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有田正広 |
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ここではDENONの名盤にまつわるエピソードをご紹介いたします。
有田正広の1989年録音のJ.S.バッハ:フルート・ソナタ全集:DENONアリ アーレ・シリーズの誕生です。
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COCO-70556-7
¥1,575(税込)
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ALBUM
2003/03/26 Release
クレスト1000シリーズ バッハ:フルート・ソナタ全集
1989年、デンオン・アリアーレ・シリーズはこのアルバムとともにスタートしました。すでにトラヴェルソの稀代の名手として知られていた有田は、アリアーレの幾多の名盤と共に更に存在の大きさを増し、その名を世界的なものにしてゆきます。有田は2000年にバッハを真作のみ、別のコンセプトで再録音していますが、有名な変ホ長調等いくつかのソナタはこの旧盤のみの収録。演奏面でも、この演奏の溌剌とした清心な表現は今なお色褪せません。
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有田正広(フラウト・トラヴェルソ) 有田千代子(チェンバロ)
鈴木秀美(バロック・チェロ)
録音:1989年[PCM デジタル録音] 推薦:レコード芸術推薦
デンオン・アリアーレ・シリーズはこのアルバムとともにスタートした。
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1989年10月デンオン・アリアーレ・シリーズの記念すべき第1回として有田正広 /J.S.バッハ フルート・ソナタ全集(CO-3868〜9)が発売された。そのCDの帯裏には以下のコメントが書かれている。「アリアーレ(Aliare:飛翔)というレーベルはデンオンのクラシック制作の中でも特に有田を中心とするオリジナル楽器による演奏のシリーズにつけられるものです。(中略)以後年2〜3タイ
トルの発売が予定されています」 そのコメントに書かれたように、現在までの約20年の間におよそ50タイトルが制作され、デンオン・レーベルの中でも重要なレパートリーを占めるようになっているが、このシリーズの誕生には幾つかの偶然と関係者の努力があった。
まず、筆頭に上げられるのは生みの親である音楽評論家、故佐々木節夫氏。佐々木さんはポリドール在籍中に有田と知り合い、ドイツ・グラモフォン本社と掛け合い、アルヒーフ・レーベルより有田がメンバーである「オトテール・アンサンブル」の国内盤制作を行う。その後音楽評論家となってからも、有田と同レーベルに数枚の制作を行った。しかしながら、諸事情により1988年
の「ヘンデル、木管楽器のソナタ全集」が同レーベルへの有田最後の録音と なった。
当時のデンオン・クラシックは鮫島有美子、インバル/マーラー交響曲全集の 成功、スウィトナーなどの東ドイツ録音、チェコ・フィルやスメタナ四重奏団と
のチェコ録音の録音プロジェクトなど国内外で録音が活発に行われていたが、オ リジナル楽器のレパートリーは「アクサン・レーベル」の発売のみであった。
(当時、ブリュッヘン、レオンハルトなどの演奏家たちが録音した「セオン・ レーベル」との契約締結寸前だったが、最終的にはポリドールが国内盤発売権を
得た。このセオンのプロデューサーであったエリクソンはその後ソニーのオリジ ナル楽器レーベル・ヴィヴァルテを立ち上げた)デンオン・レーベルには新しい
分野の開拓が急務であった。
有田の録音先を模索していた佐々木さんとこの分野の開拓を意図していたデンオンとの思いはここに一致した。1988年半ばから佐々木さんとデンオンの制
作・営業・宣伝スタッフは打合せを度々行い、有田を中心とするオリジナル楽器演奏の制作が内定した。第1回録音はJ.S.バッハのフルート・ソナタ全集で
ディレクターはアルヒーフ盤に引続き佐々木さんが行うこととなり、1989年1月〜7月まで3回の録音セッションが東久留米市の聖グレゴリオの家で行われた。
録音スタッフは始めて耳にする3本のフラウト・トラヴェルソの音色や演奏家の求める音楽のバランスを収録するのに試行錯誤の連続だったが、ディレクター
席の佐々木さんはいつも「有田さんのバッハを聴ける、録音できる喜び」を体全体で表し、その空気が演奏家、スタッフの気持を和ませた。
当時、有田はこの録音と並行して指揮者としても福岡と東京での「東京バ ッハ・モーツァルト・オーケストラ結成演奏会」の準備に追われ多忙な日々だっ
たが、その努力は同年4月の演奏会として結実し、それは翌年の「サントリー音 楽賞」の受賞となった。
7月、最後の録音が終り、いよいよ発売までのカウントダウンとなったが、新しいシリーズ名は模索中だった。何回目の会議の席上、佐々木さんから「イタリア語の古語で、幾つか候補はあるけれど、アリアーレ:Aliare:飛翔はどう?」
といった提案が出され、遂にシリーズ名がアリアーレと決まった。
発売月の「レコード芸術」誌巻頭グラビアでこのCDの紹介記事が組まれることになり、有田と佐々木さんは有田のよき理解者である唐津の隆太窯、中里隆の窯元を訪れ、そこでインタビューが行われた。
10月に発売されたCDは音楽ファン、また音楽メディアからも好評をもって迎えられ、順調にセールスを伸ばしていったが、一方で商品への反省点も浮かんでいた。その筆頭が当初のアイデアと異なったジャケット・デザインで、次作モーツァルト:フルート四重奏曲での改善が急務であった。
幾つかの候補が検討される中で、中里さんの窯で製作したこともあり、有田も以前窯元で1回会ったことのある、バロック音楽が大好きだった早世の画家
有元利夫の絵が浮かび上がってきた。奥様に連絡したところ、「音楽商品では某ファミリークラブのジャケット絵で使用したことがあるが、市販商品はありません。有田の作品ならばどうぞ」との快諾を得た。こうして、90年5月に発売
された第2作以降、今日までアリアーレ・シリーズの大半の表紙を有元さんの絵 が飾ることになる。
佐々木さんは89年12月アムステルダムで行われた「モーツァルト:フルート四重奏曲全集」、「テレマン:無伴奏フルートのための12の幻想曲」でディレクターを務めた後は、「僕は有田を褒めるほうにまわりたい」と述べ、制作の現場から降りていかれたが、それから1998年12月に亡くなられるまでの9年、アリアーレ・シリーズ最大の応援者であった。
また、有田は2000年にはJ.S.バッハの真作のみを集めた「J.S.バッハ;フルートのための作品全集」を新録しており、同一曲の解釈や使用楽器の相違による音楽の違いが楽しめる。 |
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