音盤中毒患者のディスク案内

音盤中毒患者のディスク案内 No.61

クラシックメールマガジン 2018年8月付

~隠れた名盤 ~ マルティヌー/戦場ミサ、ヤナーチェク/アマールス マッケラス指揮チェコ・フィルほか~

今月は、サー・チャールズ・マッケラス指揮チェコ・フィルによるマルティヌーの「戦場ミサ」と、ヤナーチェクのカンタータ「アマールス」を組み合わせた一枚(COCO-73267)をご紹介します。1985年プラハでデジタル録音されたスプラフォン原盤のディスクで、2011年、初発売以来25年ぶりに再発売されたものです。
こんなことを言うと通ぶっているみたいでいささか気が引けるのですが、これは「クレスト1000」シリーズの中でも屈指の「隠れた名盤」ではないかと思っています。両曲とも演奏機会が少なく、入手可能な音盤も数点という超マイナーな存在ながら、曲も演奏も掛け値なしに素晴らしいものだからです。
ボフスラフ・マルティヌー(1890~1959)が「戦場(野外)ミサ」を書いたのは、彼がパリで活動していた1939年12月のことでした。ナチス・ドイツによる故国チェコスロヴァキアの解体、第二次世界大戦の勃発の報に相次いで接したマルティヌーは、友人で詩人のイジー・ムハ(またはミュシャ。有名な画家アルフォンスの息子)の提案を受け、南フランスで組織されたチェコ義勇軍のためにミサ曲を作曲することにしました。
ミサとは言え、典礼文は僅かに歌われるのみで、実質的にはムハの詩と新・旧約聖書をテキストとしたカンタータです。5つの部分が切れ目なく演奏される25分ほどの曲で、野外でも演奏できるよう、管・打楽器のみの小管弦楽と、ピアノ、ハーモニウム、そしてバリトン独唱と男声合唱という特殊な編成のために書かれています。
声楽はチェコ語による歌唱で、スラヴ的な音律が使用されていることもあり、ユニークな色彩と響きをもった作品に仕上がっています。時折不気味で陰鬱な曲想が現れることがありますが、晦渋さはなく、全体に非常に聴きやすい音楽であると言えます。
しかし、何しろ祖国の解放を目指して立ち上がった同志のために書かれた曲です。聴き手の心を鼓舞するかのように、激しく盛り上がる場面が随所にあります。トランペットのファンファーレと、9種の太鼓連打を背景に歌う男声合唱の勇壮な響きを耳にすれば、これが「戦争」と深く結びついた音楽であることを痛感せずにはいられません。
最も顕著な例は、第4部冒頭、旧約聖書の詩編44に基づく「われらの神よ!」の高らかな合唱でしょうか。あるいは、第5部のクライマックスで、オーケストラの強奏を背景に「遥かなる故郷!」と合唱が呼びかけるあたりの厳粛な音楽も同様です。
この曲の声の主は、義勇軍の兵士なのでしょう。彼は蹂躙された祖国を敵の手から取り戻すことを誓い、神に加護を求めます。同時に、苦境にある祖国に向け、あなた方を守るために軍勢が立ち上がったのだと呼びかけてもいる。
しかし、そんな勇ましい内容の詩をテキストとしながら、マルティヌーは敵への憎悪と戦意を煽り立てるような曲にはしていません。
第5部のクライマックスの後、短い管弦楽の間奏に続くアカペラ(21分12秒)から末尾にかけて、ゆっくりと鎮まっていく音楽を聴いて頂きたい。
確かに、そこではバリトン独唱が「仇なす者どもを懲らしめ(略)まことをもって彼らを滅ぼし給え!」と歌い、戦いへの強い決意を表明してはいます。
しかし、ここで聴くことができるのは、復讐の名を借りた「破壊」への意志を漲らせ、憎き敵を殺せ、自己犠牲も厭うなと兵士を焚きつけるような音楽ではありません。戦地へ赴く兵士が自分自身を奮い立たせる音楽でもなければ、自国民族の優位性を主張する血に飢えたナショナリストたちの雄叫びでもありません。
そこにはただ、「平和」を祈るあたたかいヒューマニズムに貫かれた音楽がある。
戦火を暗示する遠い太鼓の音が鳴りやむと、最後にアカペラの合唱が「天にましますわれらが父よ!アーメン!」と歌います。バリトンが放った力強い言葉は、その優しささえ感じさせる柔らかい合唱の響きの中に融けていく。どうか私たちを見捨てないでください、私たちを生きて祖国へ帰らせてくださいという神への懇願と祈りが耳に焼きつけられます。
