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連載内容

オペラをこよなく愛する吉田光司さんがお送りするオペラ・ニュース月報。国内外の歌劇場の様々な話題、ニュースを活きのいいうちにご紹介。5分で世界のオペラ界が垣間見える、月1回更新の速報型ウェブ連載!
※煩雑になるので伝聞調を採っていませんが、基本的に実際に公演を観た人から得た情報を基に書いています。

プロフィール

吉田光司

早稲田大学法学部、および国立音楽大学声楽科卒。音楽関係の会社に勤務後、現在はフリーで活動中。オペラDVDの日本語字幕翻訳・制作、ノーツ執筆両方を手掛ける職人であり、また稀にNHK-FMのクラシック番組で案内役も務める。大のオペラ好きで、オペラと名のつくものは何でも聴くが、特にお気に入りはヘンデルとロッシーニ。イタリア、ペーザロで開催される「ロッシーニ・オペラ・フェスティバル」には十年来通い詰める常連である。オペラ公演は「自腹で聞くのが当然」の主義。和食の魚、ことに寿司と干物が好物。猫をこよなく愛する。

日本コロムビア

オペラ・コラム道場

オペラ・ニュース月報:マンスリー“オペラ”レポート/吉田光司

第10回 波乱のヴェルディ音楽祭2010

 

 すっかり秋の名物音楽祭になった、パルマのヴェルディ音楽祭。しかしこの2010年はいろいろと混乱が伝わってきた。
 三演目のうち一番人気である《イル・トロヴァトーレ》、キャストはマンリーコがマルセロ・アルバレス、レオノーラがノルマ・ファンティーニ、ルーナ伯爵がクラウディオ・スグーラ、アズチェーナがマリアンナ・タラソワと、かなり豪華。しかも10月1日の初日はスグーラが不調でキャンセルになり、《シチリアの晩鐘》に出演するレオ・ヌッチがこの日だけ代役でルーナ伯爵を歌うというサプライズがあった。
 ところがこの初日、口うるさいことで有名なパルマの観客が、アズチェーナのタラソワを盛大に野次ってしまったのである。結局彼女はこの日だけで降板してしまった。
 さらに運の悪いことに、目玉であるはずのファンティーニが不調を理由に二日目以降をキャンセル。本来若手組のレオノーラだったテレーザ・ロマーノがほとんどの公演で歌うことになった。彼女は今年の夏、マチェラータのスフェリステーリオ・オペラ・フェスティヴァルでの《運命の力》でレオノーラを歌い好評を博していたが、まだ25歳という若い歌手なので力不足は否めず、ファンティーニ目当ての観客からは落胆の声が上がってしまった。
 こうした状況で、この《イル・トロヴァトーレ》を巡って一部の聴衆が劇場内外で喧々諤々、その聴衆の態度についてもまた議論になるという具合で、騒ぎは拡大した。
 不幸中の幸いは、代役アズチェーナに呼ばれたグルジア人メッゾソプラノ、ムジア・ニオラジェが健闘したこと。彼女は既にメトロポリタン歌劇場でもアズチェーナを歌っている実力ある歌手だ。おかげで、日程の後半では公演も落ち着きを取り戻したという。だがどこか後味の悪さを残ってしまったのは否めない。

 こういう時には不思議と不運が重なるもので、《シチリアの晩鐘》でも一騒動があった。
《シチリアの晩鐘》でも豪華なキャストが組まれた。モンフォルテがレオ・ヌッチ、エレナがダニエラ・デッシー、アルリーゴがファビオ・アルミリアート、プロチダがジャコモ・プレスティーア。しかも演出は大御所ピエール・ルイージ・ピッツィである。
10月10日の初日、ヌッチ、デッシ、プレスティーアが好調な中、一人アルミリアートが精彩を欠き、ブーを喰らってしまった。実際、本調子ではなかったそうだ。二日目となる10月13日の公演では、開演前に「アルミリアートは本調子ではありませんが…」という“お詫び”が会場に放送され、観客もそれなりに覚悟をして公演に臨んだという。ところがこの日は映像収録が入っており、ズラリと並んだ7台のテレビカメラにアルミリアートが奮起したのか、不調をものともせぬ熱唱を披露。アルミリアート株は急上昇。
…とここまでは良かったのだが、やはり喉の調子が悪い時に無理をしてしまったようで、次の公演である10月17日は公演の開演直前になって降板に。この《シチリアの晩鐘》はシングルキャストなので、別組みのキャストを起用することができない。さらにアルリーゴにはちゃんとしたアンダーが用意されていなかったようで、結局アルリーゴを任されたのは、まだ非常に若い韓国人テノール、キム・ミョンホ。一応アルリーゴは学んでいたようだが、暗譜で歌うのは無理だったようで(そりゃそうだろう)、楽譜を手に持ったままの歌となった!
もっとも、ここまでの非常事態になると、観客の方も「公演自体がキャンセルになるよりはマシ」と開き直れるのか、あるいは共演者たちが若いキムを思い労わり守り立ててくれたからか、結果的には公演は「成功」を収め、キム君にも温かい喝采が送られたそうな。結局残りの公演はすべてキムが歌った。めでたしめでたし?

 こうした音楽祭の混乱を背景に、パルマ在住の高名なバスバリトン、ミケーレ・ペルトゥージが地元紙に『真摯な音楽学的企画の欠如』と題した、ヴェルディ音楽祭の運営を批判する痛烈な記事を寄稿、またまた騒動になった。ペルトゥージの寄稿の内容についてここでは深入りしないが、彼の主張は、ヴェルディ音楽祭を単なる秋のイヴェントに終わらせたくないという志の高さ故のものである。他でやっているヴェルディ上演と同じものをパルマのヴェルディ音楽祭でやってどうする、という思いが、ペルトゥージのような歌手には強くあって、現状に我慢がならないのだろう。

 ともかく、ヴェルディ音楽祭は、秋のイタリアの重要な音楽行事として定着したことはたしかだろう。日本からも毎年多くの観客が観劇に訪れている。一方、文化予算が大幅に縮小される中、運営側がたいへんなのは当然である。しかし他の劇場から『規範』とみられるためには、もう一歩の意識変革が求められているのではないだろうか。

 悪い点ばかり書いてしまったが、もちろんヴェルディ音楽祭ならではの良さ、素晴らしさもあれこれ伝えられている。ことに《シチリアの晩鐘》は全体としては好評、何より68歳のレオ・ヌッチが実に見事な歌を聞かせて大喝采だったそうだ。またピッツィの演出は、舞台をリソルジメントの時代に『置き換え』したもので、当然イタリア人への訴えかけが強くなる。その上で、歌手や合唱を舞台上のみならず平土間でも歌わせて観客を上演に巻き込み、盛り上げていたという。

 

ヴェルディ音楽祭
http://www.teatroregioparma.org/verdifest/

第10回・了

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