−まずメイクアップの結成は?
 ≫83年か84年か、どこからって区切りをつけるのが難しいんですけどね。ラウドネスの樋口さんと高崎さんが学園祭用にやっていたバンドが、LAZYの前身なんですけど、それがメイクアップだったんです。
その名前がかっこよかったんで、松澤(ギター)が譲り受けたんです。
当時はまだ僕も別のバンドでやっていて、当時からのメンバーは松澤だけですね。それであちこちから集まってきて、僕が入ったのが83年くらいだったと思う。


―83年と言えば、樋口宗孝ソロアルバム「DESTRUCTION-破戒凱旋録-」に参加した時期ですよね?
 ≫メイクアップの活動とかぶっていましたね。
大阪でメイクアップやって、樋口さんのプロジェクトの時に東京に来ていた。


―そこで名曲「RUNAWAY FROM YESTERDAY」を。ファンにとっては、衝撃の曲だったと思いますけど
 ≫もう、樋口さんに言われるままにやっただけです。
最初は自分が歌うとも思っていなくてね。歌詞だけ手伝う予定だったから。


―当初は歌う予定じゃなかったんですか?
 ≫そう。でも、樋口さんが「お前歌え!」ってね。僕にとってはうれしい話でした。
突然の大抜擢で周囲からは「大丈夫?」なんて言われましたけど、樋口さんが「何があってもオマエで行く」って押し切ってくれた。あれが無かったら、今の自分も無かったですね。


―でも、あの曲は衝撃だった。日本ロック史上に残る衝撃のバラードといっても過言では無い
 ≫ハハハ・・・。でも、未だにそう言ってくれる人が多いですね。それだけインパクトがあったんでしょうね。
今聴くとヘタクソですけど、まあそういう問題じゃないんでしょうけど。


―山田信夫というシンガーが凝縮されている
 ≫今書けって言われても書けないメロディであり、できない歌い方でしょうね。
野球選手に例えれば、今はもう変化球を覚えちゃっているわけですよ。もう直球だけで勝負できる歳でもない。
そうなるともう、変化球無しで勝負するのはコワイですよね。直球勝負出来ない訳では無いですけどね。


―逆にあの時だからこそできた
 ≫そう解釈して頂きたいですね。まあ、あの時に駆け引きしろって言われてもできなかったはずだし。

―そして、メイクアップとしてのデビューアルバム「HOWLING WILL」の発表
 ≫84年4月1日ですね。今思えば、あれは正直勢いだけですね。
本当に右も左も分からない状態で、樋口さんにプロデュースしてもらって。
制作段階はあまり記憶に残ってないんでよね。実際できあがって発売してから聞き直したんですけど、「あれ、これで良いのかな」って思った。元々毛色の違うバンドだったし、当時はギターが前面に出たロックが主流だったでしょう。
当事者の自分もそう言うロックが好きだったんで、「歌でかいぞ」て思った。でも、樋口さんが「これで大丈夫なんだって」って言い切ってくれたので納得できた。


―そのおかげでメイクアップの方向性も決定した
 ≫そうですね。ゴリ押しタイプのメタルとは、明らかに違った。
同じ土俵でやっていたら、つらかったかもしれないしね。みんな一番得意なスタイルで勝負している訳ですから。
そういう意味では、メイクアップがこの感じでやって負けていたら、シャレにならなかった。


―デビューアルバムを今聴くことってありますか?
 ≫未だに客観的に聴けないんだよね。
2〜3年前にハードロックサミットに出る時に改めて聴いてみたんだけど、やっぱ恥ずかしいというかテレくさいね。


―セカンドアルバム「STRAIGHT LINER」は
 ≫あれは、僕の中では一番完成度が高いアルバムですね。デビュー前からやっていた曲でファーストに入らなかった曲が多かったので、煮詰める時間があった。若干テクニックも覚えたしね。
もし、敢えて1枚代表作を選べって言われたら、この「STRAIGHT LINER」を挙げますね。デビュー作っていう人が多いんですけど。「CITY LIGHTS」「摩天楼」が僕の中では双璧なんです。


―2曲とも叙情的な詩ですよ
今だから明かしますけど、実はフェイバリット・ライターがユーミンなんです。
詩を書くのに試行錯誤していたとき、当時のディレクターがユーミンの曲を教えてくれて目覚めました。ハードロックで叙情的っていうのも、どうかとは思うけど。