マルティヌーの「戦場のミサ」とは、暴力で他者を屈服させようとする人たちを前に、一輪の花を手に対話しようとする人たちの目線で書かれた「反戦」または「厭戦」の音楽であると、私には思えてなりません。実際にマルティヌーがそんなことを意図して書いたかどうかは分かりませんが・・・。
ところで、この「戦場ミサ」は戦時中には演奏機会はなく、初演は1946年2月28日、ラファエル・クーベリック指揮チェコ・フィルの演奏会とされています。
しかし、この曲の詩を書いたムハの最初の妻ヴィーチェスラヴァ・カプラロヴァーの評伝によれば、1939年12月8日、マルティヌーの50歳の誕生日を祝う私的な集いの招待状には、この曲の初演が予定されている旨の記載があるそうです。そこで本当にミサが演奏されたかは不明ですが、どこかに記録が残っているのかもしれません。
また、James Rybkaによるマルティヌーの評伝には、この曲がイギリスからチェコに向けて放送されたとあります(海外Wikipediaやホロコースト関連のHPの記載と一致)。確かに、1939年9月より、BBCはチェコ亡命政府本部からヨーロッパ本土に向けて短波放送を発信していました。チェコの音楽を流す番組もあったそうです。ですから、そこで「戦場ミサ」が放送された可能性はゼロではありません。しかも、イギリス発の電波はドイツでも傍受され、それが原因で非ユダヤ人のマルティヌーの名前がナチスのブラックリストに載ったとされています。実際の放送記録は見つけられませんでしたが、それなりに信憑性のある話だと思います。
それがもし本当だとしたら、当時この曲を聴いたチェコの人たちは、「戦場ミサ」をどんな気持ちで受け止めたのでしょうか。最後の「アーメン」の響きに触れて何を想ったでしょうか。想像を巡らせずにはいられません。
名指揮者ヴァーツラフ・ターリッヒの弟子で、終生チェコの音楽を得意としたマッケラス(1925~2010)が指揮するチェコ・フィルの演奏は、ただ素晴らしいの一語に尽きます。マルティヌーの音楽の語法や書法の中に普遍的な美質を見出し、チェコ・フィルからそれを確実に引き出す彼の巨匠芸には感服するのみです。ジーテクのバリトン独唱とチェコ・フィル合唱団はスラヴ人特有の発声の癖はなく、とても聴きやすい。特に合唱の透明感溢れる響きの美しさと言ったら!
八月に、過酷な歴史の記憶に向き合って物思うとき、私はこの演奏をずっと聴き続けたいと思います。
さて、このアルバムには、レオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)の珍しいカンタータ「アマールス」が収められていることにも大きな価値があります。マッケラスと言えば、1980年代にヤナーチェクのオペラを相次いで録音し、世界じゅうにその魅力を知らしめたスペシャリストです。そして、オーケストラは他でもないチェコ・フィルなのですから、望み得る最高の組み合わせによる演奏と言えます。
「アマールス」は、ヤナーチェクが1897年に書いた、5つの部分からなる演奏時間約26分のカンタータで、テキストはヤロスラフ・ヴルフリツキーの詩。楽器編成は大きく、弦楽器を含むフル・オーケストラと混声合唱、テノール、バリトン、ソプラノ独唱です。
この曲は明確なストーリーを持つカンタータですが、音楽的にはオペラと呼びたくなるようなドラマティックなものです。
主人公は、ラテン語で「つらい」「苦しい」という意味をもつ「アマールス」という名の青年。彼は不義の子として生まれ、母から引き離されて僧院で育ちました。孤独な日々を過ごしていたある日、若い恋人たちがやってきます。二人は聖母マリアに祈りを捧げると墓地へと向かい、とある墓の上に腰を下ろします。彼らの後をつけていったアマールスは、その墓が亡き母のものであることに気がつきます。
若い男はリラの花を髪につけた女の胸に頭をもたせかけ、二人は幸せそうに佇む。暗く甘やかな官能を孕んだ音楽は、熱を帯びてどんどん昂揚していきます。そして、逆巻くオーケストラ全奏の響きに乗せて、合唱が何度も繰り返しこう歌います(関根日出男訳)。
ふと アマールスは思い出した
知るはずもない母親を、
