音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.16

クラシックメールマガジン 2014年8月付

~楽しいクラス替え ~「原子心母の危機」モルゴーア・クァルテット~

モルゴーア・クァルテットのプログレッシブ・ロックのカバーアルバム第2弾、「原子心母の危機」のディスクをプレーヤーのトレイに載せた時の私の心持ちは、クラス替えを翌日に控えた小学生のそれに近いものがありました。
明日から通う新しいクラスの名簿を見ると、名前と顔くらいは知っているけれど、まだ一度も同じクラスになったことのない子がいる。彼はとても早熟で頭が良く、いつも難しいことを言ったり突飛な行動をして周囲を驚かせることが多く、みんなから「プログレ君」と呼ばれて一目置かれている。私は、これまで接点のなかったプログレ君と仲良くなれるといいなという期待に胸を膨らませる一方で、気難しい一面をもつ彼と馴染めるだろうか、もしかしたら嫌われたり、馬鹿にされたりするんじゃないだろうかという不安が心をよぎる…。
といったような距離感のある音楽をこれから聴く訳です。どの曲も名前くらいは聞いたことはあって、オリジナルのバンド(キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、ジェネシス、エマーソン・レイク&パーマー、イエス)は多少は知っているのだけれど、ちゃんと聴いたことは一度もありません。
でも、私には心強い味方がいます。そう、言うまでもなく、モルゴーア・クァルテットです。みんなから「モルゴーア君」と呼ばれている彼は、ショスタコーヴィチの音楽をこよなく愛している私にとっては話の合う親しい友人。しかも、彼は行動範囲が広くて友人も多く、例のプログレ君ともとても仲が良い。そんな彼が間に入ってくれるのなら、初めて同じクラスになるプログレ君との会話をとりもってくれて、すんなり友達になれるかもしれない。そう言えば、2年くらい前だったか、同じ顔触れで公園で「21世紀の精神正常者」というお面をかぶって一緒に遊び、とても楽しかった記憶はある…。
というような、何だかとても妙な感覚に包まれながら「原子心母の危機」を聴き始めたという訳です。要するに、プログレ初心者のクラシック・ファンが、プログレの名曲を弦楽四重奏にアレンジしたものを聴いたに過ぎないのですが、馴染みのないジャンルの音楽を聴く時にはこうして身構えてしまうものなのだなあと思わず苦笑してしまいました。
さて、私はこの「原子心母の危機」のアルバムをとても楽しみました。その理由は、まず旋律の美しい曲が多いからです。
例えば、トラック3の「堕落天使(キング・クリムゾン)」の冒頭(イントロで「平和」というナンバーが演奏されている)でチェロとヴィオラが奏でる「堕落天使」冒頭の哀しげな旋律や、トラック4の「ザ・シネマ・ショウ~アイル・オブ・プレンティ(ジェネシス)」や、トラック5の「トリロジー(ELP)」で随所に聴くことのできる旋律は、コアなプログレのファンである荒井氏からは「おセンチ」と評されるような甘美で抒情的なもの。私にとっては、ポップ、あるいはロマンティックとさえ感じられるようなもので、もともとそんなテイストの音楽が好きな私にはとても親しみが持てるものでした。
美しい旋律を彩るハーモニーにも、ハッとするようなところがたくさんあります。
特に、前述のジェネシスのナンバーの静謐な部分では、イギリスの代表的な作曲家の一人、フレデリック・ディーリアスの音楽にも似た、清涼感に満ちた大気が草原に漂うような和声の動きがあって心地良い。プログレのアルバムではクラシックの教育を受けた作曲家がアレンジを担当するケースも多かったようなので、それを再アレンジしたものがクラシック・ファンの私の耳に馴染みやすいのはなるほど納得のいくことなのかもしれません。そういえば、最近、ジェネシスの1969年以来のキーボーディスト、トニー・バンクスが書いたオーケストラ曲のCDを聴き、マーラーやディーリアスを思わせるような美しい曲があったのを思い出しました(もっとも、オーケストレーションは別の人がやったそうですが)。
