2 月20 日(火) 西麻布 Chicで行われたミニ・ライヴ・コンベンションより

 ジャズ・シーンはもとより、コンテンポラリー・ミュージック・シーンにおいても日本を代表するトップ・シンガーとして多くのファンを持つ阿川泰子が日本コロムビアに移籍、3月17日に3年振りの新作アルバム"Other World"をリリースすることになりました。本作は阿川泰子のコロムビア移籍第1弾であると同時に、新レーベル"Wiレコーズ"の第1弾アルバムともなります。
 今回のアルバムは阿川泰子にとっても心機一転、新たな出発点としてのアルバムと位置づけ、これまでとは違った阿川泰子の魅力をファンの方々に知ってもらおうという意図で「R&Bフレイヴァーのオリジナル楽曲によるアルバム」というアルバム・コンセプトのもとレコーディングがスタートしました。これまで彼女はジョー・サンプルやセルジオ・メンデス、ニック・デカロ、イヴァン・リンス、トミー・フラナガンといったジャズ=フュージョン、ラテン・シーンのトップ・アーティストたちとのコラボレーションを聞かせてきましたが、今回のアルバムでは、これまで一緒にやったことのない新しいスタッフの新鮮な血を入れていきたいとの意向から、L.A.などで活躍するR&B、ブラック・コンテンポラリー系日本人プロデューサー3人を起用することとなりました。DJとして活躍の後、TWO-B-FREEやTYT-Kのプロデュース、テレビ朝日系「AXEL」でのレギュラー・コーナーなどで活躍中のケニー吉崎のトータル・プロデュースの下、ドナ・マカフィーやDOMINO等のプロデュース、映画「Silent Mebius」のサウンドトラックなどで活躍するL.A.在住のTakashi Furukawa、ウィスパーズのプロデュースやエリーシャ・ラバーン、宇多田ヒカルの作品への参加などでで活躍する同じくL.A.在住のTsuyoshi Takayanagi、バークリー音大を卒業後、ジーラ、レヨナ、山口岩男、Soul Lovers、ケツメイシなどのプロデュース、サウンド・プロデュースで活躍中のMitsuo Yanagiが楽曲を提供し、それぞれがサウンド・ プロデュースを手がけ、R&Bフレイヴァー溢れる作品となりました。阿川泰子にとってはまさにこれまでとはひと味違った側面を聞かせる作品となり、そうした意味も込めてアルバム・タイトルは『Other World』と名付けられました。
 これまでも「L.A.ナイト」がロンドンのダンス・チャートにランク・インし、その後東京のクラブ・シーンでも人気を集めたり、初期のヒット曲「スキン・ド・レ・レ」が90年代に東京のクラブ・シーンで再び注目をあつめたりと、阿川泰子とクラブ・ミュージック・シーンは決してこれまでも無縁ではありませんでしたが、これだけ真っ向からクラブ・ミュージック、ブラック・ミュージックに対峙して制作されたアルバムというのは彼女にとって今回が初めてとなります。
 レコーディングはロサンゼルスのL.A.セレクション・スタジオとデザイン・ハウス、東京のスタジオHIPPOをメインに行われ、またマスタリングについても、今回は、DENONマスター・ソニック技術の粋を集め、瑞々しさとパンチ溢れるサウンドを「ブルースエット・パート2」でジャズ・ディスク大賞最優秀録音賞に輝いた名エンジニア"H2"こと保坂弘幸が表現しています。さらにDENONの誇るTUNED CD技術により、徹底的に音にこだわり、カッティングから製造までを音質最優先でベスト・チューニングしてプレスされています。



 新レーベル《Wiレコーズ》はハイ・クオリティでアダルトな大人のための音楽を提供するレーベルです。
ともすればヒット・チャートに登場する若者向けの音楽ばかりがもてはやされる現代の風潮に対し、もっと大人の人たちが聴ける音楽を、ハイ・クオリティに提供していこうというコンセプトで設立されました。そしてレーベル名はいろいろな意味に取れるようにあえて特定の意味を持たない"Wi"と言うレーベル名にしました。

《Wiレコーズ》のWiは英語の"WE"に通じる
《Wiレコーズ》のWiはフランス語の"OUI"(=YES)に通じる
《Wiレコーズ》のWiは羽ばたく翼(=Wing)に通じる
《Wiレコーズ》のWiは意思(=Will)に通じる
《Wiレコーズ》のWiは風(=Wind)に通じる



