JUN MATSUE INTERVIEW

今回プロデュースを手掛けるにあたって、まずどのようなことを心掛けましたか?
「まずですね、幻想としてのテクノ・ポップっていうのがあるんですよ。テクノ・ポップってピコピコしてるとか、動きがカクカクしてるとか、そういうイメージがあると思うんですけど、そういうイメージを形にしていくとジューシィ・フルーツになるっていう感じが僕の中にすごいあって。だから(心掛けたのは)そのイメージを純粋に形にしていこうということですね」

作業の進め方はどのように?
「家で自分で(トラックを)全部作って、そこにメンバー全員に演奏を重ねてもらったという感じです。本人達もお互いがどういう演奏をするのか分からない状態でのレコーディングだったと思うんですけど、それがメチャメチャうまくて、いい感じなんですよね。それがやってて面白かったところです」

メンバーの演奏を見てどう感じました?
「実際に演奏してもらったら、やっぱりこれがジューシィ・フルーツなんだなと思いましたね。やっぱりそれを出していったほうがいいんだろうなと思ったっていうか、あえてペナペナにするわけでも、あえて必要以上に(ビートなどを)強化するわけでもなく、ありのままの感じが一番いいなと」

『ジェニーはご機嫌ななめ』は色々なアーティストにカヴァーされていますが、そういったカヴァーとどのような差別化をはかろうと思いましたか?
「『ジェニーはご機嫌ななめ』は僕が抱いているテクノ・ポップのイメージとバッチリ合っているんですけど、多分みんなはポップでかわいいから、みたいな感じで取り上げていると思うんですよ。でも、(『ジェニーはご機嫌ななめ』に対する)こっちの思い入れみたいなものは、そんなものではすまされないみたいな(笑)。あと、本人達とやれるという点で、そこでもう勝ったも同然っていう感じですね(笑)」

レコーディングを通じて、4人にどういう印象を抱きましたか?
「実際に演奏を見て、今のミュージシャンの人達と全然コラボレートしていける人達だと思いましたね。育ちがいい感じがするっていうか(笑)。アイドルのように見えてはいたけど、実はアイドルじゃなくてプロフェッショナルなミュージシャンだったりするわけじゃないですか。でも依怙地になってるわけではなくて、ユーモアをちゃんと持ち合わせていると思うんで、ちょうどいい感じなんじゃないですかね」

こうして生まれ変わった『ジェニーはご機嫌ななめ』をどのような人達に楽しんでもらいたいですか?
「返していくっていうよりは、また(次に)つなげていくっていうほうが面白いかなと思うんですよね。だから僕の中では、実は子供受けしたらいいなと思ったりしているんですよ。なんにも知らない子供とかが聴いてピョンピョン楽しんでくれたらいいんじゃないかなと。逆に、僕と同世代の人達っていうのはまったく意識してないですね。そういう人達に“ああ、懐かしい”みたいにとらえてもらおうという気持ちは全然無いっていうか、それだと一番オーソドックスな再結成のパターンみたいなのになっちゃうと思うんで。だから単純に、(原曲を)まったく知らない子供達を喜ばせることができたらいいなと思いますね」


松江 潤 / JUN MATSUE
PLAYER/PRODUCER/ARRANGER/SONGWRITER
1969年 東京都出身

小学生の頃YMOに衝撃を受け音楽に目覚める、1979年からクラシックギターを始める。
中学卒業時にバンドを始めて、高校卒業後の19歳からプロのギタリストとして本格的にキャリアをスタートさせる。
1993年にはソロ・アーティストとしてミディレコードからデビューを果たす。
ソロとしては1994・95年に同ミディレコードからアルバムを発表。
1996年にはALL THAT FAZZ名義でアルバムを発表。
その後、SPOOZYSを結成する。ポリシックス、モトコンポ等に影響を与えネオ・ネオ・ニューウェイヴの旋風を起こす。その余波は松江の提案を受けプラスティックス・トリビュート盤の発表が現実化した。
SPOOZYSとしてはネオ・ネオ・ニューウェイヴからいち早く脱却して独自のスペイシーサウンドを確立する。2000年の3月にはアメリカにテキサス、オースティンで行なわれたサウス・バイ・サウス・ウエストのジャパンナイトに出演し他の日本人メジャーアーティストを尻目に音楽的にも宇宙飛行士のコスチュームも含む世界観がアメリカ人に大好評を受ける。そのままジャパンナイト出演者達とUSツアーを行う。もちろん各地で大好評。
このライヴを見ていたニューヨークのレコードレーベル「JETSET」の目に留まり2000年8月には全米デビューを果たす。さらにはリリースされるやいなやCMJチャートにランクインで最高位5位、カレッジチャートによっては1位さえも成し遂げた。
このリリースに併せてシアトルから西海岸、砂漠から東海岸まで、実に22箇所に及ぶUSツアーを敢行。
自身の活動を活発に行うとともにプロデユーサーとして、ギタリストとしてもますます注目を浴びている存在である。


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