また、単に旋律やハーモニーが美しいというだけでなく、私が日頃聴き慣れたクラシック音楽と相通じるものを多く感じることができました。
例えば、アルバムのタイトルにも使われたトラック2の「原子心母」(20分以上かかる原曲を9分程度に圧縮)。これもやはり全体にとても美しい音楽なのですが、冒頭の圧力の高いハードな和音に続き、ヴァイオリン2本が拮抗し、はらわたがちぎれそうな哀しみをたたえた旋律を歌うあたり、あるいは、後半、7分30分前後から、ヴァイオリンが最弱音で特殊奏法でモゾモゾやっているところでヴィオラがモノローグ的にエレジーを歌うあたり、そして、オリジナルにもあるというチェロが甘美なソロを奏でるあたりは、ひんやりと透き通った極北の音の世界。それはもう、ほとんどショスタコーヴィチの後期の弦楽四重奏曲(よく考えると、ほぼ同時代の音楽!!)の世界なのです。
20分近くを要するトラック6、イエスの「危機」にもそうした場面があります。
冒頭、鳥の鳴き声を模した幻想的なパッセージ(エフェクトなしですべて楽器の特殊奏法などで再現されています)が終わり、突如たたきつけるような激しい付点リズムが奏で荒れるあたりの動きは、ワーグナーの「ラインの黄金」の第3場、ヴォータンが地底のニーベルハイムへと下りて行く時の場面転換の音楽(途中で小人たちが黄金を鍛えるハンマーの音が響き渡る場面)を想起させます。確かにただごとならぬ「危機」が迫ってくるという切羽詰まった雰囲気。その後は、フリージャズのような即興的なソロがあったり、ヒーローものとか戦隊もので使えそうなかっこいい旋律が登場したりもしますが、チェロのフラジオレットを多用した摩訶不思議なサウンドスケープの美しさは、言われなければ現代作曲家の書いた曲だと信じてしまうかもしれません。現にアメリカの作曲家の作品にはこういう雰囲気を持った曲は結構あります。
アルバム最後、キース・エマーソンの美しくも哀しい「ザ・ランド・オブ・ライジング・サン」は、もうジャンルなどを易々と超えてしまった気高い音楽です。
クラシックだポピュラーだ、プログレだポップだとジャンルで音楽の優劣をつけることの愚かしさを思い知らされずにはいられません。
そして、これは聴く前から予想できたことですが、ドラムのビートはなくとも、いや、だからこそ、どの曲もリズムの面白さが際立っていたような気がします。4人がここぞとばかりに激しく斬り込むアタック、目まぐるしいリズムや拍子の変化に俊敏に反応して作り出される鮮やかなシーンチェンジ、いずれも快哉を叫びたくなるほどの目覚ましさです。編曲の良さ、演奏の良さの両方が相まって、ロックの生命線とも言えるヴィヴィッドな鼓動に心が湧き立つ思いです。
こうしてアルバムに収められた全7トラックを聴き終えた時には、私はプログレ君とモルゴーア君のいる新しいクラスで、自分にとって心地良い居場所を見つけられたように思えました。プログレ君と親しく話ができて仲良くなれそうな気がするし、モルゴーア君ともこれまで以上に距離が縮まったという確かな実感がありました。
プログレ君ともっと仲良くなろうと思いました。最近、プログレ・ロックの名盤の数々は、最近高音質化されて再発売されてとても売れているようですし、イエスに至っては何とニューアルバムがリリースされている(当然、メンバーは相当に変わっていますが)。ですが、それらを購入するというのは経済的にもなかなか負担が大きいので、動画サイトでまずは原曲を聴いてみました。
原曲を聴くより前にモルゴーアの演奏を聴いておいて良かったと思いました。どういうことかというと、例えば、このアルバムのタイトルに使われ、私がとても気に入ったピンク・フロイドの「原子心母」。全部で20分以上もかかる長い原曲を聴いていて、「ああ、ここは元々はこういう音楽だったのか」と興奮にも似た感覚を得た一方で、「あれ、この金管、ピッチ悪くないか?」「この合唱、アマチュアだろうか?」みたいな減点法的な聴き方をしている自分がいることに気がついたのでした。
