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<<アナトリー・ヴェデルニコフ>>
ヴェデルニコフは1920年ハルビン生まれ、幼少の頃より神童として活躍、1935年に15歳で来日し、モギレフスキー指揮の新交響楽団(現在のNHK交響楽団)と共演して喝采を浴びる。その後、家族と共にロシア(ソビエト)に戻るが、スターリンの粛清により両親が逮捕され、父親は銃殺、母親は強制収容所送りという悲劇に見舞われる。当時、モスクワ音楽院で学んでいたヴェデルニコフは、師のゲンリヒ・ネイガウスのはからいでかろうじて逮捕を逃れたという。そのネイガウスは、ヴェデルニコフをリヒテルやギレリスと並べて「もっとも才能ある弟子の一人」として高く評価したが、ソビエト体制から睨まれたヴェデルニコフに国外での活動の機会が与えられることはなかった。ペレストロイカ以後、ようやく国外での活動が可能となり、イタリア、フィンランド、ドイツなどで演奏会を開く。1993年に58年ぶりの来日公演が予定されたが、来日直前の93年7月に死去。死後、初めてCDが発売され大きな話題となった。


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<<ゲンリヒ・ネイガウス>>
ロシア・ピアニズムの伝統を確立したとも言うべき大ピアニスト・教育家であり、その存在なしにロシア・ピアニズムは語れないと言われるゲンリヒ・ネイガウス。1888年、ロシアのエリザベートグラード(現在はウクライナ領)生まれ。音楽家の家庭に生まれ育ち、親戚にピアニスト・作曲家のF.ブルーメンフェリト(ホロヴィッツの師として有名)や作曲家のシマノフスキらがいる。ウィーン音楽アカデミーでゴドフスキに師事し、第一級のピアニストとして将来を嘱望されていたが、第一次大戦の影響で国際的キャリアを制限され、祖国に戻った後、後進の指導にあたりつつ演奏家として活動した。1922年から亡くなる64年までモスクワ音楽院教授、1935年から37年までは同音楽院院長のポストにあった。日本では教育者としての側面のみ強調されてきたが、ピアニストとしてもたいへん偉大な存在で、晩年は病気による右手の麻痺に苦しみながらもステージに立ち続け、感動的な演奏会を数多く開いている。ネイガウスの演奏は即興性に満ち、その感情の起伏の激しさは群を抜いていたと言われている。深い教養と優れたセンスに裏打ちされた演奏は誰にも真似することのできないもの。数か国語を自由に操り人々の心を魅了する人柄を反映した、香り高いピアニズムはひとつの文化を代表するものといえるだろう。


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<<ウラジーミル・ソフロニツキー>>
ソフロニツキー(1901-1961)は、ロシアのありとあらゆるピアニストたちに影響を与えている存在といっても過言でない。ペテルブルク音楽院でL・ニコラーエフに学び1920年代に西側で活躍、ロシアに帰国した後は亡命することもなく国内で活動を続け、晩年にはモスクワ音楽院小ホールやスクリャービン博物館といった小会場で少人数の聴衆の前でのみ演奏、生きながらにして伝説と化した。とりわけスクリャービン演奏に関しては、この作曲家の娘婿だったこともあり、右に出るものはないと言われている。ロシアにおけるソフロニツキーの評価はリヒテル、ホロヴィッツをも凌ぐ。まさに伝説的スーパースターである。


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