−山沢大洋とはナニモノか?−特別編−【Part3】
音楽評論家・能地祐子氏によるロング・インタビュー
――ジャンルを超えて、新旧の世代も超えて、初対面の人もいて、旧知の人もいて。多様な個性が集まって、ひとつのアルバムが成立しているというところにも、そういった気持ちが反映されているんですかね。
「木村カエラさんはデビュー前の、レコード会社を決める前からやってるからすごく可愛いし、僕自身も思い入れがあるし。近藤房之助さんという人は、僕の人生ですごく大きな存在だし。今回はじめて一緒にやらせてもらった方々もみんな、すごく新しい才能、可能性をもった方々だし。だから、全部一緒なんですよ。大事なのは、自分がそれを好きでやれるかどうか。ほら、子供の頃、レコード屋さんに行って、夢中でエサ箱をサクサクやってた時の気持ちってあるじゃないですか。でも、大人になって、音楽を仕事にして、だんだん音楽産業ってものが見えてきて。いつの間にかそういう気持ちが変わってきちゃったのかな、と。時々ふと、そう感じることってありますよね。それをもいっかい、“これを大事にしたいんだ”って。音楽に対する一生懸命さというか、音楽に自然にのめりこんでいく姿というか。そういうものを僕らの世代がもう一度提示できないと、今の若い人たちに何かを感じてもらうことは難しい時代になってきていると思うんですよね」
――なんか変な言い方ですけど、今回のアルバム、『夜のヒットスタジオ』っぽい感触、ありましたよ。
「U2のあと、いきなりのりピーが出てくる、みたいな?」
――はい(笑)。あの番組が勢いを持っていた時代って、好むと好まざるとにかかわらず、いろんな曲を一気に聞けたじゃないですか。演歌は聞かないとかいきがってても、『夜ヒット』見てればそういう曲も否応なく耳に入ってきていたし。
「逆に、『さざんかの宿』はいいなー……って思って見てる人も、U2見ちゃうんですもんね。
同じ番組に出ていたから。でも、それが音楽って気がするんですよ。いろんなものが折り合ってて、それが自然じゃないかな、と。だから、いろんな音楽が、ちゃんと紹介し合うってことが大事なのかなって思いますね。核家族化が進んで、おばあちゃんがそばにいないとか、家庭内での関係性も変わってしまったじゃないですか。なにか今、ひとつ足りない気がするんですよね。それって何だろうって考えた、その答えが『music
tree』だったりもします。あと、自分のまわりの人たちへの感謝状という気持ちもありましたね。いろんな人たちとの出会いがあって、いろんな音楽を聞かせてもらったから、それを形にしたかった」
――山沢さん、ご家族の影響とか、あったんですか?
「兄の影響は大きいですね。10歳上なんですよ。僕が子供の頃って、LP1枚2500円だったんですけど。子供には高くてね。1枚買うと他のが買えなくなるから、ハンターみたいな中古屋さん行って買ってたんですよ。安いのを何枚も。そうすると中にはワケのわからない、いわゆるジャケ買いしたアルバムがあったりして、ずいぶんいろんな音楽に出会えましたね。で、その当時、僕がエアロスミス買ってきて聞いてたら、兄が“お前、なんでそんなもん聞いてるんだ?”って、いきなりターンテーブルからレコードはずして、ホット・ツナかけちゃうんですよ。友達がみんなジョー・ペリーだなんだって騒いでるときに、僕はヨーマ・コーコネン……って(笑)。変わった環境でしたね。僕の中学、高校時代だと、普通はチープ・トリックとかキッスとか。でも、そういうの聞いてると、ウチの兄貴が、こんなの聞いてんじゃないよって、ロバート・ジョンの『サッド・アイズ』聞かせられちゃったり」
――スパルタな音楽の先生ですね(笑)。
「60年代から80年代くらいまでの《音楽専科》と《ミュージック・ライフ》と《ザ・ミュージック》っていう雑誌がウチに山積みになっていて。レコードが六畳と八畳にいっぱいだったんです。で、何年の何月何日にジム・クロウチがチャートで何位とか覚えさせられたり(笑)。変わってましたね。もちろんビデオクリップとかが一般的になる前でしたから、たとえばテン・イヤーズ・アフターのアルヴィン・リーが、ライヴ中に客席からテープじゃなくトイレット・ペーパーが飛んできたので、演奏途中なのに怒って帰っちゃったとか(笑)、そういう記事を“なんじゃそりゃ”って読んで、動かない写真だけ見ながらいろいろ想像したり。イーグルスの「ベスト・オヴ・マイ・
ラヴ」聞きながら、あー、ロサンゼルス行きてえなーって憧れたり。ビデオクリップができてからは音楽が映像として頭にインプットされるようになったけれど、当時、洋楽アーティストに関しては、動いている映像はNHKでやっていた『ヤング・ミュージック・ショー』で見るしかないって時代だったから。逆にいい訓練になりましたよね。絵を想像するってすごく大事だし」
――今にして思えば恵まれた環境だった。
「僕の場合、若い世代に向けた音楽を作らなければいけないって責任を負いながら、どこか、同世代から上の人の耳を意識しているような気がします。ハタチの女の子のCDだろうが何だろうが、同世代から上の人に向けて作ってる気が……。なんか、宿題のような気がするんですよね。やっぱり、70年代とかを体感できた最後の世代だから。そこは自ら、むしろ背負いたいなって気はしてますね」
■ジャンル、そして世代をも超える音楽愛溢れるアルバムが完成!!
山沢大洋 presents 「music tree」(COCP-34572
¥3,150(税込))
2008.01.23発売決定!!
詳細はディスコグラフィーにて>>> |