20世紀のクラシック音楽の演奏史を語る際に、避けることが出来ないのが、「古楽の復権」であることは疑いの無いことでしょう。作曲当時の楽器(あるいはそのレプリカ)を使い、楽譜の読み方や演奏法までを再検証する運動は、聴きなれた音楽の印象を一新する目覚しい成果を挙げ、世界中の音楽ファンに衝撃を与えたのです。バロック音楽から始まったこの運動は、奏者の主観よりも作曲家(その当時)の意図を尊重します。「正当性(オーセンティシティー)」を第一義とするこのような考え方は、はじめは伝統的演奏スタイルの対立軸として捉えられましたが、それが音楽界に与えた影響は非常に大きく、やがて従来の楽器(モダン楽器)の演奏家も、こぞって自らの解釈の「正統性」を主張するようになるなど、20世紀後半における演奏史の一大潮流となりました。
このような前置きから初めましたのは、今回の田部のアルバムに接して、上記のような「演奏スタイルの変遷」について、筆者が思いを巡らせてしまったからです。
田部の今回の協奏曲アルバムは、演奏会ライヴを含むレコーディングでしたが、私たちスタッフの想像をはるかに超えて素晴らしい成果を残してくれました。新鮮な感覚が印象的な各テーマの表情や、上へ下へと一筆書きのように大きく躍動する軽やかなアルペジォは、モーツァルトらしい愉悦感に溢れ、一方で、シューベルトやブラームスの演奏で評価いただいた田部の「ロマン的」美質を、まるで別の時間を歩むかのような、たっぷりと時間を使った表現でこのモーツァルトの中に生かしました。聴き手の耳をくすぐるこの非常にロマンティックな瞬間を、しかし古典的な均整美のなかへと極々自然に収める手腕は、誠に見事というほかありません。
言わば、「古典派の側から少しばかり扉を開けて、ロマン派の世界を垣間見る」かのような今回の田部の演奏を耳にすると、筆者には、「オーセンティシティ」への呪縛から、我々がそろそろ解放されてもよい時期に来ているのではないかと感じられるのです。もとより田部は、積極的に(フォルテピアノなどの)古楽器を使うことはなかったものの、自らの感性を基にひたすら「作品の真髄」を伝えることに心血を注いできました。(本人も多くのインタヴューでこの趣旨の発言をしてきています。) このアルバムに聴くことのできる目覚しい演奏は、古楽か?モダンか?の議論に振り回されることなく、田部自身がの真摯な演奏姿勢を貫いてきたからこそ到達しえた境地なのではないでしょうか。
20世紀も終わりに近づいた頃、皆が「正当性」を目指した結果として、演奏の没個性化が進行したという批判も耳にしました。いえいえ、没個性だなんてとんでもない。田部京子による、このめざましい演奏を聴いいて、21世紀には、まだまだ素晴らしい「新しい」モーツァルトを聴くことができるに違いない、と筆者はワクワクしています。いつか聴いた演奏の繰り返しではなく、こうしてまた新たな命を吹き込まれることでこそ、クラシック音楽が未来へと受け継がれていくものと信じています。
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