1. 常盤貴子 / 恋のフーガ (ザ・ピーナッツ 1967年)
    作詩:なかにし礼/作曲:すぎやまこういち/編曲:薗広昭
  2. 水谷八重子 / 時には娼婦のように (黒沢年男 1977年)
    作詩:なかにし礼 / 作曲:なかにし礼 / 編曲:萩田光雄
  3. 南野陽子 / 知りたくないの (菅原洋一 1965年)
    訳詩:なかにし礼 / 作詩・作曲:H.Barnes - D.Robertson / 編曲:西村真吾
  4. 平淑恵 / 別れの朝 (ペドロ&カプリシャス 1971年)
    訳詩:なかにし礼 / 作曲:U.Juergens / 編曲:前田俊明
  5. 浅丘ルリ子 / 愛のさざなみ (島倉千代子 1968年)
    作詩:なかにし礼 / 作曲:浜口庫之助 / 編曲:西村真吾
  6. 桃井かおり / グッド・バイ・マイ・ラブ (アン・ルイス 1974年)
    作詩:なかにし礼 / 作曲:平尾昌晃 / 編曲:伊藤雪彦
  1. 泉ピン子 / 石狩挽歌 (北原ミレイ 1975年)
    作詩:なかにし礼 / 作曲:浜圭介 / 編曲:西村真吾
  2. 佐久間良子 / リリー・マルレーン (戸川昌子 1975年)
    訳詩:なかにし礼 / 作詩・作曲:H.Leip-N.Schultze / 編曲:美野春樹
  3. 高島礼子 / 恋の奴隷 (奥村チヨ 1969年)
    作詩:なかにし礼 / 作曲:鈴木邦彦 / 編曲:坂下滉
  4. 草笛光子 / 行かないで (戸川昌子 1975年)
    訳詩:なかにし礼 / 作詩・作曲:J.Brel / 編曲:美野春樹
  5. 大竹しのぶ / 人形の家 (弘田三枝子 1969年)
    作詩:なかにし礼 / 作曲:川口真 / 編曲:川口真
  6. 黒柳徹子 / 世界の子供たち (芦野宏 1991年)
    作詩:なかにし礼 / 作曲:E.Macias / 編曲:石倉重信
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常盤貴子

水谷八重子 [動画▼]

南野陽子 [動画▼]

平 淑恵 [動画▼]

常盤貴子

【生年月日】1972年4月30日
【出身地】神奈川県
1991年女優デビュー。
以降TVドラマ1995年「愛していると言ってくれ」、2000年「ビューティフルライフ」、2001年「カバチタレ!」などでヒロインを務める。2004年映画「赤い月」で第28回日本アカデミー賞主演女優賞受賞。近年は、2008年〜2009年映画「20世紀少年」三部作、2014年「野のなななのか」、2009年大河ドラマ「天地人」、2011年「TAROの塔」、2015年朝の連続テレビ小説「まれ」に出演。
【なかにし礼コメント】映画『赤い月』(東宝)でヒロイン森田波子を、世界劇『黄金の刻』では安寿を演じてくれた。歌のレコーディングは初めてだそうだが、上手くて可愛いったらない。サビのハーモニーなんか楽々とやってのけた!
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水谷八重子

【出身地】東京都【星座】おひつじ座
1955年、16歳で新派・歌舞伎座で初舞台。
同月、ジャズ歌手としてデビュー。
1973年 文化庁芸術選奨新人賞
1978年 菊田一夫演劇賞
1993年 東京都都民文化栄誉章
1995年 2代目水谷八重子襲名
2001年 紫綬褒章
2009年 旭日小綬章
2014年12月越路吹雪 生誕90周年コンサート ゲスト出演
2015年1月 おめでとう東京キューバンボーイズ
結成65周年記念コンサート ゲスト出演
【なかにし礼コメント】水谷良重の頃から私はこの人の舞台を観つづけ、また歌手としてのステージに訳詩などを提供してきた。ここまで堂々とセクシーであると何か突き抜けていて品格がある。
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南野陽子

