オペラをこよなく愛する吉田光司さんがお送りするオペラ・ニュース月報。国内外の歌劇場の様々な話題、ニュースを活きのいいうちにご紹介。5分で世界のオペラ界が垣間見える、月1回更新の速報型ウェブ連載!
※煩雑になるので伝聞調を採っていませんが、基本的に実際に公演を観た人から得た情報を基に書いています。
早稲田大学法学部、および国立音楽大学声楽科卒。音楽関係の会社に勤務後、現在はフリーで活動中。オペラDVDの日本語字幕翻訳・制作、ノーツ執筆両方を手掛ける職人であり、また稀にNHK-FMのクラシック番組で案内役も務める。大のオペラ好きで、オペラと名のつくものは何でも聴くが、特にお気に入りはヘンデルとロッシーニ。イタリア、ペーザロで開催される「ロッシーニ・オペラ・フェスティバル」には十年来通い詰める常連である。オペラ公演は「自腹で聞くのが当然」の主義。和食の魚、ことに寿司と干物が好物。猫をこよなく愛する。
10月1日、イタリア中部マルケ州の都市、イェージでダニエラ・デッシーとファビオ・アルミリアートの演奏会が催された。イェージは人口4万人ほどの小さな都市だが、ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ(1710-36)の生地ということで、こじんまりしたペルゴレージ劇場がある。これはそのシーズン開幕公演で、かつ往年のプリマドンナ、レナータ・テバルディ没後5周年追悼公演。そのためオーケストラ伴奏の演奏会である。
日本でもおなじみのデッシーとアルミリアートの夫妻(事実婚)、調子が良かった上に、小さく歌いやすい劇場だったせいもあるだろうが、これでもか!というほどあれこれ歌いまくった。アルミリアートは、スポンティーニ《ラ・ヴェスターレ》のチンナのアリア、ヴェルディ《オテロ》の〈神様、あなたは私に〉、プッチーニ《トゥーランドット》の〈誰も寝てはならぬ〉、ジョルダーノ《アンドレア・シェニエ》の〈ある日、青空を眺め〉と、重めの曲が並んでいる。もちろんプリマドンナ、デッシーも名アリアを並べ、ヴェルディ《アイーダ》の〈勝って帰れ〉、《運命の力》の〈平安を、神よ!〉、プッチーニ《トスカ》の〈歌に生き〉、チレア《アドリアーナ・ルクヴルール》の〈私は想像の神の慎ましい僕〉と盛りだくさん。さらに二人で《オテロ》の第1幕の二重唱、《アンドレア・シェニエ》の幕切れの二重唱も歌った。もちろんアンコールもどっさりで、《椿姫》の乾杯の歌やナポレターナなどを披露、ついには用意していた曲をやり尽くしてしまったのだが、指揮者のマルコ・ボエーミがピアノを引っ張り出して、ピアノ伴奏でさらに数曲追加。観客が大喜びだったのは言うまでもない。デッシーとアルミリアートもすっかり御機嫌で、舞台上で何度もキスしあっていたという。
☆ペルゴレージ・スポンティーニ財団
世界経済不況が謳われる昨今、なぜか羽振りが良いのがスペインの歌劇場である。マドリッド王立劇場もバルセロナのリセウ歌劇場も充実した上演を行っているが、中でもバレンシアのソフィア王妃芸術館 Palau de les Arts Reina Sofiaは目立って豪華だ。ソフィア王妃の名を冠しているこの劇場は、2005年10月に開場したばかりの新しい劇場だが、ロリン・マゼールを芸術監督に迎え、2006年10月のベートーヴェン《フィデリオ》以来、大物指揮者とスター歌手をずらりと並べたオペラを立て続けに上演している。
2009/10シーズンは、10月31日にベルリオーズ《トロイアの人々》で開幕した。この上演はマリインスキー歌劇場およびポーランド国立歌劇場との共同制作で、指揮は当然ワレリー・ゲルギエフ。歌手は、エネーがステファン・グールド、カサンドルがエリザベーテ・マトス、ディドンがダニエラ・バルチェッローナなど、かなり充実したもの。グールドが不調だったようだが、総じて演奏は好評だった。演出は、スペインを代表する舞踊集団ラ・フラ・デルス・バウスと、その中心メンバーのカルルス・パドリッサ。あたかもSF映画のような未来的舞台は賛否が大きく分かれた。2回の休憩を入れて上演時間はほぼ5時間。 20時開演なので、終演は深夜1時を回っていたという。
☆ソフィア王妃芸術館
☆公演プログラムがPDFファイルで閲覧でき、そこに舞台写真が多数掲載されている。
