1947年1月24日シカゴ生まれのシンガーソングライター。カリフォルニアで育ち、その後クラシックを勉強したものの、フォークからロックに興味を抱き、ニューヨークへ移る。
だが活動状況は芳しくなく、再びロスへ戻り、以後はここを拠点に音楽活動を続ける。

1969年ソロのデビュー・アルバム『Wanted Dead or Alive』を発表。その中の一曲“She Quit Me”が、映画『真夜中のカウボーイ』のサウンド・トラックに収録されたが、ジヴォン自信のアルバムに脚光が浴びることはなかった。その後、ワディ・ワクテルらと活動。リンダ・ロンシュタッドがジヴォンの曲を取り上げた事から注目を集め、1976年、親友ジャクソン・ブラウンの推薦でアサイラムとの契約が成立。

ブラウン自信のプロデュースによる『さすらい(Warren Zevon)』を発表する。
このアルバムは後にローリング・ストーン誌から5つ星を、そして、タイム・マガジン誌からは「70年代のベスト10作品」の一つに選ばれた。その後、プラチナレコードとなる『エキサイタブル・ボーイ(Excitable Boy)』(1978)(このアルバムの中では「ロンドンの狼男」が有名)をリリース。続いてブルース・スプリングスティーンとの共作「Jeannie Needs a Shooter」を含む『ダンシングスクールの悲劇(Bad Luck Streak In DancingSchool)』(1980)、『炎のL.A.(Stand in the Fire)』(1981ライブ盤)、『外交使節(The Envoy)』(1982)、『A Quiet Normal Life』(1986ベスト盤)、などのアルバムを発表し、この時期、イーグルスやリンダ・ロンシュタットなどの多くのアサイラム系アーティストと交流をもち、現代アメリカの現実的な荒々しさを感じさせるハードな歌詞を骨太のヴォーカルで聞かせる彼のスタイルで“ハードボイルド派ミュージシャン”として認識されるようになる。旧友ジャクソン・ブラウンはジヴォンのことを“ソング・ノワールを最初に支持し、その擁護者にもなった男“と評している。

1987年、ジヴォンはヴァージンと契約を交わし、REMのメンバーやボブ・ディランらが参加したアルバム『センチメンタル・ハイジーン(Sentimental Hygiene)』を、翌々年には『トランスバース・シティ(Transverse City)』(1989)を発表。90年以降はジャイアントと契約し、『ミスター・バッド・エグザンプル(Mr.Bad Example)』(1991)、『Learning to Flinch』(1993ライブ盤)、『Mutineer』(1995)を発表する。その後は、アルテミス・レコーズと契約。『ライフル・キル・ヤ(Life’ll Kill Ya)』(2000)、『マイ・ライデスヒア(My Ride’s Here)』(2001)をリリース。

2002年、彼は末期の癌であると公表。残された時間の中で曲を書き、歌を歌い楽器を奏でアルバムを完成させたのが本作である。


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