美空ひばりプロフィール

PROFILEプロフィール

美空ひばり

美空ひばり

◇ 本名:加藤和枝
◇ 生年月日:昭和12年5月29日
◇ 出身地:神奈川県横浜市磯子区

昭和24年、「河童ブギウギ」でレコードデビュー。
以後、1500を超える曲を録音し、「悲しき口笛」、「東京キッド」、「リンゴ追分」、「港町十三番地」、「柔」、「悲しい酒」、「おまえに惚れた」、「愛燦燦(あいさんさん)」、「みだれ髪」、「川の流れのように」などなど、放ったヒット曲は数知れず。平成元年6月24日の死去まで、40有余年にわたって日本歌謡界の第一線で活躍した。
没後の平成元年7月、真摯な精進で歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた功績が認められ、女性初の国民栄誉賞を受賞。

昭和12年5月29日横浜市磯子区滝頭に、加藤家の長女として生まれる。
昭和13年9月19日妹・勢津子誕生。
昭和16年1月15日弟・益夫誕生。
昭和18年4月22日弟・武彦誕生。
 6月父・増吉出征壮行会の席で「九段の母」を歌う。
昭和19年4月1日滝頭国民学校に入学。
昭和20年12月横浜市磯子区の杉田劇場(アテネ劇場の前身)で初舞台を踏む。
昭和22年9月巡業中、高知県でバス事故にあう。
昭和23年3月8日〜横浜国際劇場に出演。
昭和24年3月東映映画「のど自慢狂時代」で映画初出演。
 6月23日3作目「踊る竜宮城」で初のオリジナル曲「河童ブギウギ」を吹込み。
 9月10日松竹映画「悲しき口笛」で初の主演、同名の主題歌が発売。
 10月日本コロムビアと専属契約を結ぶ。
昭和25年3月22日滝頭小学校卒業。
 4月1日精華学園中等部入学。
 5月16日〜初の海外公演。(ハワイ、アメリカ)
 9月9日松竹映画「東京キッド」封切。
レコードが大ヒットすると同時に、子役として最高の演技と絶賛される。
昭和26年5月28日大阪難波スタジアムで「歌のホームラン」出演中に後援会結成が発表される。
 6月“新芸術プロ”発足、専属となる。
昭和27年1月6日〜浅草国際劇場で初の正月公演。
 4月
4月28日〜
ラジオ東京で初の連続放送劇「リンゴ園の少女」放送される。
第1回歌舞伎座リサイタル“美空ひばりの会”開催される。(28・29日)
 9月マーガレット・オブライエン来日、「二人の瞳」撮影。
 11月戦犯収容所を慰問。
昭和28年3月精華学園中等部卒業。
 4月1日精華学園高等部入学。
 11月横浜市磯子区間坂に新居完成。
昭和29年3月31日松竹映画「伊豆の踊子」に主演、大好評を得る。
 6月25日NHKラジオ「黄金の椅子」に最年少で出演。
 7月ニッポン放送「明玉夕玉」始まる。
 12月31日第5回NHK紅白歌合戦に初出場。「ひばりのマドロスさん」を歌う。
昭和30年5月花柳流の名取(花柳美之)になる。
昭和31年1月15日大阪劇場正月公演で入場時に混乱し、ファンの1人死亡。
 3月精華学園高等部卒業。
 8月6日沖縄公演。
 10月8年ぶりに想い出の横浜国際劇場に出演。
昭和32年1月13日浅草国際劇場出演中、ファンに塩酸をかけられるが軽傷ですむ。
 6月21日ただ一人の先生とあおいでいた川田晴久氏死去。
昭和33年3月26日〜歌舞伎座でデビュー10周年記念リサイタルを開催。(26・27日)
 8月15日東映映画と専属契約。
昭和34年3月17日東映映画べらんめえシリーズ第1作「東京べらんめえ娘」封切。
昭和35年12月23日第2回日本レコード大賞歌唱賞を「哀愁波止場」で受賞。
昭和36年1月第2回ハワイ公演。
 7月2日発売レコード500万枚突破記念リサイタルを東京サンケイホールで開催。
昭和37年1月ブルーリボン大衆賞を受賞。
 11月5日小林旭と結婚。(日活国際ホテル)
昭和38年2月1日父・増吉が肺結核で死去。50歳。
 5月26日世田谷区上野毛の新居に移転。
