音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.21

クラシックメールマガジン 2015年1月付

~ 「人」を聴く喜び ~ イリーナ・メジューエワのグリーグとメンデルスゾーン~

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
先月の本欄で、最近「レコード芸術」誌に日本コロムビアの広告が掲載されないケースがあると書きましたが、最新の2015年1月には広告が出ていました。今月は、川瀬賢太郎指揮東京佼成ウィンドオーケストラの演奏するマーラーの「巨人」(吹奏楽版)、もうすぐ発売されるバッティストーニ指揮のイタリアオペラ管弦楽曲集と並び、コロムビアのおなじみの廉価盤シリーズ「クレスト1000」に追加された15点が紹介されています。
かつて一世を風靡した名盤や、高く評価されながらも諸々の事情で廃盤になってしまっていた「幻の名盤」が1000円(税抜き)で入手できるクレストシリーズ、「スペシャル15」と銘打たれたラインナップには、今まで入手困難だったということが信じられない、いや、信じたくない名盤が並んでいます。中でも、インバルとフランクフルト放響のブラームスの4番とウェーベルン、田部京子のシューマン、アファナシエフのリストは注目度が高いと思われますが、ピアニスト、イリーナ・メジューエワのデビュー当時の3枚のディスクの久々の復活は広く歓迎されているのではないでしょうか。
今回リリースされたのは、95年録音のデビュー盤(メンデルスゾーン、ショパン、メトネル)、97年録音の第3作(ラヴェル、ショパン、スクリャービン)、98年録音の第4作(バッハ、ベートーヴェン、シューマン)の3枚。今、どこのCDショップへ行っても、あどけなさを残した可憐なメジューエワを写したジャケットが印象的なこれらのアルバムがリイシュー(再発売)新譜コーナーの目立つところにたくさん並べられているので、既に入手されたファンの方も多いことと想像します。
かく言う私自身も、その一人です。私はメジューエワの大ファンを自認していますが、彼女の演奏の素晴らしさに気づいたのは、恥ずかしながらこの6年くらい前のこと。近年、別レーベルからリリースされたショパンやベートーヴェンのアルバムを聴いて大きな感銘を受けたのがきっかけでした。コロムビア時代の彼女の録音はリアルタイムには僅かしか聴いておらず、彼女の演奏の素晴らしさにも気づけていなかったのです。今回復活した3枚のアルバムもどれも持っていませんでしたから、これ幸いと入手しました。
しかし、今回のこの欄では、待望の復活を果たした彼女の初期録音ではなく、既にクレストで発売されていた旧譜、2000年録音のグリーグの「抒情小曲集(抜粋)」について書きたいと思います。再発売された3枚のアルバムを聴いて彼女の演奏に深い感銘を受けたのをきっかけにして、手持ちのコロムビア時代の彼女の演奏を片っ端から聴かずにいられなくなり、聴き直してみて最も深く印象に残ったのが、発売当初から聴いていたグリーグだったからです。
彼女の弾くグリーグを聴き直してみて、気がついたことがあります。それは、私にとってのメジューエワの演奏の最大の魅力は、その「文体」にこそあるということです。
グリーグの「抒情小曲集」は、御存知の通り、とても親密で優しい言葉でつづられた詩的な音楽です。大きなコンサートホールで不特定多数の人に向けてアピールするのではなく、小さな空間で親しい人たちと共有して楽しむことを目的として書かれた音楽。凝りに凝った作曲技法を駆使して書かれた訳でもなければ、ピアニストが技量を誇示したくなるような超絶技巧が盛り込まれた訳でもなく、ごくごく日常的な庶民の生活や会話をそのまま音にした(と言っても高度に洗練されたものではありますが)といった趣の曲集です。
メジューエワは、そんな親密な音楽だからといって、馴れ馴れしい口調で語ったり、安易な表現をとったりするようなことは決してしません。一つ一つの音を慈しむように丁寧に奏でていて、「敬体(です・ます調)」の文体で言葉を紡いでいるかのようです。
一口に文体と言っても、ただ「敬体」か「常体(だ・である調)」で語っているかだけを指すのではありません。文体とは、言葉の選び方や配置、文章の組み立てなどさまざまな要素が絡み合って出来上がるもの。音楽も同様で、音の組み合わせやフレーズの組み立てなどの様々な要素が音楽の文体というべきものをを形成していますが、それは作曲家自身の持つ文体であるはずです。演奏家はその文体を無視して自分勝手な演奏をすることはできません。しかし、演奏行為によって音楽が新たな生命を得るという場合、演奏家がどれほど作曲家の文体を客観的に表現することに注力してたとしても、演奏家の視点が存在する限り、どうしても演奏家自身の文体が漏れ出してきます。
