「レコード芸術」などで活躍する気鋭の評論家、広瀬大介さんが、オペラに登場する日の当たりにくい脇役になりきり、そのオペラの魅力と鑑賞のツボを押さえた作品解説、対象映像の演出について語る、世にも不思議ななりきり一人称ガイド。
これぞ自己言及のパラドックス!ねじれの向こうに真実がみえる!
1973年生。一橋大学大学院言語社会研究科・博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『リヒャルト・シュトラウス:自画像としてのオペラ』(アルテスパブリッシング、2009年)、『レコード芸術』誌寄稿のほか、NHKラジオ出演、CDライナーノーツ、オペラDVD対訳、演奏会曲目解説などへの寄稿多数。
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最近、無味乾燥な歴史書の代表格『徳川実記』に現代語訳が登場しはじめ、うれしさを噛みしめつつも、昔苦労して読んだのは何だったのか、と一抹の寂しさも感じているところ。好きな食べ物は相変わらず甘いチョコと甘い梅酒。
《ラ・トラヴィアータ》(椿姫)とは
19世紀半ばにフランスの文豪デュマ・フィスによって書かれた、自身の恋愛遍歴をそのまま物語にしたと言われている『椿姫』。ジュゼッペ・ヴェルディはすぐさまこの作品をオペラ化するが、舞台上に「ドゥミ・モンド(高級娼婦)」を登場させたことが、激しい賛否両論を巻き起こした。ヴェルディがつけたタイトル《ラ・トラヴィアータ》は、「道を踏み外した女」の意。真実の愛と虚飾の愛に引き裂かれる、数あるオペラの中でも極めつけの「悲劇のヒロイン」ヴィオレッタに、作曲家は何故わざわざこんな表題を与えたのか。その理由は、この後で登場人物たちが追々語ってくれるだろう。音楽的には、第一幕冒頭でノーテンキに歌われる「乾杯の歌」だけが突出して有名。
ここはヴィオレッタの寝室。結核が進行し、明日をもしれぬ病勢のヴィオレッタが、粗末なベッドで苦しげな寝息を立てている。女中のアンニーナは、眠るヴィオレッタの邪魔にならぬよう、次の間の、火の気のない暖炉の側で仮眠中。重苦しい沈黙が立ち込める室内に、遠慮がちなノックの音が鳴り響く。医師グランヴィルが診察にやってきたようだ。
グランヴィル(以下G): 遅くなりました。今日はとりわけ寒いですな。
アンニーナ(以下A): ああ、グランヴィル先生。おはようございます。うたた寝をしており、失礼いたしました。いつもの往診、ありがとうございます。でも…。
G: ヴィオレッタさんは、まだお休みですかな。
A: はい、ここ数日は、日がな一日眠っていることが多いようですわ。
G: ならば私も、彼女がお目覚めになるまで、少し休ませてもらいましょうか。
A: では、先生にヴァン・ショーVin chaud。ヴァンさんが開催するショーではない。温かいワインの意。ドイツ語圏ではグリューワインGluhwein という。温めた安物ワインに、シナモンやクローヴなどを入れる。クリスマスにはこれを飲ませる屋台が立つが、この時は謝肉祭(2月)なので、あまり多くの屋台は立っていない。でもお出しいたしましょうか。
G: いやいや、どうぞ、お構いなく。
A: そんなことを仰らず。お寒うございましょ。貧しい暮らしではありますが、それくらいはお出しできますのよ。
G: お気遣い、痛み入ります。その後のお加減は?