10月23日、米国テキサス州ダラスに新築されたウィンズピア・オペラ・ハウス(正式名称は Margot and Bill Winspear Opera House)が、ダラス・オペラによるヴェルディ《オテロ》の上演でこけら落としとなった。この劇場は、AT&Tパフォーミング・アーツ・センター内の一施設。その名の通り、ウィンズピア夫妻からの莫大な寄付金で建築された。座席数およそ2000席という大劇場である。ガラス壁の外壁の中に、真っ赤な劇場が入っているような形で、外見はかなり斬新だが、内部は伝統的な馬蹄型劇場を模している。1957年創立のダラス・オペラがこの劇場を本拠にすることになり、初公演として《オテロ》を上演したのだ。クリフトン・フォービスのオテロ、これが米国デビューのアレクサンドラ・ディショーティーズ(Alexandra Deshorties 彼女はカナダ、モントリオール生まれのフランス、マルセイユ育ちなので、デゾルティエかもしれない)、そしてラード・アタネッリのヤーゴ。指揮は音楽監督のグレーム・ジェンキンス。年明けにはモーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》とドニゼッティ《ドン・パスクワーレ》が続き、そして4月にはジェイク・ヘギーの新作《モビー=ディック》(『モビー=ディック』とはメルヴィルの小説『白鯨』の原題)の世界初演が予定されている。
世界経済恐慌のあおりを受ける米国では、地方歌劇場の運営は非常に苦しく、コネチカット・オペラのように70年近い歴史のある歌劇場が破綻した例もある。そんな中、ダラス・オペラは恵まれているといえるだろう。ただ、本当の勝負はこれからかもしれない。
☆ウィンズピア・オペラ・ハウス
オペラマニアの間では今、ニュルンベルク歌劇場が注目を浴びている。このドイツの地方劇場が、かなり意欲的なプログラムを組んでいるからだ。10月31日には、ドニゼッティの《ドン・セバスティアン》が上演された。2009年5月2日が初日で、7月まで上演された後、さらにこの10月から2010年7月まで断続的に再演されるという。
《ドン・セバスティアン》はドニゼッティの生前に初演された最後のオペラで、パリのグランドオペラの様式によるフランス語の5幕の大作である。ここ10年ほどで数回上演されているが、大半は演奏会形式上演かイタリア語版(ドニゼッティ自身が1845年にウィーンでイタリア語版を上演している)で、オリジナルのフランス語での舞台上演は、1998年のベルガモとボローニャの共同制作くらいだった。今回の上演がドイツにおけるフランス語版の初演とのこと。
今シーズンのニュルンベルク歌劇場では、他にもベッリーニ《清教徒》、ロッシーニ《モーゼとファラオ》(これもオリジナルのフランス語)などが予定されている。中でも驚くべきは、来年上演されるドニゼッティの《リヴァプールのエミーリア》だ(初日は3月27 日)。1824年にナポリで初演された作品で、音楽を地の台詞で繋いだ形式。20世紀以降、舞台となった英国リヴァプールで舞台上演されたことがある(1957年と2008年)とはいうものの、まず滅多に観ることのできない非常に希少なオペラだ。
ちなみに、ニュルンベルクでは、ヴェルディ《アイーダ》やワーグナー《タンホイザー》などメジャーなオペラもちゃんと上演されている。
☆ニュルンベルク歌劇場
10月24日、ベルリン国立歌劇場でプラシド・ドミンゴがヴェルディ《シモン・ボッカネグラ》に出演した。テノール役であるガブリエーレ・アドルノではなく、タイトルロール、つまりバリトン役のシモン・ボッカネグラを歌ったのである。ドミンゴの公式サイトでスケジュールを見ると、この後、メトロポリタン歌劇場(2010年1-2月)、チューリヒ歌劇場(同年3月)、スカラ座(4,5月)、コヴェント・ガーデン王立歌劇場(6,7月)、マドリッド王立劇場(7月)と、各地でシモンを歌う予定だ。
上演の反応だが、ドミンゴのシモン役初挑戦というのが興味の対象とあっては、あまり厳しい評が出ないのは当然だろう。「本職」のバリトンほど低音が響かなかったという話が伝わっている。フェデリーコ・ティエッツィの演出は、スカラ座上演を睨んでのものだろうが、拍子抜けするほどまったくの伝統的舞台作りで、かえって賛否が分かれたそうだ。ちなみにこの公演はラジオ中継される予定だったが、ドミンゴの意向から直前になってキャンセルされた。
ところで、ドミンゴはテノール役であるガブリエーレ・アドルノは当然歌っているが、珍しいこのオペラの 1857年初演稿のアドルノ役も歌ったことがある(1997年、コヴェント・ガーデン)。今回の件も含め、それだけドミンゴは《シモン・ボッカネグラ》への入れ込みが強いのだろう。「シモンの次はフィエスコ」、「ひょっとしたらパオロかピエトロも」なんて冗談すら、ないとは言い切れない気がしてくる。
第8回・了