美空ひばりは1937(昭和12)年5月29日、横浜生まれ。
1949(昭和24)年7月30日、12歳で松竹映画『踊る竜宮城』の主題歌『河童ブギウギ』でコロムビアから歌手としてレコードデビュー。
1989(平成元)年6月24日午後0時28分、特発性間質性肺炎により52歳で亡くなるまで、18回の紅白出場を数えている。
最初は1954(昭和29)年の第5回NHK紅白歌合戦。「ひばりのマドロスさん」で初出場。1957(昭和32)年の第8回NHK紅白歌合戦に「長崎の蝶々さん」で二度目の出場。その後は1972(昭和47)年の第17回NHK紅白歌合戦まで16年連続出場を記録。
1979(昭和54)年には第30回NHK紅白歌合戦に特別出場という形で出場。うち13回は紅組のトリ(大トリは11回)で出場した。
本商品には、NHKに現存するすべての紅白での美空ひばりの歌唱シーンを収録。
1957(昭和32)年放送の第8回から第13回までと第15回のラジオ放送音声と、1963(昭和38)年放送の第14回、第16回から第23回、及び第30回のテレビ映像が収められている。第3回から第13回までの「紅白」のテレビ映像は当時、ビデオテープが大変高価だったため収録後は消去して使い回すのが通例で、「紅白」といえども例外ではなかったため、残っていない。残されたラジオ音声も、元は視聴者提供の音源であり、DVDに収めた1963(昭和38)年放送の第14回が、紅白全編の映像が現存する最も古い回である。
1965(昭和40)年にレコード大賞を受賞した直後に紅白に絣の着物に袴姿で歌う「柔」や1970(昭和45)年に紅組の司会という大役を終え大トリで「人生将棋」歌う映像も圧巻。また1966(昭和41)年の「悲しい酒」は発売直後のため間奏のセリフがまだ入っていない珍しい映像となっている。
最後の紅白歌合戦は1979(昭和54)年。第30回を記念して、白組の藤山一郎と共に特別出演した回で「ひばりのマドロスさん」「リンゴ追分」「人生一路」をメドレーで歌い、以後紅白の舞台を踏むことはなかった。
初出場「ひばりのマドロスさん」
1954(昭和29)年/第5回 日比谷公会堂
対戦相手:小畑実 出演順:13番目/紅組15人中
美空ひばりの初出場は1954年(昭和29年)の第5回紅白に17歳で初出場。
歌は「ひばりのマドロスさん」だったが、残念ながら映像も音声も残っていない。
2回目【ラジオ音声収録】「長崎の蝶々さん」
1957(昭和32)年/第8回 東京宝塚劇場
対戦相手:三橋美智也 出演順:25番目/紅組25人中 大トリ(1回目)
第8回放送では、ひばりは紅組のトリとして「長崎の蝶々さん」を熱唱。この年の1月、浅草の公演中にひばりはファンの少女から塩酸をかけられ、火傷を負った。
そんな波乱の年の暮れ、20歳のひばりは堂々と、しかも非常に巧みに歌いきっている。
3回目【ラジオ音声収録】「白いランチで十四ノット」
1958(昭和33)年/第9回 新宿コマ劇場
対戦相手:三橋美智也(2回目) 出演順:25番目/紅組25人中 大トリ(2回目)
この年も紅組のトリで登場。
4回目【ラジオ音声収録】「ご存知弁天小僧」
1959(昭和34)年/第10回 東京宝塚劇場
対戦相手:春日八郎 出演順:25番目/紅組25人中 大トリ(3回目) ※史上初の3年連続大トリ
この年から第12回までは、中村メイコが司会を務めた。この時のことを中村は下記のように語っている。
「私が司会を務めた第10回、11回、12回の紅白歌合戦では共演をはたしました。当時の紅白は、歌の入りと終わりくらいのリハーサルしかなく、司会は台本すらありませんでした。あの頃はライブ感があって面白かったですね。歌手も出番が終われば比較的自由で、まだ放送中なのに彼女が私にそっと耳打ちしてきたんです。それを見た視聴者から「ひばりがメイコに意地悪した」と勘違いされたんですけど、本当は「メイコ、一緒に帰ろう」と言っていたんですね。意地悪どころか、その日放送が終わるやいなや紅白で着ていた派手なドレス姿で一緒に飲みに行ってました(笑)。酔っても、帰りにはちゃんと豊川稲荷にお参りするのが、当時の大晦日から元旦の過ごし方でしたね。」
5回目【ラジオ音声収録】「哀愁波止場」
1960(昭和35)年/第11回 日本劇場
対戦相手:春日八郎(2回目) 出演順:14番目/紅組27人中
6回目【ラジオ音声収録】「ひばりの渡り鳥だよ」
1961(昭和36)年/第12回 東京宝塚劇場
対戦相手:橋幸夫 出演順:14番目/紅組25人中
7回目【ラジオ音声収録】「ひばりの佐渡情話」
1962(昭和37)年/第13回 東京宝塚劇場
対戦相手:春日八郎(3回目) 出演順:6番目/紅組25人中
この回の紅組司会・森光子は、「新婚のところ奥様をひばり(引っ張り)出して、(小林)旭(あきら)さん、ごめんなさい」とひばりを紹介、会場を沸かしている。
