TEXT from 羽積秀明

 今から14年前のこと…、1989年11月23日の渋谷公会堂…。その日、あるバンドのツアー・ファイナル・ライヴが中止となった。リーダーでありドラマーでありピアニストでもあるグループの中心人物の肉体的限界(過労性神経循環無力症)が、その原因だった。
 『死ぬまで叩けなかった自分が口惜しい。中途半端で倒れてしまった自分が、今こうやって生きていることが口惜しい…』。後日、彼はインタヴューでそう語り、こうした哲学をメディアは"瞬間の美学"と伝えた。彼の生き様の代名詞とも言えるキャッチフレーズはこの時に確立されたといってもいい。以後、数々の伝説に彩られるバンド、XもしくはX JAPAN、ならびにそのリーダーであるYOSHIKIが、ひとつ社会現象となった契機であった。
 そして一方で、その後の彼を創作的に運命づけることになるある重要な契機も、この安静期間中に生まれていた。口惜しさ、怒り、哀しみ…、目くるめくそんな感情の中に、自らの人生を振り返りつつ、ふと弾いたピアノで彼の指先が紡いだメロディー、それがこの『ART OF LIFE』の大サビだったのだ。
 翌90年夏、新作『Jealousy』の作曲合宿中に、その大サビは30分の組曲に成長し、『ART OF LIFE』はその全貌をあらわにする。当初、アルバム『Jealousy』は『ART OF LIFE』を含む2枚組となる予定だったが、レコーディング中にYOSHIKIが再び倒れるというアクシデントの末、『"ART OF LIFE"は"jealousy"との共存を拒んだ(YOSHIKI談)』というコメントと共に、その発表は延期される。
 結局、その大曲に相応しいくらい無数の伝説的なエピソードと、膨大な時間を費やしたこの魂のドラマ、『ART OF LIFE』がリリースされたのは、その曲が生命を宿してから4年余りを経た、1993年の夏のことだった…。
 YOSHIKI自ら、この曲はシューベルトの「未完成交響曲」にインスパイアされたと語っている事実は、いろいろな意味で実に象徴的だと思う。ひとつには、この発表の時期から、彼の音楽的なこだわり、つまり自身の求める完成度が、ショウ・ビジネスや音楽産業といった枠をはるかに超え、まさに18〜19世紀を生きたクラシックの作曲家たちのそれに近づいた感さえあることにおいて。また、彼自身の"ART OF LIFE"、つまりその芸術的人生そのものが、いまだ未完成であるという暗示においてである。
 9年前、『ART OF LIFE』が世に出たとき、その全貌を描こうと試みた本の文末を、こう締めくくったことを今も思い出す。
 …これは"完結"ではない。YOSHIKIが自らの人生を走り続け、そして、その人生を曲に変え続ける限り、彼が葛藤する創造の苦しみもその楽曲に与えれられた感動も、その総てが、まさに彼の生きる人生そのものが、"ART OF LIFE"なのである…。『音楽に人生を賭けてますから』と彼は言う。4年間に相当する時の流れを注ぎ込まなければならなかったこの『ART OF LIFE』という楽曲は、その意味でも、永遠という名の"表現"を探す旅を続けるYOSHIKIが過去に描いた、どの楽曲よりも重い道標のひとつなのに違いない。彼は、今現在もすでに、次なる『ART OF LIFE』を生きている…。
 「"ART OF LIFE"…それは永遠の旅、それは永遠に血を流し続ける旅…(歌詞より)」。
 そして、あれから10年近い時間が経過した今も、この『ART OF LIFE』について語る言葉を閉めるくくるには、やはり彼が詩に込めたこの言葉しか似合わない気がしてならない。それはこう続く…。
 「"ART OF LIFE"…それは永遠に自分を探し求める旅、それは決して終わらない…」

羽積秀明