昭和12年 | 5月29日 | 横浜市磯子区滝頭に、加藤家の長女として生まれる。 |
昭和13年 | 9月19日 | 妹・勢津子誕生。 |
昭和16年 | 1月15日 | 弟・益夫誕生。 |
昭和18年 | 4月22日 | 弟・武彦誕生。 |
6月 | 父・増吉出征壮行会の席で「九段の母」を歌う。 | |
昭和19年 | 4月1日 | 滝頭国民学校に入学。 |
昭和20年 | 12月 | 横浜市磯子区の杉田劇場(アテネ劇場の前身)で初舞台を踏む。 |
昭和22年 | 9月 | 巡業中、高知県でバス事故にあう。 |
昭和23年 | 3月8日〜 | 横浜国際劇場に出演。 |
昭和24年 | 3月 | 東映映画「のど自慢狂時代」で映画初出演。 |
6月23日 | 3作目「踊る竜宮城」で初のオリジナル曲「河童ブギウギ」を吹込み。 | |
9月10日 | 松竹映画「悲しき口笛」で初の主演、同名の主題歌が発売。 | |
10月 | 日本コロムビアと専属契約を結ぶ。 | |
昭和25年 | 3月22日 | 滝頭小学校卒業。 |
4月1日 | 精華学園中等部入学。 | |
5月16日〜 | 初の海外公演。(ハワイ、アメリカ) | |
9月9日 | 松竹映画「東京キッド」封切。 レコードが大ヒットすると同時に、子役として最高の演技と絶賛される。 | |
昭和26年 | 5月28日 | 大阪難波スタジアムで「歌のホームラン」出演中に後援会結成が発表される。 |
6月 | “新芸術プロ”発足、専属となる。 | |
昭和27年 | 1月6日〜 | 浅草国際劇場で初の正月公演。 |
4月 | ラジオ東京で初の連続放送劇「リンゴ園の少女」放送される。 | |
4月28日〜 | 第1回歌舞伎座リサイタル“美空ひばりの会”開催される。(28・29日) | |
9月 | マーガレット・オブライエン来日、「二人の瞳」撮影。 | |
11月 | 戦犯収容所を慰問。 | |
昭和28年 | 3月 | 精華学園中等部卒業。 |
4月1日 | 精華学園高等部入学。 | |
11月 | 横浜市磯子区間坂に新居完成。 | |
昭和29年 | 3月31日 | 松竹映画「伊豆の踊子」に主演、大好評を得る。 |
6月25日 | NHKラジオ「黄金の椅子」に最年少で出演。 | |
7月 | ニッポン放送「明玉夕玉」始まる。 | |
12月31日 | 第5回NHK紅白歌合戦に初出場。「ひばりのマドロスさん」を歌う。 | |
昭和30年 | 5月 | 花柳流の名取(花柳美之)になる。 |
昭和31年 | 1月15日 | 大阪劇場正月公演で入場時に混乱し、ファンの1人死亡。 |
3月 | 精華学園高等部卒業。 | |
8月6日 | 沖縄公演。 | |
10月 | 8年ぶりに想い出の横浜国際劇場に出演。 | |
昭和32年 | 1月13日 | 浅草国際劇場出演中、ファンに塩酸をかけられるが軽傷ですむ。 |
6月21日 | ただ一人の先生とあおいでいた川田晴久氏死去。 | |
昭和33年 | 3月26日〜 | 歌舞伎座でデビュー10周年記念リサイタルを開催。(26・27日) |
8月15日 | 東映映画と専属契約。 | |
昭和34年 | 3月17日 | 東映映画べらんめえシリーズ第1作「東京べらんめえ娘」封切。 |
昭和35年 | 12月23日 | 第2回日本レコード大賞歌唱賞を「哀愁波止場」で受賞。 |
昭和36年 | 1月 | 第2回ハワイ公演。 |
7月2日 | 発売レコード500万枚突破記念リサイタルを東京サンケイホールで開催。 | |
昭和37年 | 1月 | ブルーリボン大衆賞を受賞。 |
11月5日 | 小林旭と結婚。(日活国際ホテル) | |
昭和38年 | 2月1日 | 父・増吉が肺結核で死去。50歳。 |
5月26日 | 世田谷区上野毛の新居に移転。 | |
9月28日〜 | 雑誌「平凡」の歌手人気投票連続12年、1位の記念リサイタルを歌舞伎座で開催。(28・29日) | |
12月 | 東映との専属契約解除。 | |
昭和39年 | 6月 | 新宿コマ劇場初出演。(「女の花道」) |
6月25日 | 小林旭との離婚発表。 | |
10月 | TBSテレビ「美空ひばり劇場」始まる。 | |
昭和40年 | 4月 | 名古屋御園座に初出演。 |
6月〜7月 | 新宿コマ劇場出演。 | |
9月 | 東京労音に出演。 | |
