- 六九家裕光プロフィール
ろっくやひろみつ
- 1960年11月30日に、父 故 杵屋和四蔵の次男として生まれる。
- 3才で初舞台。16才の時、長唄杵勝派(きねかつは)名取師範(杵屋裕光)となり、故 杵屋和四蔵に師事。以後、歌舞伎座、国立劇場で歌舞伎、舞踊公演、また海外歌舞伎公演で、長唄地方三味線演奏家として活動している。
- 六九三味線とは?
- ロック三味線とも著す。古典芸能という形式にとらわれない新しい自由な音楽を、三味線で表現する新しいジャンル。また「六九家」という流派が演奏する三味線音楽をいう。
- 落語家の春風亭小朝師匠の支持もあり、新しい流派「六九家」を平成11年8月に創流した、六九家裕光こと杵屋裕光は、歌舞伎・舞踊公演の伴奏などで活躍している実力派の演奏家でありながら ‘三味線FUNK’バンドの「THE家元」にも参加し、また最近ではエレクトリック三味線という新楽器を使用するなど、常に日本の伝統音楽に対して温故知新の心で取り組んでいる。
- 六九家裕光ストーリー
西暦3000年、人類は地球を一つの国へと統一した。文明は栄え、宇宙旅行も東京から熱海の温泉場へ行くのと同じくらい容易いこととなっていた。この時代は楽器はほとんどなく、音楽は脳波へ直接働きかけるものとなっている。三味線はすでに存在しない…。はずだったが…!
698@NY-USA地区(現在のニューヨーク)に住んでいる六九家裕光は、宇宙連邦オーケストラ交信局に勤めている。ある日、知人の紹介で、世界民族フェスティバルの会場へと足を運んだ。そこでジャポネという文化物を展示しているところを赴くままに歩いていると、六九家は、ある物に目を止めた。それが三味線とは知らず…。その時、突然三味線が光り、三味線と六九家はその光に包まれて、過去の世界へとタイムスリップしてしまう。三味線の意志により様々な時代へとタイムトラベルをし、様々な音楽と出会うことで六九家は、自ら体感し演奏する音楽に触れた。
そして江戸時代の日本へタイムトラベル…。人々が賑わい、華やぐ江戸時代の町を目の当たりにした六九家は、一緒にタイムスリップしたものが三味線という楽器だと認識する。その瞬間、2001年へと連れて来られ、六九家は長唄三味線演奏家の杵屋裕光と運命的な出会いをする。六九家と杵屋裕光は瓜二つの存在であった。これを不思議に思った六九家は、家系図を検索することにより、杵屋裕光が自分の先祖だと知る。
なぜ三味線が自分をタイムスリップさせたのか? そうなのだ!“ 三味線は、あらゆる可能性を秘めた素晴らしい楽器で、この楽器を30世紀の地球に存在するよう伝承していくことが自分の使命なのだ”ということに気付いた六九家は、杵屋裕光と二人三脚で三味線伝導士として立ち上がったのである!!
- 六九家裕光が使用している長唄三味線とは?
- 三味線という楽器は、日本の代表的な民族弦楽器で、棹と呼ばれる部分の太さによって3種類(太棹・中棹・細棹)に分けられる。六九家裕光が使用している長唄三味線は細棹で、歌舞伎や日本舞踊の伴奏に用いられる。
- 「六九三味線」収録曲紹介
- 光線 〜Flashback〜
テクノ、トランス系のサウンドに幻想的な雰囲気を漂わす能管(のうかん)、またオケ・ブレイクに入る“大薩摩(おおさつま)”という派手でテンポが極めて速く技巧的な三味線ソロが聴きどころである。
- 鼓動 〜Heart Throb〜
長唄「連獅子」に使われている“髪あらい”と呼ばれるメロディや、三味線で表拍子と裏拍子を交互に弾き合う“清掻(すががき)”という三味線奏法の面白さが織り込まれている。
- お江戸 〜Old Edo Rap〜
“たま”という即興的に三味線(囃子)を弾く手法にラップが入り、江戸っ子の傾く(かぶく)雰囲気を艶やかに匂わしている。
- 天の川 〜Starlight River〜
三味線による水の世界を醸し出す癒しの曲。
江戸時代に、三味線で弾き語りをしながら町を歩いていた“新内流し(しんないながし)”と呼ばれる人たちが奏でた情緒ある、しっとりとした三味線の雰囲気に、女性のスキャットを絡ませた美しいメロディが、心に安らぎを与えてくれる。
- 哀愁 〜Latin Shamisen〜
長唄三味線とフラメンコギターとの融合。
中近東で生まれた弦楽器が東西に分かれて伝わり、東の国で約17世紀ごろ生まれた三味線と西の国で育ったギターがめぐり合い、そして共に奏で合った。
- 六九家裕光の主な公演、活動
- 1980年、ニューヨーク メトロポリタンオペラハウス、ワシントンに於いて、ジャパンソサイティ主催歌舞伎演に参加。
- 1988年、ニューヨーク メトロポリタンオペラハウスにて市川猿之助の歌舞伎公演に参加。その他に坂東玉郎、中村勘九郎の歌舞伎公演にも参加。
- 1990年、‘三味線FUNK’バンドの「THE家元」に参加。その際、第27回ポーランド“ソボット・インターナショナル・ミュージック・フェスティバル90”で第2位を獲得。
- 1991年 2月、日刊工業ホールにて、リサイタル「裕光の会」を開催する。
- 1994年10月、大阪近鉄劇場で沢田研二主演ミュージカル「ザ・近松」の音楽を、また“三味線屋裕光”なる役名で出演。(1999年2月、東京日生劇場にて再演。)
- 1996年、小西貴雄との共作で九州佐賀の炎の博覧会に出品(日本館で行われた歌舞伎人形劇のBGMの曲作りに参加)。その後、この作品はオーランドのウォルトディズニーワールド内にあるエプコットセンターで公演された。
- 1999年3月、蜷川幸雄 演出の芝居「元禄港歌」のスタッフ(三味線指導)として参加する。
- 1999年8月、国立劇場にて、落語家の春風亭小朝とロック三味線の「六九家流」という流派を旗揚する。以降、テレビ番組への出演や数々の公演を行っている。
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