【レッド.ツェッペリン】

ハードロックの父。結成35年を経た2003年、1972年のカリフォルニアでのライブ音源を収録した『伝説のライブ』と、1970年〜79年までの9年間のライブ映像を収めたDVD『レッド・ツェッペリン DVD』を発表。


【カイリー・ミノーグ】

オーストラリア出身。1988年に「I Should Be So Lucky」が大ヒット。ユーロビートの女王と呼ばれる。一時期低迷していたものの、2001年『Fever』で見事に復活。今年で34歳だが、セクシー・ビッチぶりはなおも健在。


【ダニー・ミノーグ】

カイリーの実妹。子供のころから姉とともに芸能活動を行っていたが、F1ドライバー、ジャック・ビルヌーヴとの婚約で表舞台を去る。が、破局を迎えて昨年カムバック。2003年『ネオン・ナイツ』を発表。


【カシオペア】

日本のフュージョン・シーンを代表するバンド。彼らの曲は、テレビ番組のBGM等で繁盛に使用されており誰もが一度は耳にしたことがある。


【ザ・スミス】

1982年、モリッシー(Vo.)、ジョニー・マー(G)、らを中心にイギリスで結成。メッセージ性の高い詞と、「ネオ・アコースティック」と呼ばれたギター・サウンドで若者たちのカリスマとなった。1987年、マーの突然の脱退により解散。


【ビートルズ海賊盤事典】

松本常男著/講談社文庫/1985年
400枚以上にも及ぶ海賊盤についての解説が記されたマニアの必携のバイブル。文庫本にして800頁以上もある分厚い本。


【メンズクラブ】

婦人画報社(現アシェット婦人画報社)から発売されている男性ファッション誌。1960〜70年代は「アイビー・ファッション」の教科書として世の男子の美意識を高めた。また、「メンクラ」とともに、アイビーの教祖、石津謙介氏の手がける<VAN>ファッションも大流行した。


【カティ・サーク】

スコッチ・ブレンディッド・ウィスキー。『羊をめぐる冒険』『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』など村上春樹の小説にもよく登場する。


【レコード・コレクターズ】

ポップス、ロックが中心の非常にマニアックな音楽雑誌。データの正確さに定評がある。『レコード・コレクターズ増刊〜ザ・ビートルズ・コンプリートワークス』シリーズは1999〜2001年にかけて発売された。


【ビートルズ NO.5!】

1965年、東芝音楽工業(現東芝EMI)から発売された日本特別編集盤。アメリカ・キャピトル盤からも同じジャケットのLPが発売されているが曲目が違う。


【ステレオ!これがビートルズ Vol.1】

ファースト・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』(63/右)の日本盤。オリジナルとはジャケも、曲順も違う。8ページのフォトブックレット付きなので海外コレクターにも人気。1966年、来日記念盤として東芝音楽工業から発売。


【ステレオ!これがビートルズ Vol.2】

Vol.1と同時に発売。セカンド・アルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』(63/右)の日本盤。やはりオリジナル盤とはジャケット、曲順が異なる。


【プリーズ・プリーズ・ミー】

1963年にイギリスで発売されたファースト・アルバム(左)。日本でのファーストは『ビートルズ!』というタイトルで1964年に発売(右)。シングル盤およびファースト、セカンド・アルバムから選曲された日本独自の編集盤だった。


【ブッチャーカバー】

1966年に発売されたアメリカ・キャピトル盤のアルバム“Yesterday And Today”は、ブッチャー(肉屋)の格好をした4人が、肉塊と頭や胴体がバラバラになった赤ちゃんの人形を抱いている、というショッキングなジャケだった。そのため、発売直後から避難を浴びて即回収。ジャケは違う写真に差し替えられた。日本では未発売。


