「レコード芸術」などで活躍する気鋭の評論家、広瀬大介さんが、オペラに登場する日の当たりにくい脇役になりきり、そのオペラの魅力と鑑賞のツボを押さえた作品解説、対象映像の演出について語る、世にも不思議ななりきり一人称ガイド。
これぞ自己言及のパラドックス!ねじれの向こうに真実がみえる!
1973年生。一橋大学大学院言語社会研究科・博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『リヒャルト・シュトラウス:自画像としてのオペラ』(アルテスパブリッシング、2009年)、『レコード芸術』誌寄稿のほか、NHKラジオ出演、CDライナーノーツ、オペラDVD対訳、演奏会曲目解説などへの寄稿多数。
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最近、無味乾燥な歴史書の代表格『徳川実記』に現代語訳が登場しはじめ、うれしさを噛みしめつつも、昔苦労して読んだのは何だったのか、と一抹の寂しさも感じているところ。好きな食べ物は相変わらず甘いチョコと甘い梅酒。
《ジュリオ・チェーザレ》とは
イタリア語じゃわからないのである。せめて英語でジュリアス・シーザーと言っていただかなくては。ラテン語ならユリウス・カエサル。古代ローマの共和制に終止符を打ち、帝政への移行のきっかけを作った、泣く子も黙る偉大な英雄である。自身はローマ皇帝となる前に暗殺されてしまったが、皇帝を意味するドイツ語カイザーKaiser、あるいはロシア語のツァーリCsarにその名残がある。1724年にゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルと台本作家ニコラ・フランチェスコ・ハイムがオペラの題材として選んだのは、紀元前48-47年にかけて、親友にしてライバルとなったポンペオ(ラテン語:ポンペイウス)を追い詰め、死に至らしめたエジプトでの出来事。初演当初は、ヨン様も裸足で逃げ出し、ジャニーズのタレント全員を集めてもかなわないほどの大人気スターだった、カストラートのセネジーノ、それに絶世の美女というわけではないけれど、歌を歌わせたら誰よりもすごいと評判だったプリマ・ドンナ、クッツォーニがロンドンに呼び寄せられ、大スペクタクルが繰り広げられたという。ちょっとマイナーな感のあるヘンデルのオペラ。それがいかなるものかは、いつもの脇役たちがじっくり解説してくれるはず…である。
紀元前47年。世に二人と並び立つもののない英雄チェーザレ、絶世の美女にしてエジプト女王クレオパトラは、互いの魅力に惹かれ、内乱を収めた後、つかの間の休息を満喫していた。紀元前49年にルビコン川を渡って以来、休まる暇とてなかったカエサルにとって、愛する女との日々は幸せに満ちていた。部下たちにとっても、久々に羽を伸ばせる日々。かつては敵同士だったローマの司令官クーリオと、エジプトの家臣ニレーノも、いまや共に酒を酌み交わす中である。宮殿の中の小部屋で、二人して差しつ差されつ。
ニレーノ(以下N): さ、もう少し、酒でも召し上がりませぬか。
クーリオ(以下C): …だな。もう少しもらおうか。
N: 浮かぬ顔でございますな。何かお気にそまぬことでも?
C: うん、そう言うわけでもないんだが…。
N: どうぞ、私で宜しければお話し下さいませ。
C: そもそも、俺たちがここに出ていいのか?
N: 藪から棒にそんなことを仰られても…。
C: 大体、この《ジューリオ・チェーザレ》自体、今まで登場したオペラに比べても、かなりマイナーではないか。ニレーノだの、クーリオだの言われても、日本人読者には、どちらがエジプト人で、どちらかローマ人だか、きっとわからぬぞ。それにな、俺は実はもう死んでいるはずなんだ。
N: は、いま何と仰いました?