―だからこそ、メイクアップなんじゃないですか
 ≫そう言ってもらえればうれしいですね。

―3枚目の「BORN TO BE HARD」は
 ≫うーん、正直言って印象が薄いんです。悪く言えば、惰性。

―それはなぜですか?
 ≫ウチに限らずアーティストにとって3枚目って、みんなそうなんじゃ無いかな。
1枚目勢いで行って、2枚目完成形を作って、ライブだなんだって動いているウチに、3枚目が出来ちゃったって感じになっちゃうんだよね。正直、印象が薄いんだよね。


―でも、良い曲が多いじゃないですか。1曲目とか
 ≫1曲目って何だっけ?

―「RAINY ROAD」ですけど。
 ≫ああ、あれね。まあ、手を抜いた訳じゃ無いんだけどね。

―3枚目が好きな人も多いんじゃないですか
 ≫そんなもんなんですよ。あまり力んで作ると空振りしちゃう。惰性なんて言っちゃったけど、そう言う意味では良い感じに力が抜けて出来たアルバムだったのかもね。でも、4枚目は凄い力が入っているんだよね

―「ROCK LEGEND OF BOYS&GIRLS」ですね
 ≫そう。特に「KILL THE NIGHT」ね。
狙いでもあったんですけど、僕的にはもっともっとハードにしたいという想いが、当初からあったんでしょうね。そこでおさえられてきたものが、ドーンとでた感じ。「ギターバンドやろうよ!」って感じで。
あと、ハードロックのラジオ番組もやっていたので、ここはもうやろうよって感じでやった。


―この4枚のアルバムが、わずか2年の間にリリースされた
 ≫「名作は10年に1枚、メイクアップは半年で1枚」なんて、当時のディレクターに言われた。
しょっちゅう、レコーディングしていた印象はありますね。レコーディングやってライブやって、レコーディングやってライブやってでしたけど、今にして思えばすごい勉強になったと思う。


―そういう意味ではすごい経験を持っている。バンドにとって経験は強みですよね
 ≫そうですね。でも、あれ以降、縦横のつながりが薄くなったと思う。当時は良い意味でも悪い意味でも仲が良かった。
ツアーに出てライブが終わったら、メンバーバラバラでご飯食べて「はい、お休み」なんてあり得なかったからね。
まあ、許してもらえなかったしね(笑)。でも、そういうところで培われるものもあった。
オヤジくさいかもしれないですが、この世界は「酒を飲むのも仕事だって」後輩に言うことがあるんですね。
「好き嫌いが通用する数少ない世界だ」って。
「あのギターが好きだから、あいつにギター弾いてもらおう」っていうのが通用する。
だから、酒の席の話が現実かすることもある。こういう話自体が説教臭く感じるみたいだけどね。


―世代世代のキャラの違いが音楽にも現れていますよね
 ≫エンターテインメントに対する考え方事態が変わってきているよね。
「ステージに立つ人間は特別」という考え方が、ダサイと思われている。
特別に選ばれた人間だって感覚をもって臨もうという気負いがダサイみたいな空気がない?
自分の隣に普通にいるにいちゃんが歌っているのがカッコイイみたいな感じがあるでしょう。僕は、オーディエンスにカッコイイと思われたいという気持ちが無くなったら終わりだと思うんだよね。まあ、時代は回るでしょうけど。


―90年代の打ち込み音楽全盛で、汗かきバンドがなくなったようにも感じますが
 ≫そんなことないのよ。実は、いっぱい良いバンはいるの。
アマチュアバンドの発掘とかもやったことあるんだけど、良いバンドはいっぱいあったの。
でも、そいつらはデビューも出来なかった。すごく残念で「これは一体何なんだ!」って思ったけどね。


―それだけ、マーケットが変わってしまったんですかね
 ≫音楽がファッション化しているんですよ。ファンションは大いに結構なんだけど・・・。幅が広がりすぎたのかな。
アメリカのようにポップな音楽が売れている一方で、かたやヘビーメタルもヒットチャートに乗ってくる。
日本でも、ゆずが売れている一方で、B’zが売れ、宇多田ヒカルも売れる。良い傾向だと思うけど、それが細分化しすぎた傾向はあるかも知れないね。まあ、僕らの頃もそうだったのかも知れない。
きっと、80年代当時の僕らも当時のオヤジたちからは、同じような目で見られていたのかも知れないよね。
化粧して、うるさい音出して、ねぇ。


