名曲喫茶というオアシスがあった!
[ご案内:宮本英世]
若い人には馴染みがうすいかもしれないが、「名曲喫茶」というのがある。コーヒーや紅茶を飲ませる喫茶店なのだが、ドアを開けると大きな音でクラシック音楽が聞こえてくる。店内はうす暗くて、明るい外から入ってくると、一瞬席がどうなっているのかわからない。ようやく辿りつくと、辺りには息をこらしたように音楽に聴き入っている人また人。静かに近づいたウェイトレスが、「何になさいますか?」と囁くようにいう。「コーヒーを」と答えて、ようやくひと心地つく。見回せば、昼間だというのに寝室にいるかのような仄かで怪しげなムード照明。その向こうには楽聖の彫像や演奏家の写真、あるいはレコード・ジャケットなどが古めかしく飾られ、曲目リクエストの順番を記した黒板がぶらさがっているところもある。曲が終わると、次の曲・演奏者を告げる案内嬢の甘く美しい声。ジャケットを読んでいるのだが、短い解説が聞こえることもある。
ネクラだが、こんな感じの店がほんの30〜40年前まではあちこちにあった。演奏会の入場料が高価で、レコードでさえ1枚が現在の5万円にも相当(大学卒の初任給が1万円前後、LPレコード1枚2,500円)していたからだが、1杯1,000円に相当するコーヒー(当時は60円)代を我慢して、1、2時間ほどネバると、結構いろいろな名曲を聴くことが出来た。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンらドイツ系作曲家の大曲を中心に、フランス、北欧系の名曲、オペラ、声楽曲、宗教音楽と何でもあった曲種の中で、時折、束の間の息ぬきのように聞こえてきたのは、愛らしく美しいメロディーをもつ小品、いわゆるセミ・クラシックである。SPからLP盤、CDへと変わり、大曲中心の時代となってしまった現在、こうした小品を「懐かしの」と呼ぶのはいささか切ないが、あらためて聴けば誰もが素直に心惹かれ、理屈ぬきに「いいなあ!」と感じるのは確かではなかろうか。
このCDは、そうした当時の人気小品を一堂に集め、一流演奏家の名演によって楽しんでいただこうと制作されたもの。音による名曲喫茶の再現である。コーヒーでも飲みながら聴いていただくと(オールド・ファンには)懐かしさこのうえなく、若い人にもきっと新鮮に聞こえる筈である。
【宮本英世氏・略歴】
1937年生まれ。日本コロムビア、リーダーズダイジェスト社等でクラシックの企画・制作を歴任。現在は東京・池袋近くに名曲喫茶「ショパン」を経営している。「名曲とっておきの話」、「クラシックこんな聴き方がおもしろい」「名曲の意外な話」(以上、音楽之友社)、「クラシック珠玉の小品300」「クイズで楽しむクラシック音楽」(以上、講談社+α文庫)をはじめ、著作・監修は多数にのぼる。いずれも肩のこらない読みもの、名曲ガイドとして好評を得ている。