 9月28日〜雑誌「平凡」の歌手人気投票連続12年、1位の記念リサイタルを歌舞伎座で開催。(28・29日)
 12月東映との専属契約解除。
昭和39年6月新宿コマ劇場初出演。(「女の花道」)
 6月25日小林旭との離婚発表。
 10月TBSテレビ「美空ひばり劇場」始まる。
昭和40年4月名古屋御園座に初出演。
 6月〜7月新宿コマ劇場出演。
 9月東京労音に出演。
 10月梅田コマ劇場に初出演。
 12月第7回日本レコード大賞を「柔」で受賞。
昭和41年1月6日〜浅草国際劇場連続15年出演で一応終止符を打つ。(6〜13日)
 4月名古屋御園座に出演。
 6月〜7月新宿コマ劇場公演。
 9月大阪労音に初出演。
 10月梅田コマ劇場出演。
 11月明治座に初出演。
昭和42年 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(10月)、明治座(11月)の出演ローテーション決まる。
 10月1日『美空ひばり大全集』発表、大きな話題となる。
昭和43年 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(10月)、明治座(11月)定期公演開催。
昭和44年8月第3回ハワイ公演。初のブラジル公演大成功。
 10月日赤の金色有功章を授章。
 12月日赤の奉仕活動の功で紺綬褒章受章。
昭和45年12月31日第21回NHK紅白歌合戦で司会を務める。
昭和46年 芸能生活25周年記念の行事盛大に行われる。
 11月日本歌謡大賞放送音楽特別賞を受賞。
昭和47年 御園座(4月)、新宿コマ(6月)、帝国劇場(7月)、梅田コマ(11月)の出演ローテーション決まる。
昭和48年3月目黒区青葉台に新居完成。
 8月〜9月アメリカ公演。(ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトル)
 11月日本レコード大賞15周年記念特別賞を受賞。
 12月31日NHK紅白歌合戦16回出演で一応打切る。
昭和49年 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、帝国劇場(7月)、梅田コマ(10月)、明治座(11月)定期公演開催。
 1月後援会主催の「新春コンサート」開催。
昭和50年 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(10月)、帝国劇場(11月)定期公演開催。
 10月1日芸能生活30周年記念アルバム『美空ひばり 歌謡曲50年』(30cmLP)第1回発売。
(翌51年10月1日まで隔月に全15枚発売)
 12月8ミリ記録映画「美空ひばり」発売される。
昭和51年 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(10月)、帝国劇場(11月)定期公演開催。
 1月東京・青葉台の自宅で初めての記者懇談会を催す。
 2月芸能生活30周年記念パーティーを東京ヒルトンホテルで開催。
 3月1日芸能生活30周年記念リサイタルを中野サンプラザホール開催。
 8月飯塚音楽祭に参加。
 9月ハワイ公演。
昭和52年 御園座(4月)、新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(10月)、帝国劇場(11月)定期公演開催。
 4月NHK「ビッグショー」に2週連続出演。(10・17日)
昭和53年 新宿コマ(6月)、梅田コマ(7月)、帝国劇場(10月)定期公演開催。
 8月東宝ゆかたの会(芸術座)に参加。
 12月三大都市縦断コンサート東京、名古屋開催。
昭和54年 新宿コマ(6・7月)、梅田コマ(9月)定期公演開催。
 1月三大都市縦断コンサート大阪開催。
