ヴェリー・ベスト・オブ・チャーリー・パーカー商品情報

ヴェリー・ベスト・オブ・チャーリー・パーカー

ヴェリー・ベスト・オブ・チャーリー・パーカー

[ALBUM] 2010/12/22発売

ヴェリー・ベスト・オブ・チャーリー・パーカー

COCB-53962-3 ¥2,750 (税抜価格 ¥2,500)

チャーリー・パーカー生誕90年記念企画/コロムビア創立100周年企画

DISC1

  • 1.Tiny's Tempo

  • 2.I'll Always Love You Just the Same

  • 3.Romance Without Finance

  • 4.Red Cross

  • 5.Groovin' High

  • 6.All the Things You Are

  • 7.Dizzy Atmosphere

  • 8.Salt Peanuts

  • 9.Shaw Nuff

  • 10.Lover Man

  • 11.Hot House

  • 12.Warmin' Up a Riff

  • 13.Billie's Bounce

  • 14.Now's the Time

  • 15.Thrivin' from a Riff

  • 16.Meandering

  • 17.KoKo

  • 18.Donna Lee

  • 19.Chasin' the Bird

  • 20.Cheryl

  • 21.Buzzy

  • 22.Milestones

  • 23.Little Wille Leaps

  • 24.Half Nelson

  • 25.Slippin' at Bell's

  • 26.Bird of Paradise

  • 27.Embraceable You

DISC2

  • 1.Another Hair Do

  • 2.Bluebird

  • 3.Klaunstance

  • 4.Bird Gets the Worm

  • 5.Barbados

  • 6.Au-Leu-Cha

  • 7.Constellation

  • 8.Parker's Mood

  • 9.Perhaps

  • 10.Marmaduke

  • 11.Steeplechase

  • 12.Merry Go Round

  • 13.Ornithology

  • 14.Out of Nowhere

  • 15.How High the Moon

  • 16.Be-Bop

  • 17.On A Slow Boat To China

  • 18.Scrapple From the Apple

  • 19.Confirmation

  • 20.Night in Tunisia

  • 21.Anthropology

  • 22.Just Friends

  • 23.Everything Happens to Me

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絶頂期にあった天才の40年代のベスト・プレーをサヴォイ、ダイアル、ヴァーヴに残した音源からセレクト!!

チャーリー・パーカー(Charles Christopher Parker Jr, 、1920年8月29日 - 1955年3月12日)

チャーリー・パーカーはカンザス州カンザス・シティに生まれ、父親はしがない歌手兼ダンサーでしたが、ある日突然母と子をおいて家を出てしまいました。母親のアディーは、息子がそんな父親のような人間にならないようにと、良い教育を受けさせるようにしました。おかげで、彼は地元の名門校に通うことができ、そのスクール・バンドで、最初バリトン・サックスを、その後アルト・サックスと出会い、仲間たちとティーンズ・オブ・スウィングというダンス・バンドを結成しました。当時彼が住んでいたミズーリ州カンザス・シティは、全米でも有数のジャズの街で、まだ十代前半だったチャーリー少年は、年齢をごまかしてジャズ・クラブに潜り込みジャム・セッションをかぶりつきで見る毎日を送り、いつしか学校のバンド活動からも離れてしまいました。その頃彼にとって最大のヒーローはレスター・ヤングでした。独学で音楽理論の知識を学んだチャーリーは、どんどんその才能を伸ばしはじめ、わずか15歳でプロのミュージシャンとしてローカル・バンドで働き始めました。まさに早熟の天才と言えます。

1939年に彼はジャズの本場ニューヨークに移りますが、演奏するチャンスは少なく、食べるのにも困る状況に追い込まれてしまい、ミュージシャン以外の仕事に就きました。それはジミーズ・チキン・シャックというレストランでの皿洗いの仕事でした。そして、ここでこの後彼の愛称として親しまれることになる「バード」と言うニックネームが付くことになります。それは、このレストランで働く者にとって唯一の贅沢がチキンの食べ放題で、彼がとんでもない量のチキンを食べてしまったことからきたものでした。

そして当時人気者だったブギウギ・ピアニスト、ジェイ・マクシャンのオーケストラに加わることになったチャーリーは、ここで知名度を上げ、初のレコーディングも経験し、ジャズの流れもスウィングからビ・バップへと大きく変わろうとしていたことから、ジャズ・シーンで一目置かれる存在となっていきました。更に、アール・ハインズの楽団に移り、ここで彼のライバルでもある盟友、ディジー・ガレスピーと出会い、独立後も行動をともにしていくことになります。こうして、ビ・バップの中心地、ミントンズ・プレイハウスを中心に彼らはいよいよ時代の最先端に立つことになるのです。

1945年から1948年にかけてがチャーリーの活動の最盛期と言われ、天才的なひらめきを伴ったそのアドリブは今や伝説化しています。彼はサヴォイ(1944-1949)、ダイアル(1945-1947)、ヴァーヴ(1946-1954)の3レーベルに多くの録音を残していますが、サヴォイやダイアルには彼の初期の、ヴァーヴには晩年の名作が残されています。本作ではこの3レーベルにまたがる彼の名演を聴くことができます。

若い頃から麻薬とアルコールに耽溺して心身の健康を損ない、破滅的な生涯を送ったパーカーは、1940年代末期以降は演奏に衰えが見られるようになってしまいました。ロスのホテルでは、真っ裸でロビーに現れ電話をかけ始め、それを指摘されると部屋に戻ってベッドに火をつけるという事件を起こしています。この時、彼は施設に強制的に入院させられ、6ヶ月間そこで過ごすことにもなりました。1955年3月5日に行ったバードランドでの最後のライヴ・パフォーマンスの1週間後、彼は友人のアパートで亡くなりました。その34年間の生涯は余りにも短かったと言えるでしょう。彼の生涯は1988年製作の映画『バード』(クリント・イーストウッド監督)に描かれていますので、興味のある方は是非ご覧頂きたいと思います。