10月 | 梅田コマ劇場に初出演。 | |
12月 | 第7回日本レコード大賞を「柔」で受賞。 | |
昭和41年 | 1月6日〜 | 浅草国際劇場連続15年出演で一応終止符を打つ。(6〜13日) |
4月 | 名古屋御園座に出演。 | |
6月〜7月 | 新宿コマ劇場公演。 | |
9月 | 大阪労音に初出演。 | |
10月 | 梅田コマ劇場出演。 | |
11月 | 明治座に初出演。 | |
昭和42年 | 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(10月)、明治座(11月)の出演ローテーション決まる。 | |
10月1日 | 『美空ひばり大全集』発表、大きな話題となる。 | |
昭和43年 | 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(10月)、明治座(11月)定期公演開催。 | |
昭和44年 | 8月 | 第3回ハワイ公演。初のブラジル公演大成功。 |
10月 | 日赤の金色有功章を授章。 | |
12月 | 日赤の奉仕活動の功で紺綬褒章受章。 | |
昭和45年 | 12月31日 | 第21回NHK紅白歌合戦で司会を務める。 |
昭和46年 | 芸能生活25周年記念の行事盛大に行われる。 | |
11月 | 日本歌謡大賞放送音楽特別賞を受賞。 | |
昭和47年 | 御園座(4月)、新宿コマ(6月)、帝国劇場(7月)、梅田コマ(11月)の出演ローテーション決まる。 | |
昭和48年 | 3月 | 目黒区青葉台に新居完成。 |
8月〜9月 | アメリカ公演。(ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトル) | |
11月 | 日本レコード大賞15周年記念特別賞を受賞。 | |
12月31日 | NHK紅白歌合戦17回出場で一応打切る。 | |
昭和49年 | 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、帝国劇場(7月)、梅田コマ(10月)、明治座(11月)定期公演開催。 | |
1月 | 後援会主催の「新春コンサート」開催。 | |
昭和50年 | 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(10月)、帝国劇場(11月)定期公演開催。 | |
10月1日 | 芸能生活30周年記念アルバム『美空ひばり 歌謡曲50年』(30cmLP)第1回発売。 (翌51年10月1日まで隔月に全15枚発売) | |
12月 | 8ミリ記録映画「美空ひばり」発売される。 | |
昭和51年 | 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(10月)、帝国劇場(11月)定期公演開催。 | |
1月 | 東京・青葉台の自宅で初めての記者懇談会を催す。 | |
2月 | 芸能生活30周年記念パーティーを東京ヒルトンホテルで開催。 | |
3月1日 | 芸能生活30周年記念リサイタルを中野サンプラザホール開催。 | |
8月 | 飯塚音楽祭に参加。 | |
9月 | ハワイ公演。 | |
昭和52年 | 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(10月)、帝国劇場(11月)定期公演開催。 | |
4月 | NHK「ビッグショー」に2週連続出演。(10・17日) | |
昭和53年 | 新宿コマ(6月)、梅田コマ(7月)、帝国劇場(10月)定期公演開催。 | |
8月 | 東宝ゆかたの会(芸術座)に参加。 | |
12月 | 三大都市縦断コンサート東京、名古屋開催。 | |
昭和54年 | 新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(9月)定期公演開催。 | |
1月 | 三大都市縦断コンサート大阪開催。 | |
12月31日 | NHK紅白歌合戦に特別出演。(7年ぶりの出演) | |
昭和55年 | 梅田コマ(9月)、新宿コマ(10・11月)定期公演開催。 | |
1月1日 | 『美空ひばり・歌ひとすじ』(レコード11枚、ミュージックテープ6巻)発売。 | |
