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−山沢大洋とはナニモノか?−特別編−【Part4】
  音楽評論家・能地祐子氏によるロング・インタビュー


――もともと音楽を仕事にしようと思っていたんですか?

「僕が16歳のとき、エリック・カルメンが来日したんですよ。それで、カルメンのファン・クラブに入ったら、夏に地元のクリーブランドまでエリック・カルメンに会いに行くっていう企画があって。どーしても行きたくて。初めて親に頭下げて、行かしてもらったんですよ。クリーブランドまで。そんとき、エリック・カルメンがスタジオに連れてってくれたんです。1982年だったんですけど。84年にゲフィンから出る『エリック・カルメン』ってアルバムの2曲目の『アイム・スルー・ウィズ・ラヴ』って曲を……まだ世に出てない新曲ですよ。それをピアノだけで聞かせてくれたんです」

――うわー。すごい。

「で、曲も良かったんですけど、ダンヒルのタバコを、こう、急にスパーッて吸って、プハーッて煙を吹いて。僕の顔がケムにまかれたんですよ。そんときに“ああ、音楽やりたいなー”って(笑)。それがきっかけかな」

――わからないけど、なんとなく、わかる気がする。

「で、大学時代、ビクターでアルバイトしてて。そのとき隣りに、ジム・ジャームッシュ監督の映画『ミステリー・トレイン』を製作した平田国二郎さんがいらっしゃって。フライングドッグというレーベルをやってたんですけど。彼に“平田さん、僕、頭の中にメロディは浮かぶんですけど、楽器とか弾けないから形にできないんですよ”って話したら、運命を変えるひとことを言ってくれて。“覚えりゃいいじゃないか”と。で、そっか、覚えればいいんだな、と。平田さんにそう言われてからピアノをがーっと覚えて、その頃作った曲がまだ200曲くらいあります」

――ひえー(笑)。

「ちなみにカエラさんのファーストの1曲目は、当時の曲なんです。当時、カエラさんが19歳だったので、それじゃ、と僕も19歳だった時の曲を引っ張り出したんですね。当時はモータウン風のアレンジだったのを、変えて」

――今回のアルバムに、その頃の曲は?

「今回はないですね。でも、ジェリー・ベックリーさんに歌ってもらった曲は、僕が当時書いてた曲と大差ないかな」

――ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴがソロ・アルバムで歌いそうな、いい曲でしたね。

「あ、ありがとうございます(笑)。それ、すごいうれしいです。ビーチ・ボーイズっていうと、みんなブライアン・ウィルソン、ブライアン・ウィルソンって言うでしょ。でもジェリー・ベックリーさんとやることになった時、いろいろ考えたんですよ。彼はもちろんアメリカというグループの一員で。ジョージ・マーティンがプロデュースしていたので、ビートルズっぽい味もあったりするんだけど。ベックリーさんは同時にいろいろな人脈と活動していて。シカゴのロバート・ラムと、ビーチ・ボーイズのカール・ウィルソンと一緒にユニットを組んでいたし。もともとビーチ・ボーイズとシカゴは70年代半ばにもジョイントでスタジアム・ツアーに出たり、交流があったし。それでビーチ・ボーイズ的なフレーズを入れたいと思って……」

――すごい連想ゲームですね(笑)。

「遠いですよね(笑)。それもブライアンではなく、マイク・ラヴやテリー・メルチャーが体現しているビーチ・ボーイズ風。それを目指したんです。僕、本当にアメリカってバンドが大好きで。『ホリデイ』ってアルバムが特に。で、高校の時、やっぱりアメリカのメンバーのダン・ピークさんと文通してたんですよ。初期のアメリカって3人組だけど、僕は4人目のアメリカになりたくて。そういう子供の時の夢がかなったんですよね、今回。部分的にですけど。曲を彼に送って聞いてもらったら、気に入ってくれて。歌声、若いですよ。めちゃくちゃ。全盛期と変わらず、というか。むしろ以前のナイーブな印象よりも芯が出ていて、力強くなっていて。すごいなーと感動しました。憧れで音楽を作りたくないんですけど、この曲だけはちょっと憧れでやっちゃったかもしれない。純粋に、高校の時の感情に戻りましたよね。すごくうれしかったです。エリック・カルメンとアメリカは本当に大好きだったんで」

――多彩なゲストに交じって、ご自身も歌っていらっしゃいますが。これまでボーカリストとしてフロントに立ったことはあるんですか?

「ないです。僕、昔、4歳上の兄貴にいじめられたことがあって。いっつも太ってるとか、だらしねーんだよとか、口開いてるとか言われてて(笑)。人前に出たりとか、ダメなんです。すっごくメンタルが弱くて。いまだに。だから、ほら、バリー・マンのアルバムで、遠くのほうでピアノ弾いてる絵柄のジャケットがあるじゃないですか」

――75年の『サヴァイヴァー』ですね。

「あの奥ゆかしさったらないじゃないですか。ああいうのがいいですね。いちばん美しいと思う。
バリー・マンって名ソングライターとして名を馳せた人だけど、同じくソングライターとして著名なジム・ウェッブのアルバム『エンジェル・ハート』のジャケットみたいに、あれだけ顔出されちゃうと、ふざんけんなーとなりますが(笑)。あのバリー・マンの距離感がすごく心地よくて。そういう感じで受け止めてもらえれば、と。」

――でも、たとえばバート・バカラックのアルバムっぽい雰囲気もありましたよ。自分の曲を歌ってほしい人に歌ってもらうのと同時に、自分でも何曲か歌っていて。どこか照れくさそうな、ソングライターの歌声って魅力的ですよね。

「ありがとうございます。気持ち的には今、すっごく小さくなってます、恐縮して(笑)。
僕も、たとえばジェリー・ベックリーが大好きだから、全曲彼に歌ってもらうアルバムにしてもよかったわけですよね。でも、なんでこうしたかっていうと、それはやっぱり、責任があるからだと思うんですよ。音楽に対する責任が。いろいろ偏らずに作りたかったという気持ちもまた、責任なのかな、と。だからジャズがあったり、ヒップホップがあったり、近藤房之助さんのブルースがあったり、アメリカという70年代のバンドの音楽があったり、椎名純平さんのソウルがあったり、山本朝海というフレッシュな歌声があったり、依布サラサという、詩にすごくとんがったものを持つ新しい才能があったり、夏川りみさんという尊敬すべき最高のパフォーマーがいたり……。一見、若い人からみると、ジャンルのカテゴライズ的に“ん?”って感じる参加ミュージシャンがいるかもしれないけれど」

――通常のソロ・パフォーマーとは違って、自分の音楽世界の重要な部分を人にまかせられる強さが山沢さんにはありますね。

「ですね。バンドのメンバーやアレンジャーはずっと変わってないですし。山沢大洋って名前は、パッケージの名前、プロダクツの名前であって、そこに仲間が集まって作っているんです。いろんな人のフィルターを通して成立している。ひとりじゃ作れない、生きていけない。いつも周りの人に助けられているんですよ。昔も、今も……」

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山沢大洋 presents 「music tree」_img■ジャンル、そして世代をも超える音楽愛溢れるアルバムが完成!!
 山沢大洋 presents 「music tree」(COCP-34572 ¥3,150(税込))
 2008.01.23発売決定!!
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