C: 俺はな、もう戦死してるんだ。ポンペイウスとの戦いのさなかに、カエサルはクーリオをアフリカ属州の平定に向かわせた。だが、紀元前前49年、ヌミディア(現チュニジア)軍との戦いに敗れ、同地で戦死した。それなのに、生半可にしか歴史を調べなかった後の世の奴が、カエサルの将軍と言えばクーリオだろ、みたいなノリで俺を無理矢理オペラに登場させたんだよ。究極の御都合主義だよな。
N: そう言うこととは存じ上げませず、失礼いたしました。では、ここにいらっしゃるクーリオ様は、生きながらにしてお亡くなりになっている、ということですな。
C: まあ、亡霊みたいなものだな。そう思ってくれて結構だ。
N: 何だか盛り上がりませんね…。
C: そりゃあそうだ。なにしろ亡霊だもんな。俺たちは傍観者。ほとんど劇の筋にはからんでないし、ろくなアリアも与えられていない。ポンペイウスの妻コルネリアとその息子セストは、随分活躍の機会もあるってのに、俺は随分ひどい扱いじゃないか? 寂しいもんだ…。
N: (投げやりだなあ。これじゃあまったく盛り上がらない。今回のなりきり、どうすればいいんだろう? よし、こうなったら禁断の奥の手を…。)
ニレーノ、クーリオに気づかれぬよう、そばにいる召使いに目配せをして呼び寄せ、小声で何事かを言いつける。すぐに退出する召使い。ひたすら聞き役に徹するニレーノ。クーリオは相変わらず、浮かぬ顔をして飲み続け、一人で何やらぶつぶつとつぶやく。
C: 大体、俺がバス歌手の歌う役、っていうのが気に入らない。バロック・オペラの花形と言えば、カストラートヨーロッパにしかいない、男性の去勢歌手。中国では去勢された男は、皇帝の後宮で雑用を行い、皇帝の私生活の世話をし、やがて大きな権力を握るものもあらわれた。ヨーロッパではその種の政治的権力を握ることはなく、ただひたすら芸術に奉仕するためだけの存在だったところが興味深い。変声期を迎えず、体だけが成長するため、男の肺活量・胸郭を保ちながら歌うことができた。一部のカストラートは大きな人気を獲得し、巨万の富を手に入れた。それもある意味では、歪んだ「政治的権力」のあらわれなのか。と、ソプラノじゃねえか。男の歌手なんて、はなもひっかけねえ。カストラートにあらずば、人にあらず、ってとこか。ふん、随分と馬鹿にした話だ。21世紀じゃ、もうカストラートなんていねえっていうじゃねえか。低い女声か、カウンターテナー男性アルト歌手。変声期を過ぎた一般の男性が、いわゆる裏声を用い、女声に相当する音域を歌う。イギリスでは中世以来の伝統があるが、大陸ではカストラートの衰退に伴って、徐々に復活してきた。 で歌うしかねえ、っていうのも、寂しいなあ。華がねえ。全く、今時ヘンデルのオペラなんて演奏して、何が楽しいのか…。
そこへ召使いが戻る。
召使い: 女王様のお越しにございます!
C: 女王様だあ? どこの女王様だ。
N: これ、失礼ですぞ、女王様と言えば、クレオパトラ様に決まっているではございませぬか!
C: ああ、クレオパトラ女王様のお出ましか。
クレオパトラ(以下CP): ちょっとニレーノ!こんなところに呼びつけて何のつもり!? せっかくカエサル様とよろしくやってたっていうのに。カエサル様は、レバノンから取り寄せた極上のブドウが大のお気に入りなんだけど、わたしの手からじゃないと、食べたくないって聞かないのよ。
N: お仲の宜しいこと、慶賀の至りにございます。そのような中、大変申し訳ございませぬが、実は今回、なりきりが危機に瀕しておりまして。(・・・あまりクーリオ殿がやる気を見せて下さらぬので・・・)是非陛下のお力をお借りしたというわけなのでございます。
CP: そもそもここって、陽のあたらない脇役しか登場しない、地味すぎるコーナーでしょ? わたしはこのオペラの主役よ。こんなところに出てくる謂われなんか、ちっともないと思うんだけど。
N: 幾重にもお詫び申し上げます。なりきりの筆者も平身低頭、お詫びを申し上げております ので、ここは一つ、我らを助けると思し召し、どうかお力をお貸し下さいませ。
CP: もう…しょうがないわね。カエサル様も、わたしが中座したばっかりに、今ごろプンスカしてるに違いないわ。手短にお願いね。
N: はは、ありがたき幸せに存じます。
C: なーにがありがたき幸せだ、俺たちローマ人の大将は、あの女に鼻毛を抜かれちまってる、ってわけか。昔っからユリウスは女に弱かったからな。まあ、あの美貌なら無理はない。もっとも俺の好みからすれば、ちょっと顔が濃くて厚化粧が過ぎるがな。アイツはああいう濃いめの顔がお好みか。
CP: ちょっとあんた、なんか不満そうね。
C: いいえ、そう言うわけではございませぬよ。このたびは、大層なご活躍。うちの大将もいろいろと助けて頂き、陛下には御礼の言葉もございません。
CP: なんか心がこもってないわね。しかも投げやりな顔しちゃって。
N: こ、これ、クーリオ殿。陛下に対し、無礼が過ぎまするぞ。
CP: で、わたしは何をしゃべればいいのよ。
N: まずは、このオペラを観るにあたり、必ず知っておいた方が良い約束事などをご教示願いたく。
CP: そんなもの、DVDの解説に書いてあるじゃない。同じコラム道場の吉田さんが書いてるから、それを読めばバッチリでしょ?
C: ははん、まったくだ!
