音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.39

クラシックメールマガジン 2016年10月付

~抵抗と連帯の音楽 フサ/「プラハ1968年のための音楽」~ ブラフネク指揮東京佼成ウィンドオーケストラ~

チェコ出身のアメリカの作曲家カレル・フサ(1921~)の代表作「プラハ1968年のための音楽」を聴きました。 吹奏楽の世界では有名な曲なので御存知の方も多いと思いますが、「プラハ1968年のための音楽」は、1968年8月にソ連がワルシャワ条約機構軍(WTO)を率いてチェコスロヴァキアに軍事介入した「チェコ事件」への抗議を込めて書かれたものです。 恥ずかしながら、私にとっては縁遠いジャンルの音楽なので敬遠していましたが、限りある人生、未知の領域の音楽への窓を自ら閉ざしてしまうのはもったいないと思いたち、ヴァーツラフ・ブラフネク指揮東京佼成ウィンドオーケストラ(TKWO)の演奏による音盤(「吹奏楽燦選~フェスティヴォ」COCQ-85028)を購入して聴きました。
聴いてみて最初に驚いたのは、スメタナの連作交響詩「我が祖国」にも登場する「フス教徒の賛歌」が、全編にわたって何度も引用されていることです。不穏な静けさの中で異様な緊張が高まっていくときも、阿鼻叫喚の光景が繰り広げられるときも、その音楽の中心ではいつも「賛歌」が鳴り響いているのです。特に終楽章では、しつこいくらいに全楽器ユニゾンで何度も何度も繰り返される。
これは「抵抗の音楽」だと思いました。前述の「フス教徒の賛歌」は、15世紀にキリスト教改革を唱えたヤン・フスの教えを汲む人たちが歌っていたとされるもので、幾度となく隣国からの支配を受けたチェコの民衆の「抵抗」の象徴として広く知られているからです。
しかし、ブラフネク指揮TKWOの「プラハ1968年」の演奏からは、「抵抗の音楽」としての激しさや厳しさとは、ちょっと違うものが聴こえてくるような気がしました。
もっと澄んだ、あたたかくて、血の通った何ものか。響きが美しいとか、テンポにゆとりがあって表現にも過剰さがない、といったような音楽の表面上の特徴では語り尽くせない何かが聴こえてくる。
しかも、音楽のもつ温度や、やわらかさがあまりに自然で、よい意味で自己完結しているので、他のもっと刺激の強い演奏よりも、実はこちらの方が音楽の「真実」に触れているような気がしました。
フサの「プラハ1968年」について、少し違う側面から考えたいと思いました。
1968年というキーワードに着目し、当時、その時代の空気を吸って生きていた音楽を聴いてみることにしました。
逡巡の末、私が手にしたのは、ビートルズの「ヘイ・ジュード」でした。
「ヘイ・ジュード」は、1968年7月末から8月頭にかけて録音され、8月末、つまりチェコ事件の直後(アメリカが26日、イギリスが30日)に、アップルレーベル第1弾のシングルとして発売されました。瞬く間に、世界中で大ヒットしたのは言うまでもありません。
発表されたばかりのこの曲を聴き、深い感銘を受けたチェコの女性歌手マルタ・クビショヴァは、チェコ語の歌詞をつけ、自ら歌うことを決意します。
原曲は、ポールが、ジョンの息子ジュリアンが両親の離婚問題に悩んでいたのを励ますために書いた歌でしたが、クビショヴァは「人生はすばらしい人生は残酷 でも自分の人生を信じなさい 人生は私たちをあやつるけど悲しまないで」といった内容を、聴き手に呼びかけます。
こうして生まれ変わった「ヘイ・ジュード」は、翌年レコード発売され大ヒットとなりますが、暗に反政府的な批判を含んだ歌詞ゆえに、レコードは発売禁止の処分を受け、クビショヴァも追放状態になります。
しかし、「フス教徒の賛歌」同様、クビショヴァの歌った「ヘイ・ジュード」は、チェコの人たちが夢見た民主化のシンボルとして若者を中心に歌い継がれました。夢は潰えてしまったけれど、いつか本当の自由を自分たちの手で取り戻すのだという決意を込めて(その願いは、後の「ビロード革命」でようやく叶うこととなり、クビショヴァも復権します)。
「プラハ1968年」と、ビートルズの「ヘイ・ジュード」という二つの音楽の間に、何か共通するものがあるだろうかと思いをめぐらせながら、両者を何度も聴き返してみました。
私がたどりついたのは、「連帯」という言葉でした。
