オペラをこよなく愛する吉田光司さんがお送りするオペラ・ニュース月報。国内外の歌劇場の様々な話題、ニュースを活きのいいうちにご紹介。5分で世界のオペラ界が垣間見える、月1回更新の速報型ウェブ連載!
※煩雑になるので伝聞調を採っていませんが、基本的に実際に公演を観た人から得た情報を基に書いています。
早稲田大学法学部、および国立音楽大学声楽科卒。音楽関係の会社に勤務後、現在はフリーで活動中。オペラDVDの日本語字幕翻訳・制作、ノーツ執筆両方を手掛ける職人であり、また稀にNHK-FMのクラシック番組で案内役も務める。大のオペラ好きで、オペラと名のつくものは何でも聴くが、特にお気に入りはヘンデルとロッシーニ。イタリア、ペーザロで開催される「ロッシーニ・オペラ・フェスティバル」には十年来通い詰める常連である。オペラ公演は「自腹で聞くのが当然」の主義。和食の魚、ことに寿司と干物が好物。猫をこよなく愛する。
ヴェルディの《海賊》は、1848年にトリエステで初演されたオペラ。バイロンの高名な小説を原作としたものだが、「契約に縛られ渋々作曲した作品」ということで、長いこと人気は低いままだ(詳細は《海賊》DVDの解説を)。ところが近年になって再評価が進み、優れた上演が増えている。11月22 日、チューリヒ歌劇場で新制作の《海賊》が初日を迎えた。演出は、このコラムではお馴染みのダミアーノ・ミキエレット。舞台一面に水を張り(これはROF での《泥棒かささぎ》で用いた手法)、それを舞台背景に据えた巨大鏡面で映し出す(やはりROFでの《絹のはしご》で活用していた)ことで、物語における「海」の存在を際立たせていた。書類の散らばる海に取り囲まれた書斎机に乗るコルラードは、まさしくバイロンその人だ。他方、トルコのセリムであるパシャは伝統的な貴族で、その重苦しい秩序をコルラードが破壊するものの、彼自身も破滅するという舞台になっていた。バイロンの生涯を知っていれば容易に入り込める舞台作りだろう。主役のテノール、コルラードは、ややドラマティックなテノールが受け持つことが多いのだが、今回は人気急上昇のヴィットーリオ・グリゴーロが若々しく情熱的に歌い、好評を博していた。
☆チューリヒ歌劇場のサイトで舞台写真が多数見られる。
19世紀前半のイタリアオペラは、いわゆるピリオド演奏があまり盛んではない。ロッシーニの、ことに1820年頃までの作品は、時代的にもっと試みがあっても良いのだが、まだまだ試験的である。2007年に演奏会形式で《タンクレーディ》を取り上げたルネ・ヤーコプスが、2009年10月にアン・デア・ウィーン劇場で舞台上演をした。これは話題になって、日本にも情報が届いたろう。
一方12月4日には、ジャン・クロード・マルゴワールがトゥルコワンのアトリエ・リリクで舞台上演(計4回)、その後12月16日にはシャンゼリゼ劇場で演奏会形式上演と、さながらヤーコプスと競い合う様相になった。トゥルコワンでの上演(ジャン=フィリップ・ドゥラヴォー演出)では、白い床面に、まるで書のように文字が書かれているのが特徴で、衣装は古風なスタイルのもの。古楽系指揮者の中でも特に鄙びた味わいの強いマルゴワールだけに、通常の《タンクレーディ》とはだいぶ違った趣を持った上演となった。フェラーラ稿による悲劇的幕切れの後、オリジナルのハッピーエンドも付け足しての上演。
11月20日、スウェーデンのソプラノ、エリザベート・ゼーダーシュトレーム(1927年生まれ)が脳梗塞で亡くなった。82歳だった。彼女は1950年代から80年代という長い期間第一線で歌い続け(最後のオペラ出演は1999年)、しかも本国に加え英米独など各国で広く活躍したが、日本での知名度は今一つで、DECCAのヤナーチェクのオペラ・シリーズで知られている程度だろう。