N: いえいえ、その詳しい解説は、残念ながらDVDを買わないと読めませぬので、とりあえずここでは陛下自らが、そのエッセンスだけでもわかりやすく説いて下さることこそ肝要かと。それが、このなりきりを読む民を啓蒙することにもつながります故。
CP: 専制君主制の古代エジプトで、民を啓蒙する必要などあるのかしら? まあ、それはそれとして。じゃあクーリオ、あんた、ダ・カーポ・アリアって知ってるわね?
C: いいえ、それがしにはアリアなどございませぬから、存じませぬな。
CP: なによ口をとんがらせて。いちいち物言いが癪に障るし。まあいいわ。ニレーノ、あんたはさすがに知ってるわね。
N: は、幸か不幸か初演は1724年。翌25年の改作時に、第2幕の冒頭にアリアが加えられたが、同役を歌うのがカストラートではなくソプラノだったため、ニレーノ→ネリーナ、つまり男性から女性に変更された。このDVDでは、カウンターテナー、すなわち男性が、そのままニレーノとしてこのアリアを歌っている。ああ、ややこしい。、後の改作で作曲家が私のようなものにまで、アリアを与えて下さった故。
C: 何、おまえ、アリアがあるのか?!
N: ちょ、苦しい! 胸ぐら掴まないで下さいよ! 実はあったりするんです。うらやましいんですね、クーリオ殿?
C: うるさい! うらやましいのではない! うらやましくなんかないやい…。
N: やっぱりうらやましいんだ…。
CP: もう勝手にやってなさい・・・。この二人に任せてたら進む話も進まないわ。しかたない。では、わたしが説明するわ。ダ・カーポとはイタリア語で「はじめに戻る」という意味。楽譜は二つの部分から成っていて、前半をA、後半をBとしましょう。まずAを歌い、Bを歌う。これは順番通り。すると、大抵楽譜の最後に、この「ダ・カーポ」が記されているの。これによって、歌い手は「はじめに戻り」、もう一度Aの部分を歌わねばならないのよ。Aの部分を最後まで歌えば曲は終了。つまり、「ダ・カーポ・アリアちなみに、序奏を省く場合は途中までしか戻らないので、「ダ・カーポ」の代わりに「ダル・セーニョ」と書かれている。でも、この場合もわざわざ「ダル・セーニョ・アリア」とは呼ばれない。あくまで「ダ・カーポ・オペラ」。きっと語呂が悪いから?」とは、A→B→Aの順に歌われるアリアの形を指す言葉なの。
C: Aを二度繰り返すのか? それはまた退屈な話で。
CP: そう、同じAを二度繰り返す。だけど、二度目のAの繰り返しでは、歌い手はいろいろと装飾を加えてよいことになっているのよ。っていうか、装飾を加えて、あんたのような聴き手を飽きさせないために、歌手自ら工夫をしなければならないってことなの。
N: それは楽譜に書いてないので?
CP: 繰り返し部分が書いてないからこそ「ダ・カーポ」なの! …あんた、その仕組みをいまいち理解してないみたいね。歌手の即興のセンスが問われる箇所、っていうわけ。
C: で、そのダ・カーポ・アリアと、レチタティーヴォ、そしてほんの少しの重唱と、オーケストラ伴奏付きのレチタティーヴォから、オペラ全体が成り立っている、と、そういうわけだな?
CP: そう、イタリア、情熱のナポリで発展したこのオペラの形式、何はなくとも、まずはダ・カーポ・アリアがなくては始まらないってことよ。
C: で、陛下がカエサル様と初めてお目にかかった時は、やはりカーペットにくるまれて、登場されたのでしょうな?
CP: あんたハリウッド映画の見過ぎ…。それは単なる伝聞よ。このオペラでは、わたしは召使いに変装してカエサル様に近づいたことになってるみたいね。まあそのカーペットの話も、よくできた話ではあるけど。
N: その時、カエサル様は、例の《来た、見た、勝った》という、有名な台詞を仰られたのですよね?
CP: それはエジプトからローマへ、カエサル様がひきあげる際につぶやいた言葉ね? エジプトの話じゃないわ。まだ先の話。しかも、カエサル様がオペラの中でこの言葉を披露されるのは、ダ・カーポ・アリアでもなくって、第1幕冒頭の何気ないレチタティーヴォ。よほど気をつけてみてないと、きっと見逃しちゃうわよ。読者のみなさんもご注意あそばせ。
C: なーんだ、オペラに詰め込まれたカエサル様の有名なエピソードは、ぜーんぶエジプト遠征とは関係ないのか。俺、死んじゃってるから知らないわ。
CP: いくら史実を扱っているオペラとはいえ、その細部まで史実と一緒というわけではないの。言うなれば、NHKの大河ドラマみたいなものね。
N: そういえばカエサル様も、ローマのトーガ一枚の大きな布でできた上着のこと。現代人からみると、ずり落ちやしないかとか心配になるあの服である。ではなく、なにやら見慣れぬ衣装に身を固めておられたようで。
C: あれはな、多分19世紀イギリスの海兵隊の軍服だ。イギリスの演出家、ディヴィッド・マクヴィカーが、19世紀末にイギリスがエジプトを保護領にした史実と、我らがローマのエジプト支配を重ね合わせたんだろ。気球だの、軍艦だの、俺たちの時代にはないものが結構登場するもんな。クレオパトラ様の衣装はエジプト風だったり、インド風だったり、随分ハチャメチャだし、どうなっちゃってんだ?
