ジム・オルークは、過去20年に亙って、前衛音楽(アヴァンギャルド)とアンダーグラウンドの両者を架橋する極めてユニークな存在として、ポピュラーとアヴァンギャルド双方の音楽シーンに継続的に関わってきた。前衛音楽の活動としては、トニー・コンラッド、フィル・ニブロック、アーノルド・ドレイブラット、クリスチャン・ウォルフといった作曲家と一緒に仕事をし、またマース・カニングハム舞踊団の音楽部門を、音楽監督の小杉武久と共に担当してきた。自作品は、ベルリンのグループ「ツァイトクラッツァア」等によって演奏されており、CDはジョン・ゾーン主宰のレーベル「ツァディック」他からリリースされている。一方、即興音楽のシーンでは、デレク・ベイリー、ヘンリー・カイザー、イクエ・モリ、坂田明といった、フリー・インプロ界の名だたる元老たちと共演を重ねてきている。 こうした活動と並行して、オルークは1990年代初頭におけるアヴァンギャルドとロックが再会する流れのなかでも一定の役割を果たしていた。彼自身のプロジェクトであるブリーズ・グレースや、二人組ユニットのガスター・デル・ソルでの活動は、「ポスト・ロック」と呼称されるジャンルを産み落とすこととなり、その影響は今日に至るまで続いている。ソロ・アルバム『バッド・タイミング』と『ハッピー・デイズ』は、ジョン・フェイヒィに代表されるアメリカ産スティール・ストリング・ミュージックとミニマリズムの美学という、彼が等しく影響を受けた二つの音楽世界の出会いを構想したものだったが、後に制作されたアルバム『ユリイカ』ではさらに一段と踏み込んで、チャールズ・アイヴズとヴァン・ダイク・パークスの作品に立ち戻って耳を傾け──両者の音楽の複雑性と、歌作りの才能に忠実に従った態度ゆえに──、音楽作品における「歌」の意義が追究された。このような絶え間ない探究こそがオルークを特徴付ける証であり、彼がひとつの場所に留まることはめずらしく、その足どりは強力な影響を及ぼす航跡を後に残しながらつねに前進を続けている。 プロデューサーとしては、ベス・オートン、スモッグ(ビル・キャラハン)、ステレオラブ、くるり、ブリジット・フォンテーヌ、ファウスト、といった唖然とするようなラインナップのアーティスト達を手がけており、なかでもウィルコの2004年のアルバム『ゴースト・イズ・ボーン』では、グラミー賞オルタナティヴ・ミュージック・アルバム部門の年間最優秀プロデューサーを受賞。1999年から2005年にかけては、伝説的なオルタナティブ・ロック・バンド、ソニック・ユースのアルバム・プロデュースを務めると同時にメンバーとしても活動。1999年、ソニック・ユースと打楽器奏者ウィリアム・ワイナントと共に「さよなら20世紀」プロジェクトを立ち上げ、ジョン・ケージ、小杉武久、コーネリアス・カーデュー、アール・ブラウン、クリスチャン・ウォルフの作品を演奏して多くの人々の耳に現代音楽を届けること事に成功した。 映画に対してもずっと以前から関心を注いでおり、ヴェルナー・ヘルツォーク、オリヴィエ・アサイヤス、青山真治といった監督の作品で音楽を担当している。青山真治の『ユリイカ』は、オルークのアルバムのタイトル・トラックから霊感を受けて制作された作品。オルーク自身も映画を撮っていて、2004年と2006年にはホイットニー・ビエンナーレで、2005年にはロッテルダム映画祭で、重要作品として上映されている。