 神奈川県鎌倉市出身。名古屋、椙山女子学園高校を卒業後、文学座演劇研究所にて演劇を学ぶ。その後、女優として東宝映画、「華麗なる一族」、「青春の門」などに出演。 又、TVドラマ「太陽にほえろ」、「ウルトラマン・レオ」などにも出演する。
その女優時代に、ジャズ・クラリネットの故鈴木章治を紹介され、ジャズ・ヴォーカリストの道を歩みはじめる。その後、「鈴木章治とリズム・エース」の専属シンガーとなり、プロ・ヴォーカリストのキャリアをスタートする。 やがて、ソロ・シンガーとして六本木や赤坂のライブ・スポットなどで活躍。

1978年、 ビクターより1stアルバム、「ヤスコ、ラヴバード」をリリース。 スウィートでメロウな歌声で一躍脚光を浴び、マスコミから"ネクタイ族のアイドル"、"シュガー・ボイス"などと取り上げられ、華々しいデビューを飾る。

1980年、コンテンポラリーなサウンドで、古いスタンダード・ソングを リ・アレンジした4thアルバム「ジャーニー」がヒット。

1981年、 ラテン=フュージョン・サウンドのオリジナル作品集「サングロウ」は、日本のジャズ・カテゴリーを超えたエポック・メイキングなセールスを記録する。 又、同時に行われたコンサート・ツアーやパブリシティ活動によりトップ・ヴォーカリストの地位を不動のものにする。

その後、セルジオ・メンデスやジョー・サンプル、更に故ニック・デカロやイバン・リンスらをプロデューサーに迎え、次々とコンテンポラリーで意欲的なアルバムをリリース。又、トミー・フラナガン(P)やロン・カーター(B)、ローランド・ハナ(P)、更には自ら結成したビッグ・バンド、"フラミンゴ・ビッグ・バンド"らをバックにレコーディングやステージ活動を続け、そのゴージャスで華麗なステージは定評となる。

1986年、ロンドンのBlue Birdレコードが「L.A.ナイト」をシングル化、ロンドンのダンス・チャート上位にランクされる。同年、ジャズ・ワールド誌主催の第2回「日本ジャズ・ヴォーカル賞」"大賞"を受賞する。

1987年〜1994年、日本テレビ系のトーク番組、「オシャレ30・30」にレギュラー出演。ゲスト陣とのトークに加え毎週1曲、のべ360曲を披露する。

1994年、ロンドンや東京のクラブシーンで旧作「スキンド・レ・レ」や「L.A.ナイト」が再び流行。同年9月、日本ではDJによるリ・ミックス・アルバム「カメレオン」が、そしてロンドンではBeechwood Recordより、コンビレーション・アルバムで「L.A.ナイト」などが発売される。

1996年、ピノ・パラディーノをプロデューサーに迎え、ロックのカバー・アルバム「エコーズ」をリリース、又、同タイトルのフォト・エッセイ集も発表。同年、5枚組CD集「ソング・ブック」をリリース。

1997年、プロデューサーにアル・シュミット、選曲・観衆に松本幸四郎氏を迎え、ミュージカル曲集「TEA FOR TWO」を発表。

1998年、長年の英語歌曲の発音の功績により、日本人歌手としてはじめて、有名私立高校使用の大学受験生用の教材"プログレス・イン・イングリッシュ"(株式会社エデック発行)に「美女と野獣」、「星に願いを」、「ホール・ニュー・ワールド」の3曲が採用される。



Other World
[Bo Retta] L.A在住、自らのレーベルを持ちこの春、ユニバーサルとディストリビューション契約を結びついにメジャー・デヴューを迎える

[Dominique Mays] L.A在住、ヴォーカルグループ「Off The Hook」のメンバー、サンセット通りのハウスオブブルースに出演など活躍中。「Off The Hook」はメジャーデヴューに向け制作中である(予定ユニバーサル)

Beyond The End of Time
Dominique Mays を中心にKirt Lykes, Stephanie Scoggins, Dejur Davisのクワイヤーは、ハウス・オブ・ブルース等に出演するメンバーである

Why &Search is Over
[Nio Renee] サウンドトラック「3Stricks」にオリジナル楽曲で参加、このサントラにはあのTOTALもオリジナル参加していて、内容の評価は高い、現在U.S.A MusicTV等に出演中