昭和56年 | 帝国劇場(4月)、梅田コマ(9月)、新宿コマ(11・12月)定期公演開催 | |
3月5日 | 芸能生活35周年記念『美空ひばり/ひとすじの道』(レコード3枚、ミュージックテープ3巻)発売。 同記念曲「剣ひとすじ」発売。 芸能生活35周年記念パーティーを東京プリンスホテルで開催。 | |
5月 | 芸能生活35周年記念チャリティー・オークションを開催。 | |
6月25日 | 芸能生活35周年記念リサイタルを日本武道館で開催。 | |
7月29日 | 母・貴美枝が転移性脳腫瘍で死去。68歳。 | |
10月1日 | かとう哲也第1回プロデュース作品「人恋酒」発売。 | |
昭和57年 | 梅田コマ(9月)、新宿コマ(11、12月)定期公演開催。 | |
3月 | 沖縄返還10周年記念コンサートを沖縄市と那覇市で開催。 | |
5月29日 | 誕生記念盤として「裏町酒場」発売。 | |
6月26日 | リサイタル“愛ある限り私は歌う”を中野サンプラザホールで開催。 | |
10月 | 初のディナーショーを新高輪プリンスホテル・飛天の間で開催。 | |
昭和58年 | 梅田コマ(9月)、新宿コマ(11・12月)定期公演開催。 | |
1月21日 | 初のCD(コンパクトディスク)『EVER GREEN☆HIBARI』発売。 | |
5月 | 新宿コマ20年連続出演記念、初「ひばりミュージカル・水仙の詩」。 相手役新人オーディション橋爪淳決定。 | |
10月 | 建直しのため青葉台から仮住居へ転居。 | |
10月24日 | 弟・かとう哲也が心不全で死去。42歳。 | |
11月1日 | 故・かとう哲也、最後のプロデュース作品「残侠子守唄」発売。 | |
12月 | 初のビデオディスク「美空ひばり武道館ライブ」発売。 | |
昭和59年 | 梅田コマ(9月)、新宿コマ(11・12月)定期公演開催。 | |
昭和60年 | 1月 | 青葉台新居完成。 |
3月9日 | 40周年記念リサイタルを中野サンプラザホールで開催。 | |
5月29日 | 40周年記念パーティーを東京プリンスホテルで開催。 | |
6月 | 紀行番組「女ひとり旅」テレビ出演。 | |
昭和61年 | 梅田コマ(9月)、新宿コマ(11月)定期公演開催。 | |
4月1日 | 弟・香山武彦が急性心不全で死去。42歳。 | |
12月 | ディナーショーを帝国ホテルで開催。 | |
昭和62年 | 2月 | 九州地方コンサート開催。 |
3月 | 関西地方コンサート開催。 | |
4月 | 東北地方コンサート開催。 文化放送開局30周年「コロムビア大行進」出演。 四国地方コンサート開催。 | |
4月22日 | 福岡済生会病院に入院。両側大腿骨骨頭壊死、慢性肝炎と診断される。 | |
8月3日 | 退院。帰京して自宅療養。 | |
10月9日 | 再起第一作「みだれ髪」「塩屋崎」レコーディング。 | |
12月13日 | 京都会館「日本の宴」で8ヶ月ぶりにステージに立つ。 | |
昭和63年 | 4月11日 | 復帰公演“不死鳥 〜翔ぶ!!新しき空へ向かって〜”を東京ドームで開催。 |
4月29日 | 「美空ひばり展」池袋西武にて開催。 | |
5月28日 | 再起誕生会ミニコンサート“感謝と母を偲ぶ会”を赤坂プリンスホテルで開催。 | |
6月〜 | 日本各地お礼公演。 | |
12月25日 | ディナーショーを帝国ホテルで開催。 | |
平成元年 | 2月6日 | 福岡サンパレスホールでの昼夜公演で'89全国ツアーをスタートするが… |
2月7日 | 小倉・九州厚生年金会館での昼夜公演後、済生会福岡総合病院に入院。 | |
2月10日 | 一時退院。 | |
2月15日 | 順天堂大学病院に転院。 | |
2月18日 | 一時退院。 | |
3月21日 | ニッポン放送10時間ラジオ「美空ひばり、感動のこの一曲」を自宅から生放送。 放送後、順天堂大学病院に入院。 | |
3月23日 | 横浜アリーナ(4/17予定)公演中止を発表。 | |
6月13日 | 意識不明となり人工呼吸に。 | |
6月24日 | 午前0時28分永眠。間質性肺炎による呼吸不全。52歳。 | |
7月4日 | 女性として初の「国民栄誉賞」を受賞。 | |
7月22日 | 東京・青山斎場で葬儀。喪主は長男和也。 |