 12月31日NHK紅白歌合戦に特別出演。(7年ぶりの出演)
昭和55年 梅田コマ(9月)、新宿コマ(10・11月)定期公演開催。
 1月1日『美空ひばり・歌ひとすじ』(レコード11枚、ミュージックテープ6巻)発売。
昭和56年 帝国劇場(4月)、梅田コマ(9月)、新宿コマ(11・12月)定期公演開催
 3月5日芸能生活35周年記念『美空ひばり/ひとすじの道』(レコード3枚、ミュージックテープ3巻)発売。
同記念曲「剣ひとすじ」発売。
芸能生活35周年記念パーティーを東京プリンスホテルで開催。
 5月芸能生活35周年記念チャリティー・オークションを開催。
 6月25日芸能生活35周年記念リサイタルを日本武道館で開催。
 7月29日母・貴美枝が転移性脳腫瘍で死去。68歳。
 10月1日かとう哲也第1回プロデュース作品「人恋酒」発売。
昭和57年 梅田コマ(9月)、新宿コマ(11、12月)定期公演開催。
 3月沖縄返還10周年記念コンサートを沖縄市と那覇市で開催。
 5月29日誕生記念盤として「裏町酒場」発売。
 6月26日リサイタル“愛ある限り私は歌う”を中野サンプラザホールで開催。
 10月初のディナーショーを新高輪プリンスホテル・飛天の間で開催。
昭和58年 梅田コマ(9月)、新宿コマ(11・12月)定期公演開催。
 1月21日初のCD(コンパクトディスク)『EVER GREEN☆HIBARI』発売。
 5月新宿コマ20年連続出演記念、初「ひばりミュージカル・水仙の詩」。
相手役新人オーディション橋爪淳決定。
 10月建直しのため青葉台から仮住居へ転居。
 10月24日弟・かとう哲也が心不全で死去。42歳。
 11月1日故・かとう哲也、最後のプロデュース作品「残侠子守唄」発売。
 12月初のビデオディスク「美空ひばり武道館ライブ」発売。
昭和59年 梅田コマ(9月)、新宿コマ(11・12月)定期公演開催。
昭和60年1月青葉台新居完成。
 3月9日40周年記念リサイタルを中野サンプラザホールで開催。
 5月29日40周年記念パーティーを東京プリンスホテルで開催。
 6月紀行番組「女ひとり旅」テレビ出演。
昭和61年 梅田コマ(9月)、新宿コマ(11月)定期公演開催。
 4月1日弟・香山武彦が急性心不全で死去。42歳。
 12月ディナーショーを帝国ホテルで開催。
昭和62年2月九州地方コンサート開催。
 3月関西地方コンサート開催。
 4月東北地方コンサート開催。
文化放送開局30周年「コロムビア大行進」出演。
四国地方コンサート開催。
 4月22日福岡済生会病院に入院。両側大腿骨骨頭壊死、慢性肝炎と診断される。
 8月3日退院。帰京して自宅療養。
 10月9日再起第一作「みだれ髪」「塩屋崎」レコーディング。
 12月13日京都会館「日本の宴」で8ヶ月ぶりにステージに立つ。
昭和63年4月11日復帰公演“不死鳥 〜翔ぶ!!新しき空へ向かって〜”を東京ドームで開催。
 4月29日「美空ひばり展」池袋西武にて開催。
 5月28日再起誕生会ミニコンサート“感謝と母を偲ぶ会”を赤坂プリンスホテルで開催。
 6月〜日本各地お礼公演。
 12月25日ディナーショーを帝国ホテルで開催。
平成元年2月6日福岡サンパレスホールでの昼夜公演で'89全国ツアーをスタートするが…
 2月7日小倉・九州厚生年金会館での昼夜公演後、済生会福岡総合病院に入院。
 2月10日一時退院。
 2月15日順天堂大学病院に転院。
 2月18日一時退院。
 3月21日ニッポン放送10時間ラジオ「美空ひばり、感動のこの一曲」を自宅から生放送。
放送後、順天堂大学病院に入院。
 3月23日横浜アリーナ(4/17予定)公演中止を発表。
 6月13日意識不明となり人工呼吸に。
 6月24日午前0時28分永眠。間質性肺炎による呼吸不全。52歳。
 7月4日女性として初の「国民栄誉賞」を受賞。
 7月22日東京・青山斎場で葬儀。喪主は長男和也。