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連載内容

「レコード芸術」などで活躍する気鋭の評論家、広瀬大介さんが、オペラに登場する日の当たりにくい脇役になりきり、そのオペラの魅力と鑑賞のツボを押さえた作品解説、対象映像の演出について語る、世にも不思議ななりきり一人称ガイド。
これぞ自己言及のパラドックス!ねじれの向こうに真実がみえる!

プロフィール

広瀬大介

1973年生。一橋大学大学院言語社会研究科・博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『リヒャルト・シュトラウス:自画像としてのオペラ』(アルテスパブリッシング、2009年)、『レコード芸術』誌寄稿のほか、NHKラジオ出演、CDライナーノーツ、オペラDVD対訳、演奏会曲目解説などへの寄稿多数。
Twitter ID: @dhirose
最近、無味乾燥な歴史書の代表格『徳川実記』に現代語訳が登場しはじめ、うれしさを噛みしめつつも、昔苦労して読んだのは何だったのか、と一抹の寂しさも感じているところ。好きな食べ物は相変わらず甘いチョコと甘い梅酒。

日本コロムビア

オペラ・コラム道場

なりきりオペラガイド:脇役だってこれだけは言いたい/広瀬大介

第2回 《トゥーランドット》
三人の大臣ピン・パン・ポン、暇にまかせてベリオ補筆版と演出を斬る!

《トゥーランドット》とは
三大テノールとイナバウアー(?)のおかげで、いまや日本でも大人気のオペラへと成長したジャコモ・プッチーニの最後のオペラ。 古代の中国。はるか昔の先祖ロー・リン姫の非業の死。それをもたらした男たちに復讐するため、自らに求婚する異国の王子に三つの謎をかけ、答えられないと次々に処刑する氷の姫君トゥーランドット。だが、その「氷」を溶かしたのは、「炎」の心を持つタタールの王子カラフだった。二人の幸せを願い、自らの愛と命を犠牲にした女奴隷リューが、本当にこの二人を結びつけたのだろうか? 

トゥーランドット姫。 この迫力、まさか、 いま流行りの肉食系女子か?

春のうららかな日。宮廷の庭には、桃の花が咲き乱れている。トゥーランドットとカラフが結ばれて数年後。用度太夫(総務長官)パンと大膳太夫(料理長官)ポンが、仕事場の書類を前にあくびをかみ殺している。決して仕事の量は少なくなさそうなのだが、常に処刑が行われていたかつての緊迫感がなくなったせいか、気もゆるみがちのようである。

パン: 天下太平。奢侈大敵「しゃし たいてき」と読む。贅沢は敵だ、の意。用度太夫の座右の銘。

ポン: 天下太平。焼肉定食「やきにくていしょく」と読む。定食は焼肉に限る、の意。大膳太夫の座右の銘。物語の舞台が北京なので、肉は羊肉か。。……ヒマでござるな、ご同輩。

パン: まったくもって、ヒマでござるな、ご同輩。

ポン: 姫様はあの異国の王子とご結婚され、それがしは結婚の長(おさ)を務め…

パン: その後、さきの皇帝陛下がお隠れになって、それがしが葬式の長を務めた。

ポン: いまや、あの異国の王子が新しい皇帝陛下とは。

パン: 姫様と陛下、お二人の仲睦まじさたるや、はた目にもうらやましい。

大膳太夫ポン 用度太夫パン

ポン: 左様かの。この前は喧嘩でもなされたか、妙によそよそしい雰囲気にもお見受けしたが。

パン: まあ、姫様のお気の強さは相変わらずだからの。とはいえ…

ポン: これだけ平和だと…

パン: やる事も無し、か。ふあああ…。まったく眠うござるのう。春眠暁を覚えず 処処啼鳥を聞く…。

ポン: 夜来風雨の声 花落つること知らず多少ぞ、か…。ん?

パン: どうした?