【生年月日】1967年6月23日
【出身地】兵庫県【血液型】B型
1985年、18歳のバースデーにデビュー。同時に、ドラマの主演をはじめ、多くのCMやグラビアなどをで活躍。歌手としてオリコンシングルチャート8作連続1位を記録。女優としても、ドラマや舞台など200作以上の作品に出演。
1992年 日本アカデミー賞優秀主演女優賞
1995年 日本アカデミー賞助演女優賞
【なかにし礼コメント】舞台『てるてる坊主の照子さん』(東宝)で私の義理の姉いしだあゆみの役をやってくれた。もともと歌手でもあるから上手くて当然だが、こんな渋い歌を見事に歌いこなした。
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平 淑恵

【出身地】北海道
【生年月日】10月12日
【身長】157cm
【経歴】1976年 文学座研究所入所
1981年 座員となり、現在に至る
【受賞歴】昭和58年度 第18回紀伊國屋演劇賞個人賞
平成8年度 第31回紀伊國屋演劇賞個人賞
最近の主な作品に杉村春子から役を引き継いでいる「女の一生」(文学座)、一人芝居「化粧」(こまつ座)など。 舞台を中心に活躍している。
【なかにし礼コメント】文学座の舞台『長崎ぶらぶら節』『赤い月』で主演、世界劇『黄金の刻』では安寿と厨子王の母役をやってもらった。この方もレコーディングは初体験。女優の集中力の凄さを見た。
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浅丘ルリ子 [動画▼]

桃井かおり [動画▼]

泉ピン子 [動画▼]

佐久間良子 [動画▼]

浅丘ルリ子

【デビュー】昭和30年 日活映画『緑はるかに』
1968年 第6回ゴールデンアロー大賞
1975年 ブルーリボン賞主演女優賞
1984年 ギャラクシー賞テレビ大賞個人賞
1999年 第24回菊田一夫演劇賞
2002年 紫綬褒章
2011年 旭日小綬章
2011年 第35回山路ふみ子映画賞映画功労賞
【なかにし礼コメント】昔『心の裏窓』『悲しみは女だけに』という歌をこの方のために書いた。旧滿州国出身者としてのお付き合いもあるから古い友人だ。寅さんならぬ私のマドンナ永遠のリリーでもある。
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桃井かおり

【生年月日】 1951年4月8日
1973年 ゴールデン・アロー賞映画新人賞
1976年 文化庁芸術選奨文部大臣賞
1977年 日本アカデミー賞助演女優賞受賞
1979年 日本アカデミー賞主演女優賞
1988年 ブルーリボン賞最優秀主演女優賞受賞
1997年 ブルーリボン賞主演女優賞受賞
2005年 「Sayuri」、「太陽」主演
2006年 第30回日本アカデミー賞助演女優賞
2007年 「無花果の顔」監督作品でベルリン国際映画祭Netpac賞他13の国際映画賞受賞
2008年 紫綬褒章
2013年 「AMAYA」 米国アカデミー賞ラトビア代表
2014年 「Oh Lucy」カンヌ国際映画祭Cinefondation 2nd Prize
メキシコ映画「The Room」、イギリス映画「Greater Things」に主演
現在 Los Angeles を拠点に数々の国際映画に参加。
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【なかにし礼コメント】年間最高視聴率をたたき出したドラマ『兄弟』(テレ朝)で私の兄(ビートたけし)の妻を演じてもらった。芝居の上手さは万人が認めるところだけれど、歌の上手さも尋常じゃない。

泉ピン子

【本名】武本 小夜
【生年月日】1947年9月11日
【出身地】東京
【身長】154cm 【特技】日舞
【受賞】日本アカデミー助演女優賞/菊田一夫演劇賞
【なかにし礼コメント】ドラマ『赤い月』(テレ東)『夜盗』(TBS)でしっかりと脇を固めてくれた。この曲に最初に名乗りを上げ、誰にも譲れないとまで言った。声にも合っている。聞いて驚くな、だ。
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佐久間良子

【出身地】東京都
東映 第四期ニューフェース
1958年 エランドール賞
1960年 「白い崖」でデビュー
1966年 「湖の琴」で NHK映画賞主演女優賞
1982年 松尾芸能賞
1983年 菊田一夫演劇賞大賞
1995年 文部省芸術祭賞
2011年 文化庁長官賞
2012年 旭日小綬章
「五番町夕霧楼」「唐人お吉」(舞台)等、130本以上の映画に出演。
【なかにし礼コメント】舞台『長崎ぶらぶら節』『てるてる坊主の照子さん』(東宝)で主演。世界劇にも。初レコーディング。声の良さは天下一品である。その声で語るように歌うドイツの名歌。曲前に詩をくわえ、佐久間良子バージョンにした。いいよ。
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高島礼子 [動画▼]