―でも、そのロックを求めているファンは確実にいますからね
 ≫まあそうなんだけど、今でも80年代のヘビーメタルの格好をしていたら滑稽じゃない。確実に違う。
例えば、エアロスミスなんかは、もう30年もやっているのに、今でも第1線で頑張っているじゃない。
でも、音楽性の大筋は変わっていない。何がすごいか? それは、彼らがその時代時代にあった、一番カッコイイものを作っているからなんだよ。順応性も必要。バンドが持っている芯の部分を変えずに、洋服は着替えないとね。


−話が飛びましたが、5枚目CDにレア物が収録されていますが、まずMt.FUJIについて教えてもらえますか
 ≫これは、樋口プロジェクトとメイクアップデビューまでの間にやったセッションですね。
ラウドネスの高崎さん、山下さん、キーボードの笹路さん、ドラムの長谷部さんの覆面バンドってことだったのですが、ボーカルは声でばれちゃうじゃないですか。で、樋口さん、高崎さんの流れで、「オマエ行け!」って。まあ、大抜擢ですよね。年齢不詳、国籍不詳の外人っていう設定だったんですけど、バリバリの日本語で歌っていますからね。
それで、日系2世のアラン・ヘブン・カンザキっていう設定になったんですけどね。


―「聖闘士星矢」の主題歌ですが
 ≫当時ロックバンドがアニメの主題歌を歌うなんて無かった。今でこそ、当たり前のようになっているけど、当時アニメソングは水木一郎さんや佐々木功さんでしたからね。
そういう意味では、アニメソング=メロディアス・ハードの図式は、実はメイクアップが先駆けだったのかもしれないですね。とはいえ、大丈夫かって感じだった。この話をもらった時には、すでにメイクアップの解散は決まっていたんですよ。メイクアップとして最後の仕事だったんですよね。
今までにない仕事のやり方だったので、四苦八苦したのは覚えていますね。詩先(詩が先に作られて、あとから曲を作るやり方)は、これが初めてだった。あと、タイトルバックに「セイントセイヤ!」って叫ぶのも僕の仕事だった。
ビックリしましたよ。絶対声優さんがやると思っていたから。


―でも、反響は大きかったですよね
 ≫そうですね。売れたしね。最近DVDボックスが出たらしいのですが、完売ですって。
悲しいかな、メイクアップとしてこれだけオリジナルアルバム出してきて、一番売れたのが「聖闘士星矢」なんですよね・・・。


―とはいえ、メイクアップのスタイルがハマッていると思いますが
 ≫まあ、メイクアップがやった曲だし、アニメのイメージとかあっても180度イメージが変わることはないでしょうから。

―未発表のインスト「Memories of Blue」もメイクアップらしい
 ≫歌入ってないんで・・・。

―DVDにはライブ映像も収録されていますね
 ≫これが、一番恥ずかしいですわ。映像って、キツイでしょう。
しかも、今だに語りぐささで、当時ディレクターが海外に行くとかで、差し替えとか一切無しでリリースしちゃったんですよ。ある種、生々しいライブなんだけど、演奏的に納得できない部分も残ってたりね。フツー直すでしょう!


―それもファンにとってはうれしいじゃないですか
 ≫アーティストとしてはね・・・。

―ハードロックサミットで復活しましたけど、今後メイクアップのライブは見られますか?
 ≫うーん、たぶん難しいでしょうね。というのも、メンバーの2人は完全にこの世界から足を洗っているの。かたぎの世界にいますからね。彼ら抜きにやっても、メイクアップじゃないと思うから。

―山田さんの今後の予定は
 ≫現在2つのバンドをやっていて、OSAMU METAL 80’sはアースシェイカーのシャラ、元ブリザードのてらちん、元No ‘Whereのオサムちゃん、元MAKE−UPの河野とやっている80年代ハードロックのコピーバンドです。
11月21日に渋谷サイクロンでワンマンライブをやります。
もうひとつは、ウルゴメってバンドなんですけど、鳴瀬善博さんやそうる透さんとやっているバンドです。


―最後にファンに一言お願いします
 ≫文字通りメイクアップの集大成です。
当時のファンはもちろんですが、色んな人に聴いてもらえればうれしいです。

記事協力:日刊スポーツ(2004年10月19日掲載のインタビュー完全版)

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