【ゲット・バック】

1969年、分解しそうになっていたビートルズの4人が再び集まり、ニュー・アルバム「ゲット・バック」のレコーディングを開始(通称「ゲット・バック・セッション」)。当初は、プロデューサー、ジョージ・マーティンがプロジェクトを進めていたが、結局は空中分解。後にフィル・スペクターのプロデュースにより『レット・イット・ビー』(70)として発売された。「ゲット・バック」は公式的にはお蔵入りとなったが、『ザ・ビートルズ・アンソロジー3』(96)でセッションの一部がようやく日の目を見た。


【SONYカセットテープ AHF】

ノーマルポジションの最上級ランクのテープ。1970年代後半から80年代前半まで発売されていた。


【Char】

最近は、キムタクと一緒にCF出演していることでも有名。1970年代には「気絶するほど悩ましい」(77)や「闘牛士」(78)がスマッシュヒット。端正なルックスとともにアイドル的人気を誇った。


【ゴダイゴ】

タケカワ ユキヒデ、ミッキー吉野らを中心として結成されたロック・バンド。「ガンダーラ」「モンキー・マジック」(共に78)が大ヒット。


【イカ天】
1989年、TBSの深夜番組として始まった『イカすバンド天国』は、世の中に一大バンドブームを巻き起こした。BEGIN、フライングキッズ、たま、人間椅子など、この番組をキッカケにデビューしたバンドは多数。


【ザ・ベストテン】
1977年から1989年の12年間、TBSで放送されていた音楽ランキング番組。初代の司会者は、当時TBSアナウンサーだった久米宏と黒柳徹子。1981年には寺尾聰の「ルビーの指環」が12週連続1位の記録をうち立てた。


【西遊記】
1978年、日本テレビで放送された連続ドラマ。三蔵法師を夏目雅子、孫悟空を堺正章、猪八戒を西田敏行、沙悟浄を岸部シローがそれぞれ演じ高視聴率を獲得。ゴダイゴの主題歌「ガンダーラ」や「モンキー・マジック」も大ヒット。


【カルチャー・クラブ】

1980年代を代表するイギリスのポップ・バンド。「カーマは気まぐれ」(83)で全米1位を獲得。レゲエやモータウン・サウンドを取り入れたポップ・ソングの数々は今なお色あせていない。女装やら麻薬やらで何かとお騒がせのボーイ・ジョージだが、メロディー・メーカーとしては非常に優秀な人物であった。


【赤盤・青盤】

『ザ・ビートルズ1962〜1966』(左)と『ザ・ビートルズ1967〜1970』(右)。解散後、ジョージにより選曲され、1973年に発売されたベスト・アルバム。全54曲を収録されておりビートルズ入門編としては最適。


【チェッカーズ】

この人たちを知らないヒトはいません。1980年代を代表する日本のポップ・アイドル・グループ。「涙のリクエスト」(84)が大ヒット。


【C-C-B】

「ロマンティックが止まらない」(85)が大ヒット。カラフルな髪とインカムをつけドラムをたたきながら歌うスタイルが印象的。1989年解散。


【モトリー・クルー】

ボン・ジョビやエアロ・スミスらと共に、1980年代のハードロック・ブームを象徴するバンドのひとつ。360度回転するドラムセットで有名なトミー・リーは1999年に脱退。「Dr Feelgood」(87)で全米1位を獲得。


【ガンズ・アンド・ローゼズ】

1987年『アペタイト・フォー・ディストラクション』でデビュー。パワフルかつセクシーなボーカリスト、アクセル・ローズの虜になりヘビメタを聴き始める女子が急増。


【ヤング・ギター】

エレキを弾くならこれを読め。シンコーミュージック刊。


【レッド・ウォーリアーズ】

ダイヤモンド☆ユカイらにより1985年結成。ラウドネス、VOWWOW、アースシェイカーらとともに日本のハードロック・シーンを牽引。


【テクノカット】

1980年代初頭のテクノ・サウンド・ブームは、音楽だけでなく、ファッションにも大きな影響を与えた。もみあげをスパッと落としたテクノカットは、当時、YMOのヘアメイクを担当していた<Bijin>の本多三記夫氏によって考案。