草笛光子 [動画▼]

大竹しのぶ [動画▼]

黒柳徹子 [動画▼]

高島礼子

【生年月日】1964年7月25日
【出身地】神奈川県
【身長】168cm
【映画】「陽炎」「極道の妻たち」「RAILWAYS 49歳で電車の運転手になった男の物語」「SPACE BATTLESHIP ヤマト」
【舞台】「地球ゴージャス「カルテ」」「女たちの忠臣蔵」「春日局」
2001年 日本アカデミー賞優秀助演女優賞
【なかにし礼コメント】ドラマ『兄弟』で私の妻の役、映画『長崎ぶらぶら節』では芸者米吉、ドラマ『赤い月』『夜盗』では主演、世界劇『黄金の刻』では安寿役を。レコーディング初体験。なんともセクシーな声だなあ。
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草笛光子

【生年月日】1933年10月22日
【出身地】神奈川県【血液型】B型
【芸歴】1949年 松竹舞踊音楽学校入学
1950年 松竹歌劇入団
1953年 松竹大船入社
1956年 東宝入社
1980年 菊田一夫演劇賞
1983年 芸術祭優秀賞
1999年 紫綬褒章
2005年 旭日小綬章
2008年 第29回松尾芸能賞
2013年 菊田一夫演劇賞特別賞
【なかにし礼コメント】世界劇『源氏物語』で弘徽殿女御を演じてもらった。ミュージカル『ラ・マンチャの男』(東宝)初演時のアルドンサ役。だから上手くて当然なのだが、この女心には泣かされる。
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大竹しのぶ

【生年月日】1957年7月17日
【出身地】東京都
1975年 映画「青春の門〜筑豊編〜」でデビュー
1975年 第18回ブルーリボン賞 新人賞
1979年 日本アカデミー賞最優秀主演・助演女優賞
2004年 芸術選奨文部科学大臣賞
2007年 菊田一夫演劇賞
2010年 松尾芸能賞演劇優秀賞
2011年 紫綬褒章 /その他受賞歴多数
【なかにし礼コメント】残念ながらまだ仕事をご一緒したことがない。私がファンで時々舞台を観にいくうちに仲良しになった。舞台でピアフを演じているくらいだから歌は折り紙つきだ。芝居だけでなく歌も天才少女。
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黒柳徹子

【生年月日】8月9日
【出身地】東京都【血液型】A型
女優、タレントだけでなく、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家としても活躍中。テレビ女優の第一号。
1961年 第1回日本放送作家協会・女優賞
1978年 この年より歌番組「ザ・ベストテン」の司会を12年間務める。
1997年 マリア・カラスに扮した舞台「マスター・クラス」の演技に対し毎日芸術賞を受賞。同様に読売演劇大賞「大賞」「最優秀女優賞」を受賞。
2003年 勲三等瑞宝章(現:瑞宝中綬章)
2013年 第38回菊田一夫演劇賞特別賞
【なかにし礼コメント】マリア・カラスのファンとしてテレビにご一緒したり、日本に帰還した中国残留孤児たちを支援するチャリティを一緒にやった仲間である。むろん『徹子の部屋』でたびたびお世話になっているが、ここでは世界の平和を願ってみんなで歌いましょう。
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なかにし礼 (なかにし・れい) プロフィール

作家
1938年 中国黒龍江省牡丹江市生まれ。立教大学文学部仏文科卒。
大学在学中よりシャンソンの訳詩を手がけ、1964年『知りたくないの』のヒットを機に作詩家となる。その後もヒットメーカーとして活躍を続け『今日でお別れ』『石狩挽歌』『時 には娼婦のように』『北酒場』など約4000曲の作品を創る。
『天使の誘惑』ほかで日本レコード大賞を3回、同作詩賞を2回、またゴールデンアロー賞など受賞歴多数。
その後作家活動を開始、98年に『兄弟』を発表。
次作の『長崎ぶらぶら節』で 2000年1月第122回直木賞を受賞。
満州からの引き揚げ体験を描いた『赤い月』(映画化・テレビドラマ化・ラジオドラマ化)は100万部に迫るロングセラーとなり、文学座にて自らの書き下ろし戯曲で上演され、05年12月『戯曲・赤い月』として出版。
02年『てるてる坊主の照子さん』(NHK連続テレビ小説『てるてる家族』原作)刊行。
03年12月『夜盗』。04年3月『さくら伝説』。05年3月『黄昏に歌え』。
07年1月『戦場のニーナ』。08年3月『三拍子の魔力』。09年12月『世界は俺が回してる』 一方、舞台作品の台本・演出も手がけ、演劇・舞踏・オペラを融合した「世界劇」という新しい上演形式は高い評価を受けている。

