[この一枚 No.69] 〜有田正広/ブラヴェ:フルート・ソナタ集〜

この一枚

「フラウト・トラヴェルソ(以降フルートと記す)を始めて以来、ブラヴェという音楽家はつねに私の理想でありつづけてきた。ブラヴェのフルートの音を今日聴くことは叶わないにも拘わらず…
彼の残した数少ないが無上の美しさをもつ作品と、そのブラヴェに贈られた当時の惜しみない賛辞の数々や演奏評を知るとき、フルート奏者としての私の内には、尽きることのない昇華する理想が彼によって絶えず与えられつづける」(有田正広:ブラヴェ・フルート・ソナタ集のライナーノート冒頭より)

1988年、フラウト・トラヴェルソ奏者、有田正広の録音を始めたとき、これは単に1作品でなく、《アリアーレ》と名付けられた日本初のオリジナル楽器シリーズにすることが企てられていた。デビュー・アルバムはJ.S.バッハのフルート・ソナタ全集、次にモーツァルトのフルート四重奏曲集、テレマンの無伴奏フルートのための幻想曲集、ヴィヴァルディのフルート協奏曲集《海の嵐》等。ここまではCD売上が数千枚を越えると見込める作品であり、日本コロムビア社内の企画承認を得るのに問題は無いと予想された。しかし18世紀のフルート音楽を俯瞰するとき欠かせないのはフランス音楽で、ラモのコンセールによるクラヴサン曲集、そしてブラヴェのフルート・ソナタ集の録音要望が演奏家サイドから強く提案されてきた。
クープランと共にこの時代のフランス音楽を代表するマレはともかく、フルート関係者以外には殆ど無名のブラヴェは宣伝・営業面からは「どうすれば売れるのだろうか、どれだけ売れるのだろうか?」皆目見当がつかなかった。更に、「これらの音楽にとってヴィオラ・ダ・ガンバの果たす役割は大変重要なので、可能ならば、私達のヨーロッパ留学時の恩師で、父代わりにもなってくれたヴィーラント・クイケンを共演者に迎えたい」との提案がなされた。

当時、アクサン・レーベルに数々の素晴らしいオリジナル楽器演奏を録音して、世界的にクイケン兄弟の名は知られていた。長兄のヴィーラントはヴィオラ・ダ・ガンバ、次兄のシギスヴァルトはヴァイオリン、そして末弟で、有田の師でもあったバルトルトはフラウト・トラヴェルソの奏者である。
いずれは海外で彼らとの共演を、と制作陣は漠然と夢見ていたが、《アリアーレ》の第1作が発売される前に、優れた作品を録音するために、早くも海外演奏家との共演を実現させなくてはならなかった。

1989年10月、有田のバッハが発売される頃、上野学園横の喫茶店で演奏会が終わったばかりのヴィーラントと有田、そしてコロムビアのスタッフが会談を持った。「日本コロムビアが企画した有田夫妻でのマレとブラヴェの録音に参加していただけないでしょうか?」ダメもとの提案への返事は「喜んで!」であった。その後、お互いのスケジュールを確認し、91年1月に来日し、CD2枚分の録音、そして来日費用をカバーするために数回の演奏会を行うことが決まった。
その後、《アリアーレ》シリーズではクイケン兄弟によるクイケン四重奏団、ラ・プティット・バンドの数々の録音を行い、レコード・アカデミー賞にも輝いたが、この上野でのミーティングがまさに始まりだった。

しかし、90年8月のイラクによるクウェート侵攻とその後の多国籍軍の戦争準備の中で、イラクは「多国籍軍に参加、もしくは支援する国は民間航空機といえどもミサイルで打ち落とす、などの航空テロを実施する」と発表したため、海外旅行者は激減、国際線ジャンボ機内に数名の乗客という状況となって航空会社は大きな打撃を受けた。また多くの海外演奏家の来日がキャンセルされた。 91年1月の宮城県中新田のバッハホールでの録音にはたしてヴィーラントが来日するのか、できるのか?彼が成田に到着するまで、制作陣はヒヤヒヤであった。

有田は18世紀フランス音楽、ブラヴェの録音に使用楽器でも配慮した。まず、彼が所蔵する数々のフラウト・トラヴェルソの中からブラヴェが活躍していた時代、1735年頃にパリの名工トーマ・ロットにより製作された名器を選んだ。チェンバロは有田が「親父」と敬愛する堀榮藏氏が製造した1755年製、デュルケンのコピーで、堀氏には録音時の調律も依頼した。そして、ヴィオラ・ダ・ガンバは1705年パリ製のオリジナル。

ブラヴェが乗り移ったかのような有田と共演者による名演は「このCDをどう売ればよいのだろうか?」と不安視していた宣伝・営業陣の心配を吹き飛ばし、レコード店のみならず、楽器販売店や音楽学校からも注文が寄せられた。そして、海外市場でも音楽誌からは絶賛され、フランスを中心にセールスは拡大していった。

このアルバムの価値をさらに高めているのは有田自身によるCDライナーノートである。この解説を読むと「ブラヴェの人と作品」が生き生きと浮かび上がってくる。
このエッセイを書くためにネットでブラヴェを調べていた中で、フランス人による解説が見つかったが、よく見ると、ほとんどが有田のCD解説からの引用だった。

(久)


アルバム 2006年12月20日発売

有田正広/ブラヴェ:フルート・ソナタ集
※1991年1月、中新田バッハホール
COCO-70859 ¥1,000+税

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