CP: 最近のヘンデル・オペラの演出はそれが普通なの。ていうか、ローマ時代の様式をそのまま再現しても、ダ・カーポ・アリアばかりが続くオペラなんて、現代のお客さんはすぐに飽きちゃうでしょ? そもそも、そんなものを再現したら、いくらお金があっても足りないわ。リーマン・ショックの世の中、舞台装置にもそんなにお金をかけられないんでしょうね。で、お客さんの集中力が途切れないように、手を変え品を変え、視覚的なスペクタクルを提供してあげるってわけ。ま、でも、一番の見所は、わたくしクレオパトラが、体を張った魅力をあちこちで振りまいている、という点かしらねえ。
C: 結構本当だけに、なおさら始末が悪い、嫌みな女だ。衣装もかなり刺激強いもんな…。
N: と、とにかく、ヘンデルのオペラを現代人にも見せるべく、さまざまな工夫が施される、と言うわけですね?
CP: そゆこと。あんたたちも、わたしの活躍を脇から観て、ときめくだけなら、一向に構わないわよ。私は身も心もカエサル様のものだけどね。さ、カエサル様の元に戻らねば。ニレーノ、後はよしなに~。
N: ありがとうございました。ささ、こちらへ。
ニレーノ、クレオパトラをカエサルの部屋へと誘い、その場を去る。一人残されたクーリオ、残った酒を呷りながら、ぼそぼそとつぶやく。
C: 女は怖いよな。あんな美貌を持っておきながら権力欲も強いとは。共同統治していた弟のトロメオ(プトレマイオス)を、ユリウスの軍に殺させるんだもんなあ。アイツなんか、このコラムにはうってつけの濃いキャラクターなのに、死んじゃってるから登場できない、ってのはもったいないな。ま、でも、俺もホントは死んでるんだが。このオペラではセストが「父のかたき!」とかなんとか言いながら、トロメオを殺すんだっけ。まあ、オペラってものには、そういうハチャメチャなところがないと、面白くならないのかもしれないな。俺ももう少し、ヘンデル・オペラの復権に協力してみるか。
N: でも、アリアがないんですよね。
C: うわ、いつの間に戻ってきてたんだ、お前。しかも、むかつくことばかり言いやがって。お前のアリア、俺によこせ!
N: 私のアリアだって少ないんですから、そんな簡単に渡せませんよ。上演によっては削除されちゃうんだし。
C: うるせえ、とにかくよこせ!
N: まったく、亡霊みたいな存在なら、アリアなんかなくていいと思うんだけど…。
第8回・了
ヘンデル 歌劇《ジュリオ・チェーザレ》
グラインドボーン歌劇場 2005
世界の話題をさらうソプラノ、ドゥ・ニースを一躍スター歌手へと押し上げた映像。クレオパトラ役を演じるドゥ・ニースは、そのエキゾチックな美貌と瑞々しい歌声、そしてプロ顔負けの華麗なダンスの三拍子揃った演唱で、一夜にして国際的歌手の仲間入りを果たしました。また、バロック界の重鎮クリスティが、ヘンデルの音楽から現代的で躍動感にあふれたリズムを引き出し、さらに演出のマクヴィカーが、そのリズムになんとボリウッド映画(インドの娯楽映画)からヒントを得たダンスを合わせるという大技をやってのけました。しかもこれが抜群の好相性! バロック・オペラのイメージを覆す、鮮烈な舞台です。
ジュリオ・チェーザレ:サラ・コノリー
セスト:アンゲリカ・キルヒシュラーガー
クレオパトラ:ダニエル・ドゥ・ニース
コルネーリア:パトリシア・バードン
アキッラ:クリストファー・モルトマン
トロメーオ:クリストフ・デュモー
ニレーノ:ラシッド・ベン・アブデスラム
クーリオ:アレクサンダー・アシュワース
演出:デイヴィッド・マクヴィカー
指揮:ウィリアム・クリスティ
エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団 グラインドボーン合唱団
2005年8月14、17日 グラインドボーン歌劇場(グラインドボーン音楽祭、イギリス)