ケツメイシ、Soul Lovers, Mond Grossoについては、日本のメジャーの知るところである



吉崎豊 KENNY YOSHIZAKI
 1959年生まれ。1979年バンタンデザイン研究所入学(ファッションデザイン)。DJ活動スタート、新宿ニューヨークニューヨークを始め、都内DISCOでWORK。サウンドアドバイザー、DJ役でNHKドラマ銀河テレビ小説に出演。1986年LA FEMME GUERIERE入社(ファッションカンパニー)ファッションデザイン、企画、営業に従事。この間もDJ活動継続。
 1994年LA FEMME GUERIERE退社本格的に音楽ビジネスをスタート。1995年FAST FORWARD CO.,LTD入社(音業制作会社)、プロデューサー。1996年FAST FORWARD CO.,LTD退社。RAISE CO, LTD(音楽制作会社)を設立し独立数々のジャパニーズR&Bアーティスト制作に関わる。1997年洋楽ユニット「TWO-B-FREE」を発信、プロデュース。デヴュー・シングル「I Believe in Miracle」のビッグ・ヒットを生む。1998年TRUE FACE CO.,LTD設立、CD音源制作、プロデュース。Meldacにて5minuteレーベルを立ち上げ、邦楽R&Bコンピレーションシリーズをプロデュース。1999年U.S.A LAにてスタジオ&オフィスLA SELECTION INC設立。
テレビ朝日『AXEL』にてレギュラーコーナースタート(継続中)。洋楽ユニットTYT-Kをプロデュース。

Mitsuo 'GEES' Yanagi (Writer,Producer)
 1989年、渡米。バークリー音楽大学に奨学生として入学。卒業後帰国。
1994・95年、2年連続でJASRAC主催によるオリジナル・ソング・コンテストにてグランプリ受賞。1995年FM九州の毎週土曜日7:OO-11:OO「Cross Funky Funky」でパーソナリティとして活躍。その番組内から「Funky Face」(ユニット)が生まれ、1997年AXIAテープオーディションにてグランプリを受賞。これを期に上京する。
DISCOGRAPHY
1998年 ジーラ(アルファレコード) シングルサウンドプロデュース
1999年 レヨナ(エピックソニー) デビューシングルサウンドプロデュース、アルバム制作。山口岩男(ロードアンドスカイ) アルバムサウンドプロデュース
2000年「SouI Lovers」、「ケツメイシ」のプロデュースを手掛ける

Tsuyoshi 'TAKA' Takayanagi (Writer,Producer) L.A在住
 1986年渡米、数多くのBlackMusicianへの曲提供、アレンジ、プロデュースで米国での地位を築く。中でも1991年ウィスパーズの「Is It Good to You」をプロデュース(ソングライト)し、日本人プロデューサーとしては、初のBiIIboard Magazine R&Bチャート7位、ゴールドディスクを獲得し米国中の注目を得る事になった。
 日本へのメッセージは米国リリースのR&Bミュージックとして沢山届いているが、最近では1998年にavexよりリリースされたエリーシャ・ラバーンのセカンド・アルバム中の「I like」、彼女のサード・アルバムのファースト・シングル・ナンバー「Don't Mind」や1999年一躍注目を浴びた宇多田ヒカルのデビュー曲「Automatic」のトラック制作がある。今後の日本での活躍も注目である。今後はL.L.クールJの作品への参加が決まっている。

Takashi Furukawa (Writer,Producer) L.A.在住
 1992年渡米、ニューヨークでバンド[T.W.D.DA NEXT GENERATION]に参加(オムニバスCD「C'MON DJ!」「MEGA RAVE」をリリース)オリジナル12インチアルバム「HOUSE HOUSE HOUSE」をリリース。
 1994年 A-DAT32CHのスタジオを設立(L.A.)、TONY ROACH, CHARMAINE,その他のアルバムをプロデュース。バンド[Brother to Brother]を結成「HART OF STONE」をリリース。1995年ロサンゼルスに制作会社[WRECK SHOP PRODUCTION]を設立、バーテックス(スティーブン・バーシィー・プロジェクト)に参加。
Be-Bアメリカレコーディングをプロデュース。
 1996年、URS, SWEET JUSTICE, DRAZTIC DA CALICATLOREZO STRAIGHTをプロデュース。1997年 DOMINO「Dominology」にアレンジャー、キーボーデイスト、エンジニアとして参加。ドナ・マカフィー「First Class」アルバム・プロデュース。作曲家・アレンジャーとしてFOX TVの番組[Fox Kids]の音楽制作をする。第40回グラミー賞にベストアレンジャーでノミネートされる(「After The Rain/Donna McAfee」)。
 1998年ProTods24を導入、映画[SilentMebius]のサウンドトラックを制作。現在もL.Aにて、R&B,HIP HOPを中心に多数のアーティストのプロデュースを手掛けている。


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