ところで、日本では彼女はドイツ人と誤解されがちだ。彼女の録音が日本に紹介されるようになった1960、 70年代頃は、スウェーデンのアーティストは「ローカル」とみなされる傾向があったため、当時のレコード会社が販売戦略として、Elisabeth Soderstromをあえてエリザベート・ゼーダーシュトレームと丸っきりドイツ語読みにしてしまったのだという。スウェーデン語に近い表記だと、エリーサベト・セーデルストレムである。
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関連して、その他2009年に亡くなった名歌手を思い返してみる。
衝撃的だったのは、8月18日に亡くなったヒルデガルト・ベーレンスだ(1937年生まれ)。1980年代を代表するワーグナー・ソプラノの急死というだけでなく、来日中の東京で亡くなったことが驚きだった。これについてはまだニュース記事も多く残っているので、そちらをご参考に。
イーラ・マラニウク(1923年生まれ)は、ウクライナ出身のオーストリアのメッゾソプラノ。彼女は1950 年代のバイロイト音楽祭で活躍したことで知られており、ハンス・クナッパーツブッシュ、クレメンス・クラウス、ヘルベルト・フォン・カラヤン、ヨゼフ・カイルベルト、オイゲン・ヨッフムといった錚々たる指揮者の下、フリッカやブランゲーネを歌った。
そのバイロイト出演で、彼女には有名な逸話がある。1951年、バイロイト再開の年、マラニウクは《マイスタージンガー》のマグダレーネ役でバイロイト音楽祭に参加していた。ところが8月1日、第2チクルス(カラヤン指揮)の《ラインの黄金》開演の僅か3時間前、フリッカ役のエリーザベト・ヘンゲンが虫垂炎を悪化させ緊急入院。再開初年度でアンダーもなかったのだろう、代役が見つからず、あわや公演中止かという状況に陥った。その時、まったくフリッカ役を歌った経験のないマラニウクが上演までの僅かな時間で役を覚えて舞台に立ち、公演を救ったのだ。この時の上演は録音が残っており、あちこち間違えながらも懸命に歌っているマラニウクを聞くことができる。
マラニウクは1971年、比較的早くに舞台を引退、その後はグラーツで後進の指導に当たっていた。2月27日にグラーツにて没。
ブルーノ・セバスティアン(1947年生まれ)は、北イタリア、ウーディネ近郊のポヴォレット生まれ。マリオ・デル・モナコの弟子の一人で、スピントな声で人気を博し、オテロやラダメスを得意としていた。セバスティアンは1980年代に何度か藤原歌劇団に出演しており、また1989年に東京ドームで行われた《アイーダ》(いかにもバブル絶頂期らしい催しだ)に出演していたので、日本でも比較的知られているだろう。9月24日、ウーディネにて没。
ところで、セバスティアンの生年は一般に1947年とされているが、亡くなった時には「73歳」と報道されていて、10年以上計算が合わない。たしかに、2001年8月にプラハで歌ったヴェルディ《仮面舞踏会》のCDでは、50代前半とは思えないほど声が衰えてしまっているのだが、さて。
アルド・ボッティオン(1933年、ヴェネツィア生まれ)は、1960、70年代には主役、準主役として活躍。軽めの美声で情熱的に歌い、プッチーニを得意としていた。彼はキャリアの非常に長い歌手で、70歳を超えてもなお《トゥーランドット》の皇帝アルトゥムのような老人役を歌っていた。記録では、2008年7月、スイスのアヴァンシュの野外公演で《椿姫》のジュゼッペを歌ってことが確認できる。2007年 8月、ROFでのロッシーニ《オテロ》で総督を歌っているのを聞くことができたが、老いてなおしっかりとした純正イタリアの声にとても感心したものだった。
その他、メトロポリタン歌劇場で四半世紀にわたって活躍した米国のバス、エツィオ・フラジェッロ、深々とした美声が魅力の英国のアルト、ヘレン・ワッツ、スウェーデンの名バリトンで、バロックからワーグナー、現代オペラまで幅広く活躍したエリック・セデーン、セバスティアンと同様、ウーディネ近郊の生まれで名脇役として活躍したバリトン、アルフレード・マリオッティといった人たちが2009年に亡くなっている。
第9回・了