【ジューシィ・フルーツ】

1980年、近田春夫作曲によるデビュー曲「ジェニーはご機嫌ななめ」が大ヒット。テクノ・ポップをお茶の間に広めた。


【デヴィッド・ボウイ】


言わずもがな、イギリスのスーパー・ロックスター。御年56歳になるが、美男子ぶりは相変わらず。ボウイが頂点を極めたグラム・ロック時代に撮影された映画『ジギー・スターダスト』(73)は必見。楽屋シーンにリンゴの姿も。


【憂歌団】

日本のブルース番長。1973年、京都で起こったブルース・ムーヴメントの中から頭角を現し、「おそうじオバちゃん」(75)でデビュー。ボーカル木村秀勝の独特の歌声は、アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(96)の主題歌でもお馴染み。四半世紀に渡り一度のメンバーチェンジもなく活動を続けるが、98年に活動休止。


【ダニー・ハザウェイ】

カーティス・メイフィールド、マーヴィン・ゲイなどと並び、ソウル・ミュージック、R&Bファンにはハズせない人物。ソングライティング、編曲、キーボードをこなす天才肌。しかし、1979年に自殺。最後のアルバムとなってしまった『EXTENSION OF A MAN』(73)は名作。


【磔磔】

京都の河原町、仏光寺通りにあるライブ・ハウス。1974年にオープン。フォーク、ロック、ヘビメタからブルース、ソウル、ジャズまで、国内外のさまざまなミュージシャンがライブを行っているが、CHAINSもその内のひとり!!。


【京大西部講堂】
京都大学内にある講堂。1960年代半ばから「表現の場」として一般に開放されるようになり、京都カルチャー・シーンのシンボル的存在として、数多くの演劇、映画上映、ライブ等が行われてきた。1976年にはフランク・ザッパのライブも行われた。


【サージェント・ペパーズ・ロンリー・
 ハーツ・クラブ・バンド】

1967年に発表したビートルズ・サウンド最高峰のアルバム。ポップにこだわるポールと、サイケデリックを目指すジョンの違いが顕著に出ている。架空のバンドのアルバムというコンセプトで作られ、アート・ワークも傑出している。


【映画『レット・イット・ビー』】

1970年公開。1969年に行われた最後のレコーディング風景を記録したドキュメンタリー映画。ポールとジョージが喧嘩していたり、リンゴがムカツキながらドラムを叩いていたり、ジョンはポールを無視してヨーコとべったり……でバンドの雰囲気は最悪。ついに終焉を迎えてしまったバンドの苦悩が映し出されている。撮影と同時進行でレコーディングされた同名のアルバムは最後のアルバムとして70年に発表。映画のビデオ・DVD化が待たれる。


【映画『ビートルズがやってくる
 ヤァ!ヤァ!ヤァ!』】

1964年公開。リチャード・レスター監督によるビートルズ初主演映画。人気の絶頂期にいた4人が、ライブへTVショウへと、地下鉄や駅などロンドンの街中をめまぐるしく走り回る姿をスピード感いっぱいに撮影。公開を記念してアルバムも発売。左がイギリスのオリジナル盤、右が日本盤。日本盤は映画のシーンのコマ録りをジャケに使用した。ちなみに、リチャード・レスターは次作映画『HELP! 四人はアイドル』(65)も監督している。


【TV映画
 『マジカル・ミステリー・ツアー』】

1967年、ビートルズによる初プロデュース+監督作品。BBCで放映された当時は酷評されたが、今観てみるととても新鮮。時代を先取りした作品であり、ミュージック・ビデオとしても素晴らしい映像作品である。同名のアルバムには、サントラをA面に、B面にはシングルのみで発売された曲を収録している。1997年にDVD化された。