音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.17

クラシックメールマガジン 2014年9月付

~本職は、人間。~濱口祐自「フロム・カツウラ」~

濱口祐自というミュージシャンをご存知でしょうか?
6月にコロムビアからメジャー・デビューとなるアルバム「フロム・カツウラ」が発売された新人ギタリストなのですが、ピーター・バラカンや細野晴臣といった人たちが彼の音楽を絶賛していることもあってメディアで取り上げられる機会が多く、ライヴ活動も活発に展開しています。かく言う私も音楽雑誌で彼の記事を読んで俄然興味を持ち、CDを購入して早速聴いてみたのですが、これがとても良かった。
世間一般に濱口はブルースギタリストと呼ばれていますし、「フロム・カツウラ」はコロムビアのHPではジャズ/フュージョンのディスクとして扱われていますので、いわゆるクラシックのCDではありません。ですが、内容があまりにも素晴らしいのと、エリック・サティの曲も収録されているという言い訳ができるので、今月はこのディスクについて書きたいと思います。
濱口祐自は、新人とは言っても既に還暦近い人です。那智勝浦で生まれ、十代の頃からギターを弾き続けているそうですが、様々な職業を経験した後、今はノマド的生活(非定住生活)をしながらギターを弾いているのだとか。アルバムは1997年に自主制作したものがあるだけでしたが、彼がネットに投稿した動画をプロデューサーの久保田麻琴が見て興味を持ち、トントン拍子でメジャー・デビューと相成った由。
彼が長年ライヴで愛奏してきた曲を集めた新盤「フロム・カツウラ」に収められているのは、濱口自身の手によるブルース、カントリー、ラグタイムなどのテイストをもったオリジナル曲がメインですが、他に「テネシー・ワルツ」や「黒いオルフェ」といったスタンダードや、「アメイジング・グレイス」、サティの「グノシエンヌ第1番」といったバラエティに富んだ曲が取り上げられています。さしずめジャンル・国籍不明のゴッタ煮アルバムといったところでしょうか。
正直言うと、そんな多彩な内容のアルバムの特徴を、端的な言葉で表現するのはとても難しい。まったくタイプの異なる曲が並んでいるだけでなく、濱口のギターからは無尽蔵とも言えるほど多彩な音が聴こえてきてくるからです。
ブルースギターに疎い私でも容易に感じ取れるほどに高度なテクニック、特に多くのファンを魅了したという強烈なフィンガー・ピッキング、あるいは、竹製のものも使っているという愛用のギターたち固有の音色、いろいろな要因が複雑に絡み合い、長い時間をかけて練り上げられ、じっくりと熟成されて出来上がったであろう音たちがどんどん耳に飛び込んでくる。次は一体どんな音が聴こえてくるのだろうかと身を乗り出して聴き入っているうち、あっという間に時間が過ぎてしまう。これは素晴らしいと味をしめて繰り返し聴くのですが、また聴くたびに新たな発見があって飽きることはない。濱口のもっている音楽の引き出しの多さ、そして彼の音楽のキャパシティの大きさに圧倒されずにはいられません。
そんなふうに全方位的に内容の濃い「フロム・カツウラ」を聴いて、私はいつも岡本太郎の言葉を思い出さずにいられません。絵を描き、文章も書くあなたの本職は一体何なんだという質問に対して、「本職?そんなのはありませんよ。バカバカしい。もしどうしても本職って言うんなら、『人間』ですね」と答えたという有名な言葉。
この言葉から感じられる「自分は何者でもないただの人間である、自分の生み出す作品は人間としての営みの結果にすぎない」という潔さ、すがすがしさ、そして人間くささがたまらなく魅力的で、岡本太郎の作品や言葉からはそれが如実に感じ取れるのですが、濱口の奏でる音楽にも同質のものがあるように思います。
濱口の音楽について書かれているのではないかと思えるような岡本太郎の文章があります。
例えば、「美しく怒れ」(角川書店)に収められている「人生は遊び」という章に「無条件に遊べ」という言葉があるのですが、濱口の音楽には、まさに無条件に大好きな遊びにのめり込み、寝食も忘れてとことんまで遊んでしまう子供のような純真さがあります。濱口は、まさにその「無条件に遊べ」という言葉を身をもって実践しているのです。
