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万事快調
1992年に発表して以来、長らくDJでプレイしてきた曲です。イントロやエンディング、1番と2番の間のブリッジなどが長いのは当時のクラブ・ミュージックの編曲の影響で、今回は7インチに収まるサイズに編集しました。イギリスやヨーロッパでは1990年代、クラブ・ミュージック的な長尺の曲でも、かならず7インチ・エディットが出ていましたよね。あの無理やり感を感じ取っていただけましたら。
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キャッチー
この曲も当時のクラブ・ミュージックの影響下にある編曲で、本来は12インチ・シングルで聴くべき音楽ですが、今回は無理矢理7インチのサイズにしてみました。これもすこし無理がありますね。でも、たいへん気に入っていた曲なので、この機会に聴いていただけましたら。
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スウィート・ソウル・レヴュー
なぜ発売当時、7インチを作らなかったのか、とずっと後悔していた曲です。広島のDJ・三村くんはじめ、多くの方がこの曲をクラブでプレイするとき、みな米国マタドール盤LPを掛けていて、ああ、いつか7インチ化を、と考えておりました。
今回、スタジオであらためて聴き直してみたとき、野宮真貴さんのヴォーカルの素晴らしさに気づいて感動しました。ヴォーカルを録音した翌日、高浪慶太郎さんがそのOKテイクを激賞してくれたのですが、そのときじぶんははじめてのタイアップ・シングルを完成させることで頭がいっぱいで、その素晴らしさに耳が届いていなかったはずです。ですから今回、じぶんの中で「悪くない曲」から「かなり気に入っている曲」にランクアップしました。これこそ、シングル盤で聴くべき「チャート1位にはなれなかったけれど、レコードも持っているけれど、ラジオで掛かったら嬉しい」タイプの曲。
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マジック・カーペット・ライド
「スウィート・ソウル・レヴュー」のCDシングルのジャケット撮影の前日、1993年2月6日の土曜日に子供が生まれて、記憶違いでなければ、次の土曜日、1993年2月13日の夜、当時住んでいた祐天寺の駅前の角を曲がったところで降りてきたのがこの曲です。
これはライヴでもかならず終わり近くに歌っていた曲で、1995年の米国・ヨーロッパ公演旅行がスタートする直前にサンフランシスコのヘイト・アシュベリーの楽器屋で入手した、シャガールふうの絵がボディにペイントされたアコースティック・ギターを弾きながらいつも歌っていたので、なんとなく身体が憶えている歌。これも「好きな曲のB面に入っている、やっぱり好きな曲」というポジションに収まって、すこし嬉しいです。
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ロックンロール
小山田圭吾さんにプロデュースしていただいた『ボサ・ノヴァ2001』というアルバムの冒頭に収めた曲。クルマに乗っていたらカーラジオから流れてきそうな、短くて、耳ざわりが良くて、何も残らない曲。まさにそんな感じのこの曲を7インチ化したのは、まさに「短くて、耳ざわりが良くて」DJで使い易いから。耳ざわりが良くて、何も残らない、ということを音楽の、あるいはこのバンドの重要な要素と考えていた時期がありました。
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優しい木曜日
いまでもクラブでときどき思い出したようにプレイする、作者としては捨てがたい小品です。あるラジオのトーク番組で長らくテーマBGMのように使われていた、という話を聞いたことがあって、へえ、と思ったのですが、ある晩タクシーに乗ったら、たしかにこの曲が流れてきて、すこし嬉しかったことを憶えています。その後、そのラジオ番組のホストの方と大きな仕事をしましたが、その曲のことは何も仰らなかったので、彼が気に入って選んでくれたわけではなかったようで。こちらもこの曲の話はしませんでした。
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東京は夜の七時
これこそ7インチで欲しかった曲です。もっとも野宮真貴さんによる4ビートのライヴ・ヴァージョンや少林兄弟とレコーディングしたヴァージョンはすでに7インチ化されていて、よく使っていますし、いままでに最も多くクラブ・プレイしたのは野本かりあさんの歌ったヴァージョンでこれはいまだにレコードバッグの中に入れていますが、何年か前に渋谷や池袋の名画座で映画を観た帰り道、盛り場のどこかから聴こえてくるこの曲がひどくフレッシュに響いて、やはりオリジナル・ヴァージョンには強い説得力がある、と思いました。
とはいえ、だいぶバッサリと短くエディットしてしまいましたけれども。。こうしないと7インチのサイズに収まらないのです。ピチカート・ファイヴの楽曲はふつうの歌謡曲、あるいはポップスのABC構成、さらに3番まで、あるいは、いわゆる「2 ハーフ」2番とサビがもう1回という堅牢な、動かし難い構成なのに、編曲はクラブ・ミュージック的で、つまり短くエディットすることがムズカシイのです。
今回、編集やリミックスの作業をこの曲の編曲を担当した福富幸宏さんと行ったのですが、福富さんの記憶力が素晴らしくて驚きました。じぶんは忘れていることだらけ。この歌もまた野宮真貴さんのヴォーカルが完璧でちょっと感動しました。
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陽の当たる大通り
発表したときは「シングル・カットしたけれど、あまり評判にならなかった曲」という印象しかなかったのですが、1995年の北米・ヨーロッパ演奏旅行から戻ってきてすぐの日比谷野音でのライヴのときにゲスト出演していただいた新宿二丁目「マットビアンコ」のある方から「コレってアタシたちの歌よね」と言われて以来、さまざまな場所でいろいろな方々から「この曲がとても好き」「コニシさんの作った曲でいちばん好きかも」などと褒められて、じぶんでも悪くない曲だな、と考えるようになりました。そういうわけで、この曲も7インチにしたら使う機会も増えて喜んでもらえるかな、と思いまして。これもかなりバッサリと短くしていますが。
