CIRCA ZERO(サーカ・ゼロ)プロフィール

PROFILEプロフィール

CIRCA ZERO(サーカ・ゼロ)

CIRCA ZERO(サーカ・ゼロ)

20年にも及ぶソロ・キャリアの追求、それは主としてインストゥルメンタル・ミュージック、そして自身のジャズ・ルーツの探求に当てられたものだった。それを通過し、2007年に突如として実現したモンスター・アクト“The Police”の再結成に参加したギター・プレイヤーのアンディ・サマーズが新ユニットを結成した。
2008年の再結成ツアーは合計15か月にも及ぶ長期に渡り、The Police在籍時も合わせ、過去3番目に及ぶ長さとなった(日本では東京ドーム公演が実現)のだが、同時にアンディには、ニュー・プロジェクト、ふたたびロック・バンドを結成するというモチヴェーションにもなったようだ。
カリフォルニアはヴェニースにあるハウス・スタジオで楽曲をレコーディングしている時も、“何かが欠如している”という感情を拭い去ることが出来なかった。その後数年が経過し、アンディに千載一遇のチャンスが訪れる。老舗クラブであるTroubadour で、The Rescues というグループを率いていたロブ・ジャイルズとの出会いである。ロス在住のソングライターであり、マルチ・インストゥルメンタリストでもあるロブは、まさにアンディが探し求めていた人材そのものであった。
二人は Circa Zeroとして活動することを決意、429 Records との契約を獲得する。アンディのトレードマークであるパワフルなメロディラインと、独特のコードワークを活かした楽曲、そしてロブの特徴的なヴォーカル・スタイル。
Circa Zeroはアンディ、そしてロブにとってもキャリアの中の新たな、かつ非常に重要なチャプターとなるだろう。もちろん、The Police、そしてロブがThe Rescues というバンドのメンバーだった事実に変わりはないが、それに関して2人が作業中に触れることはほとんどなかったようだ。Circa Zeroというグループに込められたコンセプトは単純で、過去の束縛から自らを解き放つこと、そしてフレッシュな何かを生み出すことにのみフォーカスがなされている。

アンディ:“バンド名はとてもエッジ―な響きを持ってる。文字通り‘ほとんどゼロ’という意味だ。私たちの音楽は、無の状態から何かを始めて、それがどうなるかというものなんだ。良いアルバムになったと思う。聴く人を驚かせて、ぶっ飛ばすよ・・・”
アンディはギターパートのすべてを、そして同じく基本的にはギター・プレイヤーでもあるロブはベース、ドラム、その他すべての楽器を演奏している。予想もしないような化学反応に満ちたCirca Zero のスタイルは、容易には壊れそうもない。
アンディ: “直感的であり、上手くことばにはできないんだが、ユニットがスタートすると同時に私たちは同じ場所に向かう同じチームのようなものだった。そういう気分になることは非常に珍しい。以前にSting と同じフィーリングを分かち合ったけど、それ以来まったく感じたことがないものなんだ。だからそれが起った時には、とてもマジカルな感じがした。”
ユニット結成時に作りだした催眠作用のあるようなリフ、それは後にアルバム収録曲となる “No Highway” の原曲になったのだが、その時点で二人は“ロック・レコードを作る”ということを念頭としていたようだ。
数年にも及ぶジャズ、インストでの録音体験の後に行われたその作業は、アンディにとって、ロックの魅力、ヴォーカリストとの作業の楽しさを再発見できる時間でもあったらしい。
“The Police の再結成ツアーを行って、カムバックしたら、ダンス・ミュージックを作るようなものとは違うんだよ” とアンディは笑う。一方、ロブは人気ドラマ“グレイズ・アナトミー”の主演女優であるサラ・ラミレス(メキシコ系アメリカ人女優:同ドラマの他、ブロードウェイミュージカルSpamalotにも出演、トニー賞を受賞している実力派)のデビュー作(全米top30入り)をプロデュースし、作家としてもクレジットされている。また“Private Practice” 、“One Tree Hill” などのドラマにも楽曲が使用されている、有名なスタジオマンだった。The Rescuesを愛してはいたが、ある種の限界を感じ始めていたロブにとって、アンディとの出会いがどれほどに刺激的だったかは、言うまでもないはずだ。
Circa Zeroはもはや伝説の域にまで上り詰めたアンディにとっては、再びロックする活力として、そしてThe Rescuesを率い、コンポーザーとしての地位を追い求めていたロブにとっては新たなる野望への第一歩としての存在だろう。
アンディ:“ファースト、Circus Heroは単なる一過性のプロジェクトではない。私たち2人にとっての特別にクリエイティヴなパートナーシップの始まりなんだ。”