例えば、グリーグの「抒情小曲集」の名盤として名高い、メジューエワの偉大な先達であるギレリスやリヒテルの録音を聴けば、そこに彼ら独自の文体が存在することに気づきます。ただ、彼らの文体は「常体」であり、音楽のファンタジーは言葉を切り詰めた暗喩で表現されています。飛躍の多い詩的な表現には高貴とさえ言える佇まいがあり、そこにこそ彼らの演奏の素晴らしさ、偉大さがあって、聴いて心を揺さぶられることが多いのは確かですが、疲れた時に聴くと、自分の弱さを叱られているような心持ちになって聴き通せないことがあるというのも正直なところです。
一方で、メジューエワの文体はというと、例えば、リヒテルやギレリスが表現する「寒さ」が、単刀直入に「寒い」という武骨な口調で語られる独白であるとするならば、「寒いですね」というような語り口の、聴き手への優しい気遣いを感じさせる問いかけであると言えます。聴き手に媚びを売るような安直な問いかけなどでは決してなく、「寒さ」を通して、自然の厳しさと、自然を前にした人間という存在の小ささを深刻なものとして感じてしまうような繊細な感受性をもった人の、心の底からの実感に満ち溢れた敬体の問いかけ。
考えてみると、敬体の音楽を奏でるというのは、とても難しいことのはずです。ただ単純に「です・ます調」で語っただけでは、棒読みの味気ない音楽になってしまったり、分かりやすさを重んじるあまりに過度に饒舌になってしまったりして音楽のファンタジーを殺してしまうでしょうし、いつも噛んで含めるような口調で語るのは、分かりきったことをいちいち細かく説明するような煩わしい音楽になるリスクを孕んでいるからです。
メジューエワは、そうしたリスクを十分に認識した上で、敢えて敬体を基本にして、丁寧に明晰に演奏しつつ、決して音楽の品位を損なわないようにするというとても困難な課題に真摯に取り組んでいるように思えます。そして、自らに課した問題を解決することによってこそ、音楽に新たな生命を吹き込むことができると考えているのではないでしょうか。そんな彼女の姿勢はデビューから今に至るまで一貫していますが、コロムビア時代の彼女の最も目覚ましい成果がこのグリーグの抒情小品集であるように私には思えるのです。
でも、どうしてグリーグなのでしょうか?彼女が得意とするメトネルではなく、どうしてグリーグが最も私の印象に残ったのでしょうか?
グリーグの抒情小曲集は、技術的にも構成的にもシンプルな曲が多く、演奏家が音楽を必要以上に飾り立ててしまう誘惑がある上に、ノルウェーのローカルな文化を背景にして生まれた音楽なので、音楽の持っている固有のリズムや語法といった前提を聴き手にある程度説明する必要もあります。簡潔な音楽だからこそ持つことのできる香り高い芸術性を壊さないようにしながら、分かりやすい言葉で広い層に語りかけるという彼女が取り組んでいる課題に対して、最適な落としどころを見つけるのがとても難しい作品であるとも言えます。
しかし、見方を変えれば、そんな音楽だからこそ、作曲家と演奏家の異なる文体が触れ合って起こる化学反応という、再創造という営みの最も根源で発生するものを直接的に体験することができる。デビュー盤から順番に彼女の演奏を聴き、移籍する少し前に録音されたグリーグのアルバムに到達したところで、時を追うごとに如実に感じ取られた音楽の深まりは、彼女の音楽の文体がゆっくりと熟成されていく過程だったのだということに思い至り、私にとっての彼女の音楽の魅力の根源が何であるのか、今頃になってようやく腑に落ちた。そんな訳で、このグリーグのアルバムがとりわけ印象に残ったのだろうと思います。
しかも、彼女のグリーグの素晴らしいところは、厳しさ一辺倒ではなく、その飾らない語り口から、柔らかい笑顔をたたえた演奏家の「素顔」が感じられることです。それこそは私がグリーグの音楽に対して感じている親しみや愛着、魅力と同質のものです。
また、「他人に優しく、自分に厳しく」を実践している人の笑顔は聴き手にとっては心に沁みますし、親しみを込めて丁寧な言葉で話しかけられたら、それがたとえ初対面の人であっても相槌を打ちたくなるのが人情。かくして音楽の作り手である作曲家と演奏家、そして聴き手の間での対話が生まれる。
いつもメジューエワのコンサートが終わった後に漂うあたたかい会場の空気、演奏の感想を熱く語り合う人たちや、サイン会でメジューエワに(日本語で!)話しかける人たちの笑顔は、まさに音楽による対話を楽しんだ人たちの幸福感から生まれるものなのであって、このグリーグのアルバムでもその幸福感を感じ取ることができるのだと言えば、彼女の実演に接した方なら大きく頷いて頂けるのではないでしょうか。