ポン: 我らが生きているのは、はるか太古の昔、という設定じゃな? すると、いま吟じた唐代の作『春暁』春暁(しゅんぎょう)。唐代の詩人、孟浩然の作。クラシック・ファンにはマーラーの交響曲『大地の歌』第6楽章「告別」の詩人としておなじみ。「春は眠りが心地よいので、夜が明けたことも気づかないくらいだ。あちこちで鳥の啼き声が聞こえる。昨夜は雨混じりの風がふいていたけど、花はどれくらい散ってしまったのだろう」という意。は、まだこの世に生まれておらぬのでは?

パン: 細かいことを言うでない。おなごに嫌われ…るぞ…。zzZZZ…。

ポン: やれやれ、ホントに寝てしまうとはな、そろそろあの小うるさいじいさんがやってくると言うに、ドヤされても、わしは知らんぞ。

よだれを垂らして眠りこけるパンを尻目に、書類に目を通すフリをするポン。そこへ、杖を突きながら丞相(総理大臣)ピンがやってきた。眠りこけたパンの後ろに回り込み、杖でパンを小突く。ポンは笑いをおさえるのに必死だ。

総理大臣ピン。見た目は他の二人と変わらずエキセントリックだが、実は格上的存在

ピン: たわけ者め、起きんか!

パン: ヘ、ホ、おはようございます、丞相!

ピン: 何が、へ、ホ、じゃ。たるんでいるにもほどがあるぞ。ポン、お主もその書類、逆さまじゃぞ。

ポン: え? あ、こ、これは失礼をば。

ピン: まったく、わしが目を離すとすぐこれじゃ。ホーナンで余生を過ごしたいと思っているに、引退はまだまだ先になりそうじゃの。

パン: 今すぐ引退して頂いても良いのですが……。

ピン: あん? 何か言うたか?! ふん、わしの耳がちと遠いのをよいことにコソコソと。まあいい。そもそもわしの扱いは軽すぎるのではないか? わしはバリトンじゃ。普通、楽譜ではおぬしらテノールが上、バリトンが下に記譜されるものだが、プッチーニ先生は、わしとおぬしら、身分の違いをきちんとわきまえておられた。

ポン: ほう、どのように?

ピン: たわけ、その方も存じておろう。先生はこの約束を無視され、お主らのパートよりも上にわしのパートを記譜されたのだ。わしのほうが偉い、という何よりの証拠であろうが。

パン: 言われてみれば、確かに御説の通り。

ピン: にも関わらず、昨今の演出家は不勉強じゃの。なぜかわしとおぬしら二人を同列に扱いたがる。フランコ・ゼッフィレッリの演出を見習わんか、と言ってやりたいわい。このまえも何じゃ、あのヘンチクリンな「しょいこ」のようなものをつけさせられるとは。肩が凝ってたまらんわ。

ポン: 「しょいこ」背負子と書く。昔話で、山へ芝刈りに行くおじいさんがしょっている、アレである。ピンとこない方は、ピン爺のお勧めに従い、画像検索をどうぞ。とは、また古い。読者がわかりませんぞ、丞相。

ピン: わからずば、画像検索でもするがよい。国家を統べる丞相とは、もっと「みやび」なもの。それをこともあろうに、あのような無粋きわまるものを背負わせるとは。それに、別の劇場では、我らを宦官と取り違えている演出家もいると聞いたぞ。怪しからん。わしらは国政を司るれっきとした大臣。陛下と后どもにこびへつらう宦官どもと一緒にしないでもらいたい。

パン: 丞相は相変わらず、意気軒昂でいらっしゃいますなあ。

ポン: まあ、あの演出は確かに肩が凝りましたな。我らも制度内の「歯車」の一員、ということなのでござろう。わかりやすいといえばわかりやすい。

ピン: プッチーニ先生は、当時の最先端の作曲手法を、単に物珍しさだけで使われたのではない。ニ短調と嬰ハ長調の主和音がぶつかる複調で、我ら「歯車」の残虐かつよこしまな欲望を描き、五音音階を奴隷女リューの自己犠牲を描く手段としても用いられたのだ。だがあの折の音楽は、何やら速いテンポでまくし立てるばかりで、ついていくのも一苦労じゃった。落ち着く暇もなかったのう。まったく、演奏する側も、どこまでわかっておるのか。