【The Police profile】
1970年代後半から1980年代半ばにかけて活躍した、イギリスのロックバンド。
ロックの枠組みの中に、レゲエの要素を加えた斬新な音楽性は、ホワイト・レゲエとしばしば呼称される(2ndアルバムの"Reggatta de blanc"とは、White Reggaeの意味である)。
1977年、ジャズバンドの「ラスト・イグジット」で活動していたベーシスト兼ボーカリストのスティング、プログレッシブ・ロック・バンドの「カーヴド・エア」で活動していたドラマー、スチュワート・コープランド、ギタリストのヘンリー(アンリ)・パドゥバーニの3人で結成。同年5月、ポリスはマネージャーのマイルス・コープランド(スチュアートの実兄)のレーベル、イリーガルからデビュー・シングル「フォール・アウト」を発表、前後して2人目のギタリスト、アンディ・サマーズが加入する。
サマーズは「ズート・マネーズ・ビッグ・ロール・バンド」、後期「アニマルズ」などの一員として60年代から活動を続けており、正式な音楽教育も受けていた。ほどなくして、パドゥバーニが脱退しトリオとなる。
コープランド、スティング、サマーズのトリオとなったポリスは、78年に「ロクサーヌ」でパンク・ブームメントに乗ってメジャー・デビュー。3人の音楽はジャズ、レゲエ等の要素を折衷した高度なものだったが、マイルスは巧みなイメージ戦略によってバンドを波に乗せることに成功し、その後もメンバーの音楽的素養を柔軟に取り入れた独自のロックを生み出した。同年11月のファースト・アルバム『アウトランドス・ダムール』は翌79年に英6位まで上昇し、次いで発表されたシングル「孤独のメッセージ」とセカンド・アルバム『白いレガッタ』は相次いで英チャート首位をマーク。以降、82年までの間、バンドは一連のシングル(「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」、「高校教師」、「ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」、「マジック」)とアルバム『ゼニヤッタ・モンダッタ』、『ゴースト・イン・ザ・マシーン』を英チャート首位に送り込み、名実共にロック・シーンの頂点に君臨、80年にはグラミー賞も受賞し、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」にも選ばれている。83年のアルバム『シンクロニシティー』は英米両国のヒット・チャートを制覇。同じく英米で首位をマークした「見つめていたい」などのヒット曲も生まれた。80年代半ばにメンバーのソロ活動が本格化し、86年には新作の制作も伝えられるが、間もなくポリスはその活動を終えた。
バンドのフロントマンであるスティングは、ソロ・アーティストとしても高い人気と評価を維持、一方のポリスの人気も衰えることなく、86年の『ポリス・ザ・シングルス〜見つめていたい』は英1位、米7位をマーク、92年の『グレイテスト・ヒッツ』も英10位まで上昇している。03年、ポリスはロックの殿堂入りを果たし、これを祝う式典では、久々に3人が揃って、「ロクサーヌ」「孤独のメッセージ」「見つめていたい」のパフォーマンスを披露。07年には、デビュー30周年記念の再結成をし、第49回グラミー賞のオープニングでは「ロクサーヌ」を演奏。同年、コープランドがバンド活動期に撮り続けた映像を集め、自ら監督したという、ポリスのドキュメンタリー映画『ポリス インサイド・アウト』が公開。同年、80本以上に及ぶサポート・メンバーなしの「完全3ピース」によるワールド・ツアーを決行。パリ公演のアンコールでは、初代ギタリストのヘンリー(アンリ)・パドゥバーニがステージに上がり、30年ぶりの「4人ポリス」の再結成も行われた。13年には、サマーズの自伝『アンディ・サマーズ自伝 ポリス全調書』を原作、アンディの製作総指揮で作られた映画『ポリス/サヴァイヴィング・ザ・ポリス』が公開される