や弓は製作された当時のオリジナルのままか、それともその後改造されたか、演奏法ではノン・ビブラートか、ビブラートたっぷりかなど、様々な区分けが設けられつつあった。
その一方で、イタリア・バロック音楽に対する北欧古楽奏者のややもすれば律儀な演奏は少し窮屈で、伸びやかな南欧スタイルの古楽演奏の登場が待たれていた。

そんな時代背景の中、ヴァイオリニストで音楽監督であったカルロ・キアラッパに率いられ、バロック音楽から現代音楽まで幅広いレパートリーを誇り、古楽の演奏にはオリジナル楽器を使用している、という触れ込みで登場したのがアカデミア・ビザンチナであった。

キアラッパはイタリアの現代作曲家ルチアーノ・ベリオから「(独奏ヴァイオリンのための)セクエンツァVIII」を献呈され、またベリオをこの楽団の主宰者の一人として迎えていることから、アカデミア・ビザンチナのデビュー・アルバムとして「ベリオのヴァイオリンのための作品集」と「ヴィヴァルディの四季」が選ばれたのも頷ける事である。

録音はラヴェンナの中心地、ドーム天井全面が美しいビザンチン・モザイクの壁画で飾られていることで有名なサン・ヴィターレ教会に連なる建物の一室で行われた。日本で例えると、法隆寺か東大寺の宿坊とでも言えるだろうか。ベリオの録音の合間にはスタッフは金、銀や様々な宝石を用いたモザイク画の天井を見上げ、その美しさに魅了されていた。

今回取り上げたアルバムの録音は翌93年7月にラヴェンナ近郊のイモラで行われた。イモラは毎年5月にF1自動車レースのサンマリノ・グランプリが開催されるイモラ・サーキットのある場所としても有名である。

レスピーギの有名な「リュートのための古風な舞曲とアリア第3組曲」はともかく、このアルバムの聴き所は次の「ボッティチェルリの3枚の絵」だろうか。
弦楽サンサンブルに管楽器が1管ずつ、さらにチェレスタ、グロッケン、トライアングル、ピアノ、ハープなどが加わった編成で、まるで大オーケストラで演奏されているかのように色彩豊かにルネサンスの画家ボッティチェルリの3枚の画「春」、「東方三博士の礼拝」、「ヴィーナスの誕生」のイメージを伝えてくれる。
また、最後に置かれたニーノ・ロータの「弦楽のための協奏曲」は彼が携わった多くの映画、例えば「道」、「太陽がいっぱい」、「ロミオとジュリエット」、「ゴッドファーザー」などの名場面が浮かんでくるような演奏である。
いずれも曲もDENONの録音エンジニア、ウアバッハが節度をもって、全体のバランスをよく考えて録音している。

しかし、イタリア的ともいえる、古楽器と現代楽器演奏の境界をあまりにこだわり無く越えたアカデミア・ビザンチナだけに、発売当時のCD評やセールスは芳しいものではなかった。その後もバッハ「音楽の捧げ物」、ペルゴレージ「スターバト・マーテル」、タルティーニ「ヴァイオリン協奏曲」、また「18世紀ナポリ〜音楽と民謡」、「コレッリ作品全集」など幅広いレパートリーが発売されたが、いずれも永くカタログには残らなかった。
今回久しぶりに甦った演奏を聴いて、「もったいない」と思うと同時に、制作側のカタログ調整、また発売時のCDデザイン、プロモーション、話題作りの大切さを考えさせられた1枚である。

ラヴェンナでの録音が終わった翌朝、私はドイツから到着したトラックに運転手と二人で機材と録音済テープを積み込んだ。
そして「じゃあ、デュッセルドルフで合おう、チュス!」と握手した瞬間、運転手が大きく「あっ、しまった」と叫んだ。なんと車の鍵を中に入れたままドアをバタンと閉めてしまったのだ。
そこからが大変だった。トラックはレンタカーだったのでまずレンタカー会社に電話し、鍵のサービス会社に連絡。しばらく手持ち無沙汰で観光客と大事な機材とテープを積み込んだまま停車している車を交互に見つめながら待つこと3時間。やっと到着したサービス員はわずか数分で車のドアを開いた。

改めて運転手と固い握手を交し、飛行機までの時間、やっと他のビザンチン美術を訪ねる時が来た。
アカデミア・ビザンチナの名前を聞くとサン・ヴィターレ教会前で起きた鍵の一件を懐かしく思い出す。

(久)


アルバム 2012年12月19日発売

アカデミア・ビザンチナ/レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア/ゲディーニ&ロータ:協奏曲
※1993年録音
COCO-73329 ¥1,000+税

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