A: 芳(かんば)しくございません。サナトリウム結核治療のため、風光明媚の地に建てられた療養施設。温暖な気候と新鮮な空気が、結核の進行を遅らせるのに役立った。堀辰雄の『風立ちぬ』、トーマス・マンの『魔の山』など、19~20世紀文学作品では特に好まれた舞台設定。さだまさしにも「療養所(サナトリウム)」という、そのものズバリの歌がある。とはいえ、別にさだまさしが結核だったわけではない。で療養を、と口を酸っぱくしてお勧めしたのですが、アルフレード様がお戻りになるのはきっとこのパリのはず、私はパリを離れるわけにはいかない、と仰られ…。
G: とはいえ、ここにいては、病状は悪化するばかり。ショパンさん言わずと知れた、ピアノの詩人フレデリク・ショパン。愛人ジョルジョ・サンドとマジョルカ島に滞在したのが1838年。『椿姫』の出版は48年。ショパンの没年は49年、《トラヴィアータ》の初演は53年。ショパンの死は、彼らにとっても人ごとではなかったのだ。もマジョルカ島で、病を癒したと伺っていましたが。
A: そのマジョルカが、見込み違いで相当寒かったそうですよ。その後、保養地を転々とされたあげく、つい先年、お亡くなりになりましたわね。39歳だったとか。
G: そうでしたか。正直、我々医者としても、肺病の患者には施す手がないのです。目の前で苦しんでいる患者を助けることができないのは、身を切られるような思いですよ。
A: と言うことは、やはり奥様も…。
G: 昨日お目にかかって診察した限りで言えば、今日明日がヤマでございましょうな。
A: ああ、何とおいたわしい!
G: 正直、医者ができることなど、患者を元気づけることだけなのでは、と思うのですよ。
A: 最近の奥様は、暇さえあればジェルモン様から届いたお手紙を繰り返し、繰り返しお読みになるのです。
G: ジェルモン様? ああ、アルフレードさんのお父上か。
A: 左様でございます。手紙に拠れば、アルフレード様が決闘で負傷させた男爵のドゥフォールも、傷は癒えつつあるとか。ほとぼりを覚ますため、旦那様も外国でお暮らしになっていたのですが、奥様が身を引かれた本当の理由を、父上様からご本人に伝えられたとのこと。旦那様も、父上様も、おっつけここへ戻られましょう。
G: 間に合えばよいのですが…。
そこへ、弦楽器による寂しげな音楽が聞こえてくる。どうやら、《椿姫》第3幕の前奏曲のようだ。
G: 何ともの悲しい曲なんだ。心がかきむしられるようだ。
A: 私、この曲をすでに一度聴いておりますの。
G: と言われると?
A: このオペラがはじまる、第1幕の冒頭ですわ。旋律は同じなのですが、調性だけが半音低いロ短調。ほら、今聞こえているのは…
G: なるほど、ハ短調ですか。
A: さすが、お医者様は音楽の素養もおありになるのですね。シャープが2つのロ短調ただし、冒頭部分の調号はシャープ4つのホ長調/嬰ハ短調。だと、どこかこの世ならぬ、夢の雰囲気が漂いますでしょ。
G: つまり、ヴェルディ先生は、来るべき悲劇を、すでに曲の冒頭で、夢のように暗示していたと。
A: しかも、ほんの少しだけ。その後すぐにホ長調で奏でられるのが、真実の愛のモティーフ。その旋律がまた何とも切なくて、私などは曲のはじめから、もうもらい泣きですわ。
G: いま聴こえるあのハ短調が描くのは、もはや動かしがたい現実の世界。そして得られぬ真実の愛か…。それをわかっている女には与えられず、わかっていない男はいたずらに追い求める。哀しい運命(さだめ)だ。