どうやら三人の大臣、ディヴィッド・パウントニーによる斬新な演出や、ワレリー・ゲルギエフによるオーケストラの演奏に戸惑いを隠せないようだ。前例をよしとし、新たな創造に本能的な拒否反応を示す官僚ともなれば、それもまた道理か。

ポン: 難しい音楽の話は、それがしにはわかりかねます。わからぬといえば、今の皇帝陛下のお気持ちも、それがしには今ひとつわからぬのでございます。

パン: ご同輩、それはどういうことだ?

カラフ陛下がまだ王子と呼ばれていたころ。すでに恰幅は皇帝級である

ポン: 陛下は姫様に、散々煮え湯を飲まされた。せっかく三つの謎を解いたのに、いやがる姫様を説き伏せるため、自らの「いみな」諱(いみな)。本名のことである。昔の中国や日本では、偉い人同士はお互いを役職名で呼び合い、相手の本当の名前を呼ぶことはないのが普通。直接呼びかけられることを「忌む名」だから、「いみな」と言う。未来の皇帝にして物語の主人公カラフはトゥーランドット姫に「自分の本名を当てたら大人しく引き下がろう。というか死んでもいい」と迫る。を質(かた)にされた。

ピン: ふむ。

ポン: 姫様は、陛下の「いみな」を知るあの女奴隷リューを拷問にかけよ、と命じられた。われらも解放されると喜び勇んだが、あの奴隷は「愛のため」と言って、自ら死を選んだ…。その「愛」とやらは、陛下に向けての愛であろう? いわば、陛下にとっては、自分を愛する女を姫様に殺されたことになるわけだ。

パン: 言われてみれば確かに…。

ポン: その上で、なお姫様に求愛なさる、いや、求愛できる、そのお気持ちがわからぬのだ。

ピン: なぜか、その点にはプッチーニ先生も悩んでおられたようじゃのう。台本作家たちがうまく解決してくれるはずだ、と信じておられたようじゃが、結局うまい解決策は見つからなんだ。

パン: で、うまい音楽も思いつかずに作曲は中断し、未完成のまま先生は亡くなられた、と。

ポン: でも、最後にはやたら豪華な音楽がついているではござらぬか。

ピン: 通常は、先生と深い交わりのあった、フランコ・アルファーノなる作曲家による補筆版が使われておるな。だが、昨今ぼちぼち演奏されはじめておるのは、ルチアーノ・ベリオなる作曲家による新たな楽譜だとか。この前演奏されたのもそれだと聞いたぞ。

パン: そのベリオとは何者で?

ピン: ふむ、ここに秘伝の電脳中国語でパソコンのことなるものがあってな、どれどれ…。1925年、倭国の暦で言えば大正14年の生まれか。イタリアで学び、ニューヨークのジュリアード音楽院で教鞭を執り、パリのIRCAMで電子音響部長…。何のことやら、わしにはさっぱりわからぬ。

ポン: ほう、1980年代より、本業の作曲以外にも、編曲で有名になる、とありますな。シューベルト、ブラームス、ビートルズ…。《トゥーランドット》の編曲もその一部なのでござろうか?

ピン: なに、《トゥーランドット》編曲が、亡くなる前の最後の作品、とあるではないか。

パン: なにやら不吉だのう。プッチーニ先生も含め、この作品を手がけた作曲家は皆、寿命が縮むのか?