なかにし礼と12人の女優たち
なかにし礼

1965年(昭和40年)は私にとって思い出深い年だ。なにか自分のまわりの空気が濃密になってきたようで、空気が吸いにくく、いつも息が苦しく、ゆっくり歩こうと思っても歩けないような、そんな日々を過ごしていた。私は20歳の頃からシャンソンの訳詩という仕事をなかばアルバイトのように、なかば本職のようにして食いつないでいたが、そのお蔭もあって、普通の人より4年遅れてだが大学(立教大学文学部フランス文学科)をこの年に卒業できた。

まわりの空気が濃密になるという感覚、あれは何から来るのであろう。バルザックの小説の若き主人公が大都市のパリに向かって「今度はおれとおまえの一対一の勝負だぞ」(ペール・ゴリオ)とか、きらびやかな社交界にたいして「これがぼくの王国なんだ!ぼくが服従させることになる世界なんだ」(幻滅)と言って闘志を燃え立たせたあの青春の思い上がりによく似ている。が少し違う。なぜならそこには自分の目的とするものが周囲の期待とまさに合致し、これこそが自分のなすべき仕事であると確信して奮い立つような高揚感がすでにしてあったからである。そしてそれは時を追って形をなしていく。たとえば『知りたくないの』が『恋心』のB面として発売されたのがこの年であり、つい2年前に偶然出会った石原裕次郎さんに勧められ、生まれて初めて作詩作曲した『涙と雨にぬれて』がレコーディングされたのもこの年であった。この歌が私にとっての初ヒット曲となったのも『知りたくないの』がB面の曲でありながらもじわじわと人気を呼んで売れはじめたのも翌年のことであるから、1965年の私は己に迫りつつある得体の知れぬ歓喜と興奮を先取りして勝手に胸苦しくなっていたのである。それは予兆または予感であった。

そして66年(昭和41)は山のような作詩依頼が舞い込み、それを寝る間も忘れて仕上げた。それらが年が明けると次々と発売され、世の中に私の書いた歌が突如としてやたら流れるという、夢のような事態が出来した。『恋のハレルヤ』『恋のフーガ』『知りたくないの』『知りすぎたのね』etc。

こうして私の作詩家人生がスタートした。あれから今年で50年である。途中、オペラの台本を書き演出をやり『歓喜の歌』の日本語詩を書いてクラシック音楽界とかなり深い付き合いをした。また劇の台本、ミュージカルの台本や訳詩を担当して演劇界とも交わった。振り返ってみて自分のやってきた仕事の多さにわれながらあきれる。しかしそれは色々なものに興味をもったことの証明でもあるが、ついに落ち着くべき場所を発見できなかった人間の漂泊の足跡でもある。

一時は、作詩は己の天職ではないかとまで思ったことがあったが、心の奥底には小説を書きたい気分が絶え間なくあった。それはシャンソンの訳詩を始める前からすでにしてあった。私の人生はシャンソンの訳詩と歌謡曲の作詩に出会ったことで成立したものであることは十分承知しているが、私の潜在意識の中には作家になりたいという希望もまた絶ちがたいものとしてあった。もう残りの人生もわずかである。急がねば、そんな思いで挑戦したのが初めての小説『兄弟』である。そして2作目の『長崎ぶらぶら節』が第122回直木賞を受賞した。それが2000年である。小説がベストセラーになり、ドラマ化され映画化され舞台化され、私の交友関係はいっきょに広まった。そういうことの次第で『なかにし礼と12人の女優たち』というCDが企画された。このCDは私の作詩家・作家生活50周年記念と銘打って発売される。これほどの作詩家・作家冥利につきることはあるものではない。女優の皆さんに感謝だ。

『なかにし礼と13人の女優たち』『なかにし礼と75人の名歌手たち』
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