前述のイエスの「危機」もそうです。13分過ぎくらいからの重厚で圧倒的なクライマックスから急にテンポの早いコーダへとなだれこむあたり、モルゴーアの演奏ではショスタコーヴィッチの交響曲のように強大な力を放出する音楽に鳥肌が立つほどに感動したのですが、原曲を聴いてると「そこまでの前衛音楽みたいな音楽はただの偽装か?これが結論なら安っぽくないか?」みたいなややこしいことを考えて腕組みしてしまっていました。
そもそもピンク・フロイドもイエスも、これらの曲で「巧く演奏しよう」とか「きれいな音を出そう」というようなことを第一の目的としていたのではなく、「これまで誰も見たことも聴いたこともない音の世界をいかにして作り出すか」ということだけを考えて作ったに違いありません。それをまったく異なる立脚点からの不満で心を塗り潰してしまったりしたら、どうやったってプログレを楽しめる訳がありません。プログレ君からは「なんだこいつ、つまらないこと言うめんどくさい奴だな」と思われるだろうし、こちらも「ああ、プログレ君と自分とは住む世界が違うんだな」とコミュニケーションを諦めてしまうかもしれなかった。
原曲のプログレ・ロックとしてのエッセンスを、クラシック音楽のファンにも馴染みの深い音で凝縮した形で表現した優れた編曲で、高度な技術を駆使して曲の一番奥底にある「スピリット」を伝えてくれるモルゴーアの演奏をあらかじめ聴いて、音楽の骨格の美しさ、作り出した音空間の奥行き、イメージの豊かさをいわば「裸」の形で実感できていたからこそ、原曲を聴いて「うーん、演奏がちょっとねえ・・・」みたいな本質からずれたところに囚われることなく、プログレ・ロックをそれなりに自分のものとして聴き、感じ、考えることができたように思います。
私は、クラス替えで新しい友達ができた子供のようにとても嬉しい気持ちで、これまで接点のなかった友達との対話を始めていますし、これからもプログレ君とは仲良くしていきたいと思っています。
伝え聞くところによると、このアルバムへの反響は、プログレ・ファンからのものが多いそうなのですが、先日の浜離宮での昼夜二回のコンサートはお客さんの入りも良く(夜の部は完売)、会場でのCD即売会での売れ行きも記録的なものだったとか。各種チャートを見てもセールスも上々のようですから、きっと私のように、モルゴーア君を介してプログレ君と幸福な出会いをしているクラシック・ファンはとても多いのだろうと思います。ですから、モルゴーアにも、そしてコロムビアにも、音楽界が元気になるような新鮮な「クラス替え」を促すような良いディスク制作を続けて頂きたい。私もそれを聴いてもっとたくさんの音楽との距離を縮め、これからの下り坂人生を心から楽しみたいと思っています。
ところで、「原子心母の危機」のジャケットは、ピンク・フロイドのアルバム「原子心母」の有名な牛の写真のパロディになっています。草原でお尻をこちらに向けた牛が振り返ってこちらを見ているという構図はほぼそのままですが、牛の頭部からお腹にかけては白骨化しています。我が家の娘たちが「怖いから夜見たくない」と言ってしまうくらいに不気味な前作のジャケットに比べれば、衝撃はマイルドになってはいますが、未曽有の原発事故の後の世界を生きる私たちにはなかなかに胸に迫るジャケットです。
以前、ヴィオラの小野富士さんに「精神異常者」のジャケットにサインをして頂いた時、「これ、4人でサインする場所の受け持ちがあってね、この顔の絵の左目の部分が荒井さん、右目が戸澤さん、藤森さんが鼻、ボクは口のとこなんだよね~」と言いながら、あの「スキッツォイド・マン」の口の部分にサインして下さったのですが、今回のアルバムでは皆さんどこにサインなさるのでしょうか。
これからの彼らのアルバムは、毎度そんなことを想像するのも楽しみの一つになるかもしれません。是非、次回作を楽しみにしています。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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