アンニーナを呼ぶ声が聞こえる。ヴィオレッタが目覚めたのだ。二人は足早にヴィオレッタの居間へ。診察、投薬。八方手を尽くす様子がドア越しに聞こえる。やがて、診察を済ませた医者が、ひとり沈痛な面持ちで戻ってくる。椅子に腰掛け、早くも冷えはじめたヴァン・ショーをすすりながら、ひとりごちる。
G: だめだ、昨日よりさらに悪化している。打つ手なしだ。火の気もないのだから、無理もない。「お医者様には、慈悲深い嘘をつくことが許されているのか」ときたもんだ。あそこまで衰弱していると、こっちの嘘も歯切れが悪くなる。これで愛する男と再会して興奮し、体に負担をかけようものなら、一巻の終わり。どうせこの後に往診の予約はないし、男ももうすぐ来るようだから、万が一を考えて、もう少しここにいたほうが良さそうだ。気は進まないが、死に水を取るのも医者の役目。それとも、終油の秘蹟もうすぐ亡くなりそうな病人が、神父に対して最後の懺悔をし、罪の許しを請うて神の恵みを受けるための儀式。死の床にあったフランス王ルイ15世は、これを受けるために、長年「不適切な関係」にあったデュ・バリー夫人と別れさせられたと言われる。を授けてもらうのに、今のうちに神父様も呼んでおいたほうが良いか…。
瞬間、医者の独り言をかき消す場違いな轟音。血相を変えた男が、乱暴にドアを開けて、ヴィオレッタの居室に飛び込んだ。
G: ああ、「アルフレード様」のお戻りか。相変わらず、見るからに金持ちのボンボンだな。まるで周りが目に入っていないところをみると、相当な自分大好き、ナルシストな性格は変わっていないに違いない。ヴィオレッタを愛しているのも、いわゆる「自己愛の延長」ってやつだ。ああやって病人を驚かせるのが一番よくないのに。とはいえ、私が出て行って引き離すこともできまいて。もはや、彼女の運は神に任せるしかないな。
アンニーナが涙を拭きながら、次の間へ戻ってくる。ヴィオレッタとアルフレード、久々の、そして最期の逢瀬。
A: グランヴィル様…。
G: ヴィオレッタさんが、私を呼んでこい、と言われたのでしょう?
A: どうしてお分かりに?
G: きっとミミとロドルフォプッチーニのオペラ《ラ・ボエーム》の主人公カップル。ヴィオレッタと同じく、ミミも結核で亡くなる前に、ロドルフォと最後の一時を二人きりで過ごす瞬間がある。のように、二人きりになる時間が欲しかったのでしょう。おそらく、いまや気息奄々きそくえんえん、と読む。奄=塞ぐ。息も絶え絶え。、「命旦夕に迫る」 めい、たんせきにせまる、と読む。旦=朝、夕=夕方。人の命が今晩か、明日の朝か、いつまで持つかわからない、という意。といった様子のはず。でも、今は二人きりの時間を作って差し上げるのが何よりも大切。我々はここで、二人の成り行きを見守ることに致しましょう。
A: 奥様は、この期に及んでも、アルフレード様のことを気にかけておいでなのです。あの体で、教会に行ってお祈りを捧げよう、と仰る。何というお優しさ…ううう。
G: あまり泣かれますな。あなたまで倒れてしまっては大変だ。
A: そんな、これが泣かずにおれますか。思えば、パリ郊外の田舎にある家を借り切って、お二人がお暮らしになっていた頃は、本当にお幸せそうでした。そんなお二人を、父上様が世間体を憚って引き離されたのです。やむを得なかったとはいえ、生木を裂くようなむごいことをされたのですよ。
G: …お二人が別れたのは、本当に世間体のためだったのでしょうか?
A: え? 何と仰いまして?
G: 本当に二人が愛し合っていたならば、世間体も何もなく、駆け落ちなり、心中なりすれば済む話。でも、その時のお二人には、まだそこまでのお覚悟がなかったのでは?
A: では、お二人はどうしてお父上の言うことを受け容れられたのでしょう?
G: 端的に言ってしまえば、たぶん金です。
A: お金?