ポン: 単なる偶然でござろう、ご同輩。それがしもこの編曲、舞台袖から聴いてはいたが、旋律は先生が遺されたものがそのまま使ってあった。アルファーノのそれと同じじゃ。しかし、伴奏はなにやら妙に寒々しい。より編曲者の個性が前面に押し出されておったの。

ピン: アルファーノは豪奢な音楽で祝祭性を強調し、ベリオはスカスカな音楽で姫と陛下の心の内を描いた、と言うことになるのか…。

ポン: それがしは華々しいことが好みゆえ、アルファーノのほうが宜しゅうござる。

パン: それがしは辛気くさいのが性に合いますな。ベリオもなかなか棄てがたい。

ピン: ……そうじゃ、二人とも大切なことを忘れてはおらぬか?

ポン: と仰いますと?

ピン: そのほうが言うていた、最初の問いじゃ。なぜ陛下は姫様に求婚「できた」のか、と。結局アルファーノもベリオも、陛下のお言葉など、はなから信じていなかったのではないのか? 言葉に真実が宿っておらぬからこそ…

パン: アルファーノは、言葉がきこえぬほどのやかましい音楽で飾り立て…

ポン: ベリオは、言葉の嘘くささと寒々しさをことさらに、意地悪く強調して見せた…。

ピン: ほう、おぬしら、今日はなかなか冴えておるではないか。出世も近いの。自分を慕う女が殺されたとて、しょせん奴隷は奴隷に過ぎぬ。陛下におかれては痛くもかゆくもなかろう。姫様と結婚すれば、立身は思いのまま。「愛している」と言うだけで皇帝の地位が手に入るなら、わしとて何度でもそう繰り返すわ。陛下の叡慮など、臣下の知るところではない。深く考えるだけ損じゃ。

ポン: 確かに、「天子」たる陛下に「人間らしさ」を求めたとて、詮無きことには違いない。

パン: 心優しきプッチーニ先生は、思わぬ陛下の本性を目の当たりにされて、悩まれておったのか。何やら、虚しい話だのう…。丞相は、そうは思われぬので?

ピン: 何をしんみりしておるのじゃ、おぬしらがそれでは、この広い帝国を維持するなど到底おぼつかぬ。もっとしっかりしてもらわねば。複調で憎々しげに描かれる我ら「歯車」の日々も、また楽しからずや、じゃ。

「よっこらしょ」という大きなかけ声と共に、その場から立ち上がるピン。杖を忘れてややよろけるが、杖を差し出したパンの手をふりほどき、その場を立ち去る。パンとポンはふたたび手もとの書類に目を落とすが、相変わらず仕事に実は入らない。窓の外では、春の嵐に飛ばされた、桃の花びらが舞っている。

第2回・了

このオペラが観たくなったら…

プッチーニ:
歌劇《トゥーランドット》
ザルツブルク音楽祭 2002

ゲルギエフ&VPOの極彩色のサウンドとパウントニーの斬新な演出が融和した21世紀のトゥーランドット! 2002 年のザルツブルク音楽祭で大きな話題を呼んだ、当代切ってのカリスマ指揮者、ゲルギエフとウィーン・フィルによる、プッチーニの遺作オペラ《トゥーランドット》。シュナウト、ボータ、ガイヤルド=ドマスら豪華なキャスティング。第3幕にルチアーノ・ベリオによる第3幕補作版を採用。ヴィジュアルにはパウントニーによる、斬新な演出、スペクタクルな舞台が圧倒的です。

■キャスト&スタッフ

トゥーランドット:ガブリエーレ・シュナウト
リュー:クリスティーナ・ガイヤルド=ドマス
カラフ:ヨハン・ボータ
アルトゥム:ロバート・ティアー
ティムール:パータ・ブルチュラーゼ 他

演出:デイヴィッド・パウントニー
指揮:ワレリー・ゲルギエフ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

■収録

2002年8月15、18日 ザルツブルク祝祭大劇場

■SPEC

  • [収録時間] 141分(本編126分)
  • [字幕] 日本語・イタリア語
  • [映像] 16:9 カラー
  • [音声] リニアPCMステレオ/Dolby Digital 5.0/DTS 5.0
  • [ディスク仕様] 片面2層
  • DVD●TDBA-80350 ¥2,940円(税込)
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