「ヘイ・ジュード」の後半のコーラス部分では、シンプルながらスケールの大きな旋律が何度も繰り返して歌われます。「悲しい歌だってもっとマシにできる」と、傷つき、悩んでいる人に向けて歌われた呼びかけが、もっと多くの人たちへと届くようにと翼を広げて羽ばたいていくような力に満ちあふれた音楽です。
壮大なコーラスが、果てしない熱狂のうちに繰り返されていくうち、誰もが参加できるオープンマインドな歌の輪はどんどん広がり、やがてアーティストと聴衆が一緒になってライヴ会場でコーラスしているような、一体感が生まれます。その感覚が、私の中で「連帯」という言葉を呼び起こすのに違いありません。クビショヴァが「ヘイ・ジュード」を歌ったのは、その音楽が生み出す「連帯」に望みを託し、逆境にある同胞に向けて「希望を捨ないで!」と叫びたかったからなのではないでしょうか。
ビートルズとクビショヴァの歌った1968年の「ヘイ・ジュード」を捉えた耳で、あらためて「プラハ1968年」を聴いてみると、これもまた「連帯」の音楽であるような気がしてきました。
前述のように、「プラハ1968年」では、「フス教徒の賛歌」という抵抗を象徴する音楽が執拗に引用されています。勿論、西側に住むチェコ人作曲家の、ソ連と国際社会に向けての批判、告発の意図がそこにあるのは間違いありませんが、それはむしろ作曲者からの祖国に住む人たちに向けた「連帯」のメッセージだったのではないかと思うのです。
離れた国にあっても、私は祖国のことは忘れない。私の心は、いつもチェコの人たちの心とともにある。激しい怒りは、いまは自らの肚に収め、いつか自分たちの国を建設するのだという願いを掲げよう。どんなに苦しくとも、明るい未来を夢見て、希望を捨てずに生きてほしい。ヤン・フスの残した「真実は勝つ」という言葉を忘れないで!
そんな呼びかけが、ブラフネク指揮TKWOの演奏する「プラハ1968年」から感じた「あたたかさ」の正体なのかもしれないと思い当たったとき、この曲は、ソ連の軍事介入その日の情景を彷彿とさせるというようなスペクタクルでは片づけられない、もっと人間の奥深い心の営みの結果生まれた音楽として、そして、何より聴き手に「連帯」を呼びかける音楽として、とても身近に感じられるようになりました。
「プラハ1968年のための音楽」と「ヘイ・ジュード」を交互に聴いていると、作り手の意図に関わらず、「音楽と政治」が深い関係を結ぶことはあるのだなと痛感します。
しかし、歴史が証明しているように、時の権力者や為政者たち、あるいは社会を転覆しようと企む勢力が、音楽への熱狂と興奮を利用して我々民衆を誤った方向へと扇動することがあります。
だから、「音楽を政治に利用する」行為には、私たちはいつも警戒せねばなりません。たしかに「音楽に政治をもちこむな」とストイックな態度をとるのも一つの見識です。しかし、音楽と政治は、実は親和性が高いのだとはっきり認識した上で、政治と関わりをもった音楽に目を背けず、まっすぐに向き合って聴き、作り手から差しだされているものが一体何なのかを見きわめ、自分の頭と心でそれを聴いた自分は次に何をするかをよく考える習慣を身につけておかなければ、気づかないうちに簡単にもっていかれてしまうような気がします。
その意味でも、「プラハ1968年のための音楽」は、私たち聴き手にとっても大きなヒントを与えてくれる重要な作品である、と私は確信します。
「プラハ1968年のための音楽」をめぐって、とても得難い体験をすることができました。聴けて良かったとしみじみと思います。吹奏楽がお好きな方々だけが知っているというのでは、まことにもったいない(近く、下野竜也指揮で作曲家自身の手によるオーケストラ版の実演が聴けるそうです)。
最後に、この「吹奏楽燦選~フェスティヴォ」というアルバムですが、フサの作品以外に収められたフチークのマリナレッラ序曲(オリジナルは管弦楽)、ネリベルの諸作品も、曲、演奏ともに素晴らしいものでした。特に、ネリベルは、吹奏楽ファン以外にはあまりなじみのない作曲家ですが、機敏なリズムと、輝かしいサウンドがとても魅力的でした。吹奏楽音痴の私ですが、これを機に、TKWOの他のアルバムも是非聴いてみたいと思っています。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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