激情の奔流は突如静まり、オーケストラが特徴的なモチーフを繰り返し奏でる中、テノール独唱と合唱が弱々しくこう歌います。
こんな苦しい人生を
送らせてくれた母親を。
血を滴らせながら、思いを込めて呟くかのような悲痛きわまりない音楽です。聴いていて身を切られるような痛みを覚えずにはいられません。母親に対して「こんな苦しい人生を送らせてくれた」と言わねばならぬことの辛さ、哀しさを思うと張り裂けそうになってしまうのです。
母の墓にたどり着いたアマールスは、可哀想にそこで息絶えます。彼を導いた若い男女は、彼の両親だったのかもしれません。母の墓の上に横たわる彼の上では、相変わらずリラは香り、小鳥はさえずっています。「葬送行進曲のテンポで」と指定されたエピローグでは、晴れやかな響きをもった音楽に乗せてアマールスの名前が連呼されます。現世では愛情にも幸福にも恵まれなかったアマールスへの、せめてもの祝福の音楽なのでしょうか。
ヤナーチェク自身、11歳のときに口減らしを兼ねて修道院に送り出され、孤独な少年時代を過ごしました。この「アマールス」には、そんな彼の実体験が色濃く反映されていると言われます。しかし、彼は母親の愛情を受けて育ちました。後年の回想によれば、修道院に入るときには二人で涙を流して別れたとのこと。彼自身は、どのような心理状態でこの部分を書いたのでしょうか。
この「アマールス」は、作曲者の主要な代表作が書かれるより前の「若書き」です。後年の名作と比較して、いくつかの弱点を挙げることは可能なのでしょう。しかし、このあまりにも痛切な訴えかけをもった音楽のドラマに、私はすっかり魅了されています。なぜほとんど演奏されないのか理由がまったく分かりません。もっと広く聴かれるべき隠れた佳作だと確信しています。
ヤナーチェクの音楽を隅々まで知り尽くしたマッケラスとチェコ・フィルの演奏の卓越には疑う余地はありません。独特の音律をもつ短いモチーフの反復のうちに、予想もつかない楽想の変化がもたらす展開の面白さ。哀愁をたたえた甘美な旋律と、ヴェリズモ・オペラ的な激情の交錯。彼が遺したオペラを彷彿とさせる音楽の魅力を、余すことなく楽しむことのできる名演奏ではないでしょうか。天使を歌うソプラノの歌い口がやや堅いのが惜しいですが、声楽陣も総じて万全の歌唱。
マルティヌーとヤナーチェクの秘曲を収めたマッケラスの名盤。もっともっと世に知られて良いと思いますし、いつまでもカタログには残してもらって、末長く聴き継いでいきたいと思います。
最後に、当盤と関連するアルバムをご紹介しておきます。
マッケラス指揮チェコ・フィルの演奏するヤナーチェクでは、「グラゴル・ミサ」を収めた一枚が発売されています(COCO-73325)。こちらも古くから知られる名盤で、今回聴き直してみてその素晴らしい演奏に改めて酔いました。
マルティヌーでは、ヴァーツラフ・ノイマン指揮チェコ・フィルの交響曲全集(COCQ-84038~40)が素晴らしい。還暦を目前に控え全盛期を迎えていたノイマンと、彼と強い絆で結ばれたオケによる硬派で彩り鮮やかな演奏は魅力的。そして、何より曲がいい。世はいまだにマーラー・ブーム真っ盛りですが、マルティヌーが遺した珠玉の6曲がもっともっと演奏されるようになればと思わずにいられません。
この音盤を聴いて二人の作曲家の作品に興味を持たれた方は、是非ご一聴を。
  • 粟野光一(あわの・こういち) プロフィール

    1967年神戸生まれ。妻、娘二人と横浜在住。メーカー勤務の組み込み系ソフトウェア技術者。8歳からクラシック音楽を聴き始めて今日に至るも、万年初心者を自認。ピアノとチェロを少し弾くが、最近は聴く専門。CDショップ、演奏会、本屋、映画館が憩いの場で、聴いた音楽などの感想をブログに書く。ここ数年はシューベルトの音楽にハマっていて、「ひとりシューベルティアーデ」を楽しんでいる。音楽のストライクゾーンをユルユルと広げていくこと、音楽を聴いた自分の状態を言葉にするのが楽しい。

    http://nailsweet.jugem.jp/

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