また、同じ本の「子供こそ人間」という章には「大人といったって、誰でもがかつては子供だったくせに、どうしてこのように燃え上がった精神の痛み、そして歓びを、まったく忘れてしまっているのだろう」という文章がありますが、濱口の音楽からは、子供だけが持つ、大人が忘れてしまった「精神の痛み、歓び」が生きたものとしてリアルに感じられるのです。
思うのですが、これまでの人生でマグロ船乗組員、体操教師、クラブ・オーナーなどの職を経験し、メジロ博士、竹林研究家、そして作曲もするギタリストといった実に多彩な顔を持つ濱口も、本職は?と聞かれたら、やはり岡本太郎と同じく「人間」と答えるのではないでしょうか。
濱口祐自のどこまでも純粋な好奇心や冒険心、探究心に衝き動かされた結果生まれた音楽は、人と音楽への愛情が満ち溢れていて、人間くさく、やはりとても魅力的です。商業的な成功だとか名声なんてものには執着は全然ない、ただ好きな音楽が好きなだけやれればそれでいい、というような「ありよう」は、現実ではあり得ないような「男はつらいよ」の寅さんの世界ですが、私などはだからこそ心から共感し、憧れてしまいます。
自分の本職は人間なんだとすっかり肚を決めた人の音楽の前には、彼がどんな属性をもった人なのか、彼がやっている音楽がどんなジャンルやカテゴリーに分類されるかなどはまったく些末な問題でしかありません。この文章を読んで下さっているクラシック音楽のファンの方の中にも、私と同じように濱口のギターに魅了される方は、少なからずおられるはずと確信を持っています。
さて、個々のナンバーについて、少しだけ触れておきます。
スライドギターで奏でられるジャジーなブルースは、アメリカの名ギタリスト、ライ・クーダー(彼も濱口の音楽を絶賛しているそうです)の音楽を想わせるものですが、本家本元でさえも後ずさりしそうなギターの技量を味わえるブルースもいいですし、グルーヴ感あふれ、聴いているとつい体が動いてしまいそうなラグタイム・ブルースも魅力的です。
サティの「グノシエンヌ」もとても素晴らしい。サティの音楽というと、解釈を拒むというのでしょうか、「何かを表現しているようで、実は何も表現していない、作曲家が音の向こうからあっかんべえしている」というようなちょっと突き放したところがありますが、濱口のギターで聴くと、聴き手の感情に何かを積極的に働きかける「何ものか」としての音楽ではなくて、ただそこにある音楽という立ち位置で聴き手に黙って寄り添うような雰囲気が際立ってきます。実はこれこそサティの音楽の一番おいしいところであって、他の幾多のピアニストよりもよほどその本質をよく捉えた演奏なんじゃないかと思えてきます。
また、「アメイジング・グレイス」で聴ける澄んだ音色も魅力的ですが、個人的には「せつない香り」、「遠足」あたり、しみじみとした情趣の美しい音楽で、中毒性があって気に入っています。夕暮れ時、オレンジ色の夕陽を見ながら、家族の待つ家へ帰る時に(なんていう時間帯に帰宅するケースはほとんどないのですが)聴きたい、あたたかい音楽。
濱口のキメ言葉、口癖は「ええのう」なのだそうです。確かに、「フロム・カツウラ」の宣伝用動画や、動画サイトに投稿されたライヴ映像のMCでも、彼はかなりの頻度で「ええのう」と言っていますし、ご自身のお気に入りのアルバムについて書いた文章でも、「ルービンシュタインのショパンはええのう」「マイルスの『カインド・オブ・ブルー』はええのう」などと「ええのう」を連発しています。ゴチャゴチャ能書き垂れるより、しみじみと実感のこもった「ええのう」の方が、よほどその音楽の良さが伝わるとでも言いたげ。
きっと、濱口は「ええのう」と言える対象をたくさん持ち、毎日の生活の中でも何度も口にしている人なのでしょう。だからこそ、好きな音へのあくなき探求を続けるのだろうし、様々な種類の音楽を軽々とジャンルの壁を越えて自分のものとして弾いてしまうのでしょう。
彼の音楽に出会って、人生の質というのは、生きている間に、何回「ええのう」を言えるかによって決まるのではないかと思うようになりました。ならば、これから人生下り坂にさしかかっても、少しでも多く「ええのう」を言える人生を送りたいと思います。そして、「ええのう人」として生を享受し、最期には「この世もええけど、あの世もええのう」と言えるような、そんな人間に私はなりたいです。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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