アルバムに収録された個々の曲について細かく述べる余裕はありませんが、例えば、「あなたのおそばに」に、彼女の演奏の魅力が最も顕著に現れている気がします。硬質なタッチから生まれる凛とした響きは絶妙のぺダリングによって一瞬たりとも濁ることはなく、彼女の折り目正しいフレージングの中から文章が紡ぎ出され、まるで手紙を読んでいるかのような感覚になります。その文章を何か具体的な内容をもったものとして感じることはできませんが、一つ一つの音を丁寧に大切に弾き込んだ音の連なりからは、それが音楽の作り手の真心から生み出された真実の言葉であることは痛いほど伝わってきます。他にも、アルバムのタイトルとなっている「夜想曲」での静謐であたたかい孤独も胸に響きますし、「小人の行進」や「トロルドハウゲンの婚礼の日」での豪快ながらも決して雰囲気や勢いで誤魔化すことのない表現はとても印象的です。
グリーグの録音からほどなくして彼女はコロムビアを離れ、新天地で活躍の場を見出し、文体にさらなる磨きをかけて素晴らしい音楽を聴かせてくれている訳ですが、こうして彼女の歩んできた道を聴き手として振り返ってみて、メジューエワという音楽家、いや、メジューエワという「人」の生きざま、ありようのようなものに触れ、彼女が一貫して守り続けているもの、追求し続けているものがデビュー以来20年近くの間ずっと変わらずにあり、それが彼女の音楽の「芯」になっているということを発見できたのは大変嬉しい体験でした。音楽を聴くというのは、音を聴くことであると同時に、「人を聴く」行為なのではないかと感じました。
コロムビアから出ているメジューエワのアルバム、グリーグの他にも素晴らしい演奏がたくさんありますが、グリーグと並んで強烈な印象を与えてくれるものとして、もう一つ、デビュー2作目のメンデルスゾーンの作品集を挙げておきます。
冒頭の「ロンド・カプリッチオーソ」からして、深々と沈み込むような響きが生み出す切実な情感に胸を打たれますし、数曲の無言歌で聴かせてくれるしみじみとした歌は、20代そこそこの若いピアニストが弾いているとはとても思えないほどに成熟したもので一度聴いたら忘れられません。メンデルスゾーンのピアノ曲といえば、初発売当時、コロムビアには田部京子の「無言歌集」という名盤が存在していたので少し影が薄くなってしまったのかもしれず、私も最近になってようやく聴いたのですが、これは大変に充実した内容を持つアルバムだと思います。
余談になりますが、このメジューエワのメンデルスゾーン作品集については、作家の村上春樹が高く評価していることを最近になって知りました。別の調べもののために中古で入手した1998年出版の「村上朝日堂 夢のサーフシティ」(朝日新聞社、絶版)という本の中にこんな一節を見つけたのです。
「こんにちは。犬のウィロウです。ハルキさんは昨夜「〆張鶴」を飲み過ぎて、そこでまだぐうぐう寝ているので、丁稚のイガラシさんに続いて、ぼくがやります。(略)ハルキさんは「メジューエワのメンデルスゾーンはすごくいいぞ」と言っておられました。メンデルスゾーンの好きな人は是非聴いてみてください。すごくルックスのいい若い女性ピアニストなので、お店でCDのジャケットを見るだけでもいいぞ--とぼくは思います」
(「苦手の自転車から一転50人抜きの村上鉄人走」~「村上朝日堂 夢のサーフシティ」所収)
この文章は村上氏が持っていたホームページ「村上朝日堂」に連載されていた「村上ラヂオ」1997年10月16日号の再録で、村上自身ではなくて犬のウィロウ(実際には丁稚と称するイガラシさん)が書いた文章なので、巷では話題になることはほとんどありませんが、ピアノ音楽への深い造詣でも知られる作家が、早い段階から彼女の演奏を高く評価していたということはもっと知られて良いことだと思います(文章の掲載時期からすると、同年5月に発売されたメンデルスゾーン作品集のことを指しているのは間違いないでしょう)。村上文学のファンであれば、氏が「すごくいい」と褒めていたのがどんな演奏か、ジャケットをCDショップで見るだけではなく聴いてみたいと思うでしょうし、実際に素晴らしい内容なので、メジューエワという音楽家と出会えるファンも多いのではないでしょうか。
年末年始、敬愛するメジューエワの演奏をたくさん聴き、私なりに多くのことを得ることができました。これからもずっと聴き続けたいと思える音楽家と出会えた幸運に、改めて感謝せずにはいられませんし、レコード会社を始めとして、彼女の活動を支える多くの人たちが、メジューエワという音楽家を大切に大切に育て、私たち聴き手に彼女の音楽を紹介し続けてくれていることにも心から感謝したいと思います。
コロムビア時代のメジューエワの録音、あと残る1枚、2000年録音のシューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」の復活を心待ちにしています。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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