8回目【映像収録】「哀愁出船」
1963(昭和38)年/第14回 東京宝塚劇場
対戦相手:三波春夫 出演順:25番目/紅組25人中 大トリ(4回目)
※テレビ史上最高視聴率(81.4%)を記録。
紅白全編の映像が現存する最も古い回。「東京オリンピック」前年の12月31日。紅組司会の江利チエミが「1963年、いちばん最後の締めくくりは歌謡界の女王・美空ひばりさん、『哀愁出船』です!」と高らかに紹介し、26歳のひばりが着物姿で登場する。“歌謡界の女王”の異名はこの3年前の「哀愁波止場」での第2回日本レコード大賞歌唱賞受賞を機に生まれ、以降生涯にわたってひばりの冠となった。映像では、にこやかにマイクに進み、情感豊かに歌い上げる若き“女王”の姿が眩しい。彼女はこの時、小林旭とのつかの間の結婚生活を送っていた。この回の紅白は視聴率81.4%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)という驚異的な視聴率となった。なお、以降ひばりは第23回まで10回連続で紅組のトリを務めた。
9回目【ラジオ音声収録】「柔」
1964(昭和39)年/第15回 東京宝塚劇場
対戦相手:三波春夫(2回目) 出演順:25番目/紅組25人中 紅組トリ(5回目)
10回目【映像収録】「柔」(2回目)
1965(昭和40)年/第16回 東京宝塚劇場
対戦相手:橋幸夫(2回目) 出演順:25番目/紅組25人中 大トリ(6回目)
※第7回日本レコード大賞での初の大賞受賞直後の熱唱
清々しい男装で2年連続となる「柔」を歌い上げた。
11回目【映像収録】「悲しい酒」
1966(昭和41)年/第17回 東京宝塚劇場
対戦相手:三波春夫(3回目) 出演順:25番目/紅組25人中 紅組トリ(7回目)
※まだ間奏の台詞が入っていない珍しい「悲しい酒」の映像
この年の発売された「悲しい酒」は紅白時点ではまだ1番と2番の間の台詞がなく、“涙唱”でもない、今となっては希少な価値を持つ映像となっている。
12回目【映像収録】「芸道一代」
1967(昭和42)年/第18回 東京宝塚劇場
対戦相手:三波春夫(4回目) 出演順:23番目/紅組23人中 大トリ(8回目)
艶を感じさせる30歳。「ひばり」という自分の名が入った自伝的な歌詞をしなやかに、力強く響かせる。
13回目【映像収録】「熱祷(いのり)」
1968(昭和43)年/第19回 東京宝塚劇場
対戦相手:橋幸夫(3回目) 出演順:23番目/紅組23人中 大トリ(9回目)
大きな蝶をあしらったドレス姿で、愛する人を残して逝く女性の哀切な想いを情感深く包むように歌う。
14回目【映像収録】「別れてもありがとう」
1969(昭和44)年/第20回 東京宝塚劇場
対戦相手:森進一 出演順:23番目/紅組23人中 大トリ(10回目)
一転して明るく、妖艶ともいえる振りで「別れてもありがとう」を歌唱。背中の開いたあでやかなドレス姿、そしてブルー・コメッツの井上大輔によるサックス演奏とのからみも楽しい。世の中はいざなぎ景気、歌謡界はGSブーム、翌年には万国博覧会(大阪万博)という時代の弾むような空気をはらんだゴージャスな歌唱といえる。
15回目【映像収録】「人生将棋」
1970(昭和45)年/第21回 東京宝塚劇場
対戦相手:森進一(2回目) 出演順:24番目/紅組24人中 司会:大トリ(11回目)
※史上初の組司会と大トリの兼任
この回で初めての紅組司会を担当。名実ともに紅組のリーダーとして登場。実弟・かとう哲也が作曲した「人生将棋」を歌唱。ひばりにとって忘れられない回となった。
16回目【映像収録】「この道をゆく」
1971(昭和46)年/第22回 東京宝塚劇場
対戦相手:森進一(3回目) 出演順:25番目/紅組25人中 大トリ(12回目)
長谷川一夫の紹介で登場、自らの半生を歌いこんだ「この道をゆく」を披露する。芸能生活25周年の年の瀬である。
17回目【映像収録】「ある女の詩」
1972(昭和47)年/第23回 東京宝塚劇場
対戦相手:北島三郎 出演順:23番目/紅組23人中 大トリ(13回目)
※史上初の10年連続紅組トリ(6年連続大トリ)
35歳のひばりは紫の華やかなドレスに身を包み、リズムに乗って迫力満点に歌唱した。
18回目【映像収録】
「ひばりのマドロスさん(2回目)~リンゴ追分~人生一路」
1979(昭和54)年/第30回 NHKホール
対戦相手:藤山一郎 特別出演
第30回という節目にあたり、藤山一郎と共にスペシャルゲストとして登場。舞台上にずらりと並ぶ出演者の大喝采に迎えられて雛壇を降り、「ひばりのマドロスさん」に始まる3曲のメドレーを歌う。まさに記念大会にふさわしい熱唱であった。