時として“スーパーグループ”と呼ばれるバンドの中には、名にふさわしい事を実践できないままに埋もれて行くものも多いが、LOCK UPに関してそれは全く当てはまらない。エクストリーム界の名うてのメンバーが終結したこのバンドは結成以来グラインドコアの王道を突き進み、世界中のサポーターたちを狂喜させている。2作のアルバムを制作後、残念ながらギター・プレイヤーのJesse Pintado (NAPALM DEATH)を病で失うが、再び彼らは帰ってきた。 ニュー・メンバーAnton Reisenegger (CRIMINAL, PENTAGRAM)の加入、更にAndy Sneap (MEGADETH, TESTAMENT, NEVERMORE, EXODUS, DIMMU BORGIR)のミキシングという理想的な助力を受けLOCK UPは、より強烈なインパクトを伴いシーンに帰還する。 エクストリーム・ミュージックとは何なのかを真に提示するために。
ユニットの起源は1998年にイギリス、バーミンガムでNicholas Barker (ex-CRADLE OF FILTH, ex-DIMMU BORGIR) とShane Embury (NAPALM DEATH)の2人が出会った時まで遡る。 Nickは当時バーミンガム在住で、CRADLE OF FILTH のアルバム“Cruelty and the Beast”のドラム・パートをレコーディング中だった。その合間に2人は意気投合、地元のパブへと繰り出しては、自分たちが若いころに聴いてきたメタル談義に花を咲かせ、自分たちがいかにしてシーンへと登場したかを語り合っていた。そして、2人の密談の場にはほとんど常に NAPALM DEATH のギター・プレイヤーだったJesse Pintadoが同席し、それは徐々にプロジェクトの誕生へと繋がって行く。そのコンセプトはオールド・スクールなデス、スラッシュ・メタルのスピリットを蘇らせ、さらに80年代後半から俄かにシーンをにぎわせ始めていたREPULSION 、TERRORIZER (Jesse は創設メンバーだった)などのグラインドコア・バンドの要素を付け加える事だった。古い4トラック・レコーダーでShane はメンバーの持ち寄ったアイディアをデモにし、数ヵ月後にはBackstage Studiosにレコーディングのために入る。そこにいたのがまだ若き日のAndy Sneapだった。わずか3日のセッションで彼らは13曲もの楽曲を完成させる。数々の伝説的なアルバム同様、スポンテイニアスなフィーリングを活かしたその試みは大成功に終わるが…
さて、シンガーをどうすべきなのか…
Nick の提言でHYPOCRISY の Peter Tägtgren に白羽の矢が立った。バンドの友人であるのみならず、Peter も常にプロジェクトのアイディアを語っていた。そして何よりも彼の持つ声のトーン、レンジはバンドにとって理想的なものであった。Peterは既にスウェーデンのLudwicke に Abyss Studio’s (DIMMU BORGIR, CELTIC FROST, IMMORTAL, HYPOCRISY) を所有しており、Nick 、Shaneの2人はそこでPeter のヴォーカル・パートをレコーディング、彼らのファースト・アルバム “Pleasures Pave Sewers”が誕生した。
しかし、メンバー全員が多忙を極めていたため、LOCK UP のライヴをブックする事は困難を極めていた。しかも、1999年のアルバム発表後、友好的なものではあったのだがPeter がバンドを去る。その後2000年を迎え、バンドはドイツの伝統的フェスティヴァルWacken Open Air からオファーを受ける。そこでShaneは旧知の中であったAT THE GATES のTomas Lindberg に声をかける。Tomas は快諾し、フェスティヴァルで遂にLOCK UP はその姿をファンの前に現した。また、そのショウではPETERも1曲友情参加を果たしている。その後バンドは5回のショウをDECAPITATEDと行っている。
その後、バンドは再び曲作りを開始し、地元バーミンガムのFrameworkスタジオにプロデューサーのRuss Russell( NAPALM DEATH) と共に入る。2001年、16曲の楽曲が完成する。デビュー作よりも更に早く、短く、そしてよりグラインドした作品が誕生したのだ。“Hate Breeds Suffering” とタイトルされた新作は2002年にリリースされ、Terrorizer Magazineの“album of the month ”など、各国で絶賛を浴びる。7月にはExtreme The Dojo フェスで初来日、WILL HAVEN 、 CONVERGEらと共演を果たし、その模様をレコーディングしたライヴ・アルバムは2004年に日本、イギリスでもShaneのプライヴェート・レーベル FETOから2007年にリリースされている。
その後バンドは沈黙期間に入る。そして2006年8月、Jesse Pintado が他界。バンドの存在そのものが危ぶまれていた。
しかしその間も、メンバー間の連絡は途切れることはなかったし、ファンからは常にLOCK UP の次回作を求める声が鳴り響いていた。そして2009年、イギリスのフェスティヴァルDamnation からTerrorizer ステージでのヘッドラインのオファーが舞い込み、Nick とShane はようやくプロジェクトを再始動させる事を決意する。
Jesse の後任としてShaneは1997年にNAPALM DEATH が南米チリを訪れた際にサポートをしたCRIMINAL のギター・プレイヤーでありその際に親交を深めた、Anton Reiseneggerにコンタクトを取る。チリのカルト的なdeath metal バンドでShaneが80年代後半からファンでもあったPENTAGTRAM の創設者でもあったAntonとShane は互いにリスペクトする間柄であり、Shane にとって、Jesse の穴を埋めるのはAnton以外には考えられなかった。
その時期にちょうどスペインに引っ越したAnton はそのアイディアに賛同、そしてバンドは再びTomas に声をかけ、バンドのラインナップが完成する。イギリスでフェス用にリハーサルを開始したバンドは同時進行で新曲を書き始める。Damnationフェス出演は大成功に終わり、他のフェスにも出演、その反応のあまりの凄まじさにバンドは再び活動を開始する決意を固め、レコーディングを開始する。
2010年、他のプロジェクトとバッティングしない時期の全てを曲作り、デモ制作にあてた。Anton がバンドにもたらした化学変化は素晴らしいもので、バンドを新しい次元へと進ませたのみならず、Shane のサウンド・メイキングにも大きな影響を与えた。
2010年10月、イプスウィッチにあるスタジオHVR Studios でレコーディングは開始された。エンジニアにはCRIMANAL のベース・プレイヤーでもあるプロデューサー Danny Bigginが迎えられた。
2011年1月にバンドはAndy Sneapとの再会を果たす。プロデューサーとしてその後大きな成長を遂げたAndy の所有しているBackstage Studiosは当時とは比較にならないほど大きく改装され、機材も豊富になっていた。そこで彼はミックスを担当し、遂に新作“Necropolis Transparent”が誕生した。ソング・ライティング、プロダクションが過去最高レベルである事はもちろん、Andy のミキシング・テクニックは新作を驚くようなシャープさでまとめあげている。 劇的なリフ、スピード、強烈さ、全ての要素において既に彼らはGrindcoreというジャンルを超越したLOCK UP サウンドを作り上げてしまったのだ。