悲劇の巨匠、ヴェデルニコフ、圧倒的なカリスマ性をもつソフロニツキーの二人に、幻の名女流、グリンベルクと、ゲンリヒの息子、ブーニンの父であるスタニスラフ・ネイガウスの二人を加えて、さらにラインナップが充実。
<<アナトリー・ヴェデルニコフ>> [リスト▼] レコード・アカデミー賞受賞のシリーズ「ヴェデルニコフの芸術」及び続編より ヴェデルニコフは1920年ハルビン生まれ、神童として活躍し、1935年に15歳で来日、モギレフスキー指揮の新交響楽団(現在のNHK交響楽団)と共演して喝采を浴びる。その後、家族と共にロシア(ソビエト)に戻るが、スターリンの粛清により両親が逮捕され、父親は銃殺、母親は強制収容所送りという悲劇に見舞われる。当時、モスクワ音楽院で学んでいたヴェデルニコフは、師のゲンリヒ・ネイガウスのはからいでかろうじて逮捕を逃れたという。そのネイガウスは、ヴェデルニコフをリヒテルやギレリスと並べて「もっとも才能ある弟子の一人」として高く評価したが、ソビエト体制から睨まれたヴェデルニコフに国外での活動の機会が与えられることはなかった。ペレストロイカ以後、ようやく国外での活動が可能となり、イタリア、フィンランド、ドイツなどで演奏会を開く。1993年に58年ぶりの来日公演が予定されたが、来日直前の7月に死去。死後、初めてCDが発売され大きな話題となった。1995年度レコード・アカデミー賞(企画部門)を受賞。批評家、ファンから圧倒的な評価を受けたシリーズより8点を再発売。
<<ウラジーミル・ソフロニツキー>> [リスト▼] 死後40年を経てなおカリスマ的な人気と影響力を誇る伝説的なピアニスト ソフロニツキー(1901-1961)は、ロシアのありとあらゆるピアニストたちに影響を与えている存在といっても過言でない。ペテルブルク音楽院でL・ニコラーエフに学び1920年代に西側で活躍、ロシアに帰国した後は亡命することもなく国内で活動を続け、晩年にはモスクワ音楽院小ホールやスクリャービン博物館といった小会場で少人数の聴衆の前でのみ演奏、生きながらにして伝説と化した。とりわけスクリャービン演奏に関しては、この作曲家の娘婿だったこともあり、右に出るものはないと言われている。ロシアにおけるソフロニツキーの評価はリヒテル、ホロヴィッツをも凌ぐ。まさに伝説的スーパースターである。今回はスクリャービンなどロシアもの4点と1949年のショパン没後100年記念演奏会のライヴの5点を発売。
<<マリヤ・グリンベルク>> [リスト▼] ロシアで初のベートーヴェン:ソナタ全集を完成させたホロヴィッツの妹弟子 マリヤ・グリンベルクは、モスクワでフェリックス・ブリュメンフェリト(ホロヴィッツの師)とコンスタンチン・イグムノフに学んだ名女流ピアニスト。ユダヤ系のために迫害を受け、夫のスタニスラフ・スタンデ(詩人)が収容所で処刑され、また本人も病気のため引退寸前にまで追い込まれるといった悲運に見舞われながらも不屈の精神力で演奏活動を続け、最晩年まで多くのファンを魅了し続けた。ロシア初のベートーヴェン:ソナタ全曲録音という偉業でも知られている。得意としたベートーヴェンのほか、ドイツ音楽、ロシアものなど、グリンベルクの代表的名盤5点をセレクトして再発売。
<<スタニスラフ・ネイガウス>> [リスト▼] これほどまで聴衆に愛された演奏家がいるだろうか?ロシア音楽界有数のサラブレッド ゲンリヒ・ネイガウスの息子にしてスタニスラフ・ブーニンの父親でもあるスタニスラフ・ネイガウス。幼少時をパステルナーク家で過ごすなど芸術サロン的な環境に育ち、モスクワ音楽院入学後は実父ゲンリヒに師事した。「スターシク」の愛称でデビューから最晩年に至るまでモスクワの聴衆から熱狂的支持を受け続けたが、常に血筋の良さを感じさせる詩的感興に溢れた演奏は他の追随を許さないものがある。1997年〜99年に発売されたシリーズ10点から代表的な名演をセレクト。1タイトルは若き日のスタジオ録音、もう1タイトルは死の1週間前の演奏会の壮絶なライヴ録音。