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悲しい歌
この曲はプロモ盤のアナログLPでとにかくよく掛けていて、とくに朝方近く、あるいはオールナイトのパーティーの最後にプレイすることが多く、酔っぱらいたちがみんなで声を限りにエンディングの「ラララララララらーらららららー」を合唱するというのが楽しくて、これもいつか7インチにしたい、と考えておりました。
またこの歌は演奏もミックスも素晴らしくて、とりわけエレクトリック・ベースのキタダマキさん、ピアノの島健さんのプレイは何度聴いても感動的です。じぶんの音楽にはギターは要らないのかも、と考えていた時期があって、この曲などはその典型。今回、あらためて聴いてみて、ああ、これもロックンロールだな、と納得できました。
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アイスクリーム・メルティン・メロウ
毎年、夏になるとかならずクラブでプレイしてしまう曲です。これも12インチ・シングルのイメージでサイズと編曲を決めたので、7インチのサイズにエディットするのはきわめてムズカシく、けっきょく33回転となりました。DJの方は現場でお間違えなきよう。この曲も個人的なお気に入りです。どうもこの楽曲解説、現場DJとしての視点と、曲の作者としての気持ち、そしてかつてのバンドのメンバーだった、という思い出モードが入り乱れてしまいますが、とはいえ、これが正直な気持ちですので。
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三月生まれ
「アイスクリーム・メルティン・メロウ」が夏なら、この曲はやはり3月の定番曲。いや、3月に限らず一年を通してプレイしやすい、たいへんに小バコ向けな7インチになっていると思います。この曲もべつにメッセージなどない、いわゆる軽音楽です。
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トウキョウ・モナムール
これもまた、あらためて新しいリスナーに届けたい、などという野心など皆無の、単にじぶんが7インチが欲しくて選んだ一曲です。このトラックもオリジナル・ヴァージョンはかなり長尺で、野宮真貴さんの夫・昼間徹史さんの朗読したフランス語のナレーションはバッサリとカット、コーダ部分の菊地成孔さんのサクソフォン・ソロはかなり短く編集しています。
ところで、この7インチのスリーヴはふだんレコードバッグに入れている『ロマンティーク96」の12インチ2枚組アナログ・プロモ盤の白いジャケットの上に、持っていたピチカート・ファイヴのステッカーを貼ったもの。このアルバムの発売当時に配布したプロモ盤は米国でプレスで、到着を急いでいたためにジャケットは白いスリーゔに日本で作ったステッカーを貼ってジャケットとしました。ステッカーはたしか4種類あって、好きなものを好きな場所に貼って使っていました。ある日、そこに引き出しの中で死蔵していたさまざまなステッカーを貼れるだけ貼って、デザインをカスタマイズしたのです。でも2枚組、音質はサイコーでしたが、レコードバッグの中でかさばるし、重いし、という理由で、これも7インチ化を切望。ようやく実現したら、今度は愛着あるこのカスタマイズ版ジャケットをぜひとも残したくなって、そのまま縮小してレプリカを作ったというわけです。手で貼っていたので水平がすこしズレていたり、経年の傷みなどはキレイにしてもらいましたが、それでもステッカーの外周や角の汚れ、折れ、などはすこし残っていて、それが嬉しいのは世界中でひとりだけかもしれません。
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エアプレイン
『フリーダムのピチカート・ファイヴ』というミニ・アルバムはバンド編成で一発録音を試みた作品で、どうしてこんなスタイルのレコーディングを選んだかというと、公私ともに多忙をきわめていたからでした。この「エアプレイン」は1994年のアルバムで発表した楽曲ですが、そちらはお金の掛かったデモ、こちらが完成形だと考えています。これこそ7インチで聴くべき音楽。ロックンロール!
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子供たちの子供たちの子供たちへ
この曲を作った日のことは憶えています。
作った、というよりできてしまった、降りてきた、というのがふさわしい歌。その後、前園直樹グループやピチカート・ワンのレパートリーとしてくりかえし演奏している、ソングライターとしての代表作、と考えている歌。
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イッツ・ア・ビューティフル・デイ
「天使のブラ」という商品のCMキャンペーンありきで作った曲。1993年に作った「我が名はグルーヴィー」という曲をずっと気に入っていて、シングルにしたかった、という思い、というか未練があって、この機会にと改作したのがコレで、リズム・ギターは「我が名はグルーヴィー」と同じく小山田圭吾さんに弾いていただきました。さらにBメロの部分にはピチカート・ファイヴ結成以前に高浪慶太郎さん、宮田繁男さんとデモテープを録っていた頃に作った曲のメロディを引っ張ってきて、いわばツギハギで作ったシングル。でも勢いがあってキャッチーで、野宮真貴さんの声にも合っていて有近真澄さんのコーラスも最高、そしてフジテレビの、かつて『ビートポップス』という音楽番組を生放送していた大きなスタジオで、リアルタイムにカメラをスウィッチングしてもらって作ったヴィデオクリップも大いに気に入っていて文句なしのお気に入り。なのに、なぜか当時は7インチを作らず、ずっと後悔していたのです。数年前にバニラビーンズがカヴァーしてくださったヴァージョンは7インチ化されていて、よく使っていましたが、今回はアルバム収録ヴァージョンとシングル・ヴァージョンを編集して、これぞマスター版というべきものを作りました。
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My Baby Portable Player Sound
今回の7インチ・ボックスに「ベイビー・ポータブル・ロック」を選ばなかったのは、かつて7インチでリリースしていたから。それならコチラを収録しようと思いついたのは、今回の編集作業も終了直前のこと。もうