この一枚

この一枚 No.99

クラシックメールマガジン 2017年4月付

~エリアフ・インバル/シェーンベルク:グレの歌~

1974年、エリアフ・インバルはドイツのフランクフルト放送交響楽団の音楽監督に就任した。 ドイツは歴史的に小さな国の集合体だったため、今でも各州の独立性が高く、各州の放送局は独自の音楽番組を制作・提供するために自前でオーケストラを抱えている。このオーケストラは日本で例えるならば、東京、大阪、名古屋に次ぐNHK福岡放送局のオーケストラの音楽監督とでも言えるだろうか。
それまでフランクフルト放送交響楽団はクラシック音楽市場では殆ど無名のオーケストラだったが、1982年からインバルによる「ブルックナー交響曲全集」(第1稿による)がテルデックにより発売されると、その新鮮な演奏が注目されるオーケストラとなり、更に1985年から始まった「マーラー交響曲全集」(日本コロムビア)の世界的ヒットによりこのコンビはレコード市場のみならず、ドイツ国内外への演奏旅行も引く手あまたの売れっ子となった。おそらくヘッセン放送局のオーケストラ事務局としても鼻高々だっただろう。
そして1990年5月、インバルが長年務めたこの音楽監督の地位を降りる時が来たが、その餞の演奏会に選んだ曲は事務局として「やはりこの曲を提案してきたか」という壮大な曲だった。
20世紀初頭から始まる難解な「ゲンダイ音楽」を語るときに真っ先に登場する「新ウィーン楽派」の中心作曲家アーノルト・シェーンベルク。彼は音楽学校で学ぶなどの専門的な音楽教育はほとんど受けておらず、若い時にはアマチュア音楽家のチェリストとしてプラター公園の楽団で演奏する銀行員だった。そんなある日、勤めていた銀行が破産した時に「万歳、もう明日から仕事しなくて良いのだ」と叫んだ、と言われるほど強く音楽に傾倒し、作曲家の道を歩んでいた。
シェーンベルクの若き日の大作《グレの歌》は古代デンマーク王が愛するトーヴェの住むグレ城を舞台とする愛と喪失、そして亡霊と救済の物語で、オーケストラ(管楽器だけで50名、第1ヴァイオリン20名、第2ヴァイオリン20名、ヴィオラ16名、チェロ16名、コントラバス14名、それに様々な打楽器群)だけでも約150名を必要とし、さらに6名の独唱者、4声の男性合唱3組、8声の混声合唱が加わり、総勢300名以上が必要なため、シェーンベルクは48段の楽譜を特注したと言われている。
この曲は楽譜が届いた1901年からオーケストレーションが開始されたが大作故に、また生活に困窮する中で作曲が続けられたために何度も中断し、最後にリヒャルト・シュトラウスの援助もあって第三部が完成したのは1911年だった。
そして1913年、ウィーンで行われた初演はシェーンベルクの生前、唯一と言われるほど大成功だったが、その頃の彼はあまりに異なる「ゲンダイ音楽」に作風を変化させていることや、彼の性格からか、ステージに迎えられても熱狂する聴衆に満面の笑みで答えるのではなく、背を向け、ただ演奏家にお辞儀をしただけと伝えられている。
初演から「シェーンベルクの最高の作品」、「後期ロマン派の頂点」などと絶賛された曲だが、演奏には多数の演奏家と練習時間を必要とするため、オーケストラ運営側からすると経費が嵩む作品として、(傑作ではあるが)簡単には公演プログラムに載せられない曲目となった。 インバルが退任記念演奏会に望んだのは、こんな事情の、いわくつきの曲目で、この機を逃せば次に演奏するチャンスはいつ巡ってくるか解らないだろう。
日本コロムビアの制作・録音陣はこのマーラーの交響曲第8番《千人の交響曲》に匹敵する巨大な規模の演奏を収録するために必要なマイクロフォンの数を検討し、2種類の録音機を用意した。1つは従来の16ビット、4チャンネルの日本コロムビア製PCM(デジタル)録音機、もう1つはデジタル・マルチ・トラック録音機(以降マルチ録音機と記す)だった。基本的なサウンドは指揮者後方に吊り下げられたメインのブリューエル&ケア社の2本の無指向性マイクロフォンの出力を1,2チャンネルに、各楽器の補助マイクロフォンを纏めて3,4チャンネルに収め、編集後にミックスして作り上げるが、後に「あの部分の楽器をもっと大きく、小さく」などの細かいバランス変更の要望に応じるにはデジタル・マルチ録音機が不可欠だった。また、マルチ録音機の分野でもデジタル化が急速に進んでおり、ソニーと三菱、3Mが世界中で販売競争を繰り広げている時代だった。
《グレの歌》のCD解説書には「ミキシング担当:北見弦一」と、東京のスタジオでマルチ録音からミキシングを行ったエンジニア名がクレジットされている。
インバル盤には2つの後悔が残っている。1つはクライマックスの壮大な合唱とオーケストラ一体の演奏を歪なくCDに移し替えることを意図したため、通常の音量設定で聴くと冒頭のラヴェルを思わせるような、弱音で繰り広げられる色彩の豊かな演奏などが聴く人に伝わりにくく、「聴こえない、音が痩せている」と感じさせてしまう。音量が上げられる環境で聴くと納得頂けるのだが・・・、商品として記録レベルをどう設定するか、悩ましい問題を突きつけている1枚である。
もう1つはジャケット・デザイン。刷り上がり見本の段階で見て、全体が暗い、欧文文字が読みにくい(海外で販売するには読みやすい欧文が必須)ことに気付き修正を求めたが、全面的な変更にはならなかった。特に新聞や雑誌で白黒印刷のページで紹介されると、なんだかよくわからないジャケットになってしまう。
この曲をウニヴェルザール社のオーケストラ・スコアを眺めながら聴くとほとんど最後に登場する独唱者「語り手」の音符表記が他と違うことに気付く。(P164~)。他のパートの音符の書体が少し太いゴシック体とすれば、語り手の音符だけが細い、明朝体のようだ。この部分はシェーンベルクが考案したシュプレッヒゲザング(話す歌)という手法で、あたかも「独唱者はこの音符が基本だが、語るように歌ってほしいから、多少の自由は認めます」という作曲家の意思を目に見える形で現している。
CDのスタッフ欄にはこの年入社したばかりの國嵜ディレクターが音楽編集担当として記載されている。上演・録音機会の少ないこの曲の楽譜と演奏を丹念に照らし合わせて音楽を組み上げていく、滅多にない編集体験の中で、シュプレッヒゲザングの楽譜表記法には「なんだ、これは?」と驚き、シェーンベルクがこんなにも壮大でロマンチックな曲を作ったが為に「ゲンダイ音楽」の祖となっていったことを編集しながら実感したことだろう。

(久)

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