G: 失礼ながら、その当時から、お二人は豪華な生活の水準を維持するために、金策に走り回っていたのでは? いくら高級娼婦とはいえ、辞めてしまった後でそんな大きなお屋敷をいつまでも維持できるほどの金はないでしょう。父親の援助が受けられないアルフレードさんも、さほどの財産はお持ちでないはず。お二人は、単に「夫婦ごっこ」をしてみたかっただけなのではないでしょうか。であれば、お父上の切り出された別れ話は、「ごっこ」あそびをやめるための、単なるきっかけに過ぎません。あのドゥフォール男爵と、大差ありませんな。
A: お屋敷の床には、不自然なほど大量のニセ札が溢れかえっておりました。あれも、お二人の縁(えにし)をつなぐ、唯一の紐帯だったということでしょうか…。
G: その後、アルフレードさんも、さまざまな辛酸をなめられた。ご自身にとって、いかにヴィオレッタさんがかけがえのない御方か、今になってようやく悟られた、と言うことなのではないでしょうか。いささか遅きに失した感もありますが。
A: 奥様には、人並みの幸せすらも許されてはいないのでしょうか。
G: いったん「道を踏み外した女(ラ・トラヴィアータ)」になってしまうと、もとの「道」に戻るのは大変でしょう。ヴェルディ先生も、同じような境遇に置かれているジュゼッピーナ・ストレッポーニさんを後添えに迎えるにあたって、大変な苦労をされていると聞き及んでおります。愛を貫くことの大変さ、残酷さは、「椿姫」というタイトルだけでは十二分には伝わらないと、ヴェルディ先生はお考えなのでしょう。
しばしの沈黙。そこへ荒々しくジョルジュ・ジェルモンがやってくる。
A: まあ、ジェルモン様!
ジェルモン(以下Ger): おお、アンニーナ! これはグランヴィル先生。先生はずっとこちらにおいでなのか? ということは、ヴィオレッタは…。
G: はい、おそらくもう…。
Ger: ならん! まだ死んでもらっては困る! 息子のためにも、わしのためにも! さあ、こんな所にいないで、ヴィオレッタを治してもらわねば! アンニーナ、先生、早く!
ジェルモンは、アンニーナの肩を抱くようにして、居間へ。グランヴィルは、手許のカバンをゆっくりと手に取りながら嘆息する。
G: やれやれ、親の心子知らずとは世に言うが、今日ばかりは子の心親知らず、といったところか。「わしのためにも!」とは、聞いて呆れる。本当に哀れをとどめるのは、死に行くヴィオレッタではなく、世間体に振り回され、ついに「真実の愛」の何たるかを悟らぬ、パパ・ジェルモンなのかもしれんな。これから愛する二人が「真実の愛」のテーマを歌い上げても、時すでに遅し、か。
ヴィオレッタの居間へと歩みを進めるグランヴィル。その足取りは重々しく、引きずるよう。ふと思い立って引き返し、テーブルの上のマグ・カップを手に取る。すっかり冷め切ったヴァン・ショーをしばし見つめたのち、ひと思いにあおる。いきおい、空のカップをテーブルに置く音は、思いのほか大きく、戸惑うグランヴィル。次の間からはヴィオレッタの苦しそうな咳が聞こえてくる。
第3回・了
ヴェルディ 《椿姫》
フェニーチェ歌劇場2004
「フェニーチェ座が柿落としに選んだのは、この歌劇場が世に出したオペラの中で恐らくはもっとも有名な一曲、ヴェルディの《椿姫》(正式な題名は《La traviata 道を踏み外した女》)であった。しかし、それは、我々が通常目にする《椿姫》ではなかった。そこには、オペラ界に向けての、あるメッセージが込められていたのである。」(岸純信:ライナーノーツより)
再建成ったフェニーチェ歌劇場にて2004年11月に収録された《椿姫》、その驚きのメッセージとは?
ヴィオレッタ・ヴァレリー: パトリツィア・チョーフィ
アルフレード・ジェルモン: ロベルト・サッカ
ジョルジョ・ジェルモン: ディミトリ・フヴォロストフスキー
フローラ・ベルヴォア: エウフェミア・トゥファーノ
アンニーナ: エリザベッタ・マルトラーナ
ガストーネ、レトリエール子爵: サルヴァトーレ・コルデッラ
ドゥフォール男爵: アンドレア・ポルタ
グランヴィル医師: フェデリーコ・サッキ 他
演出:ロバート・カーセン
指揮:ロリン・マゼール
フェニーチェ歌劇場管弦楽団&合唱団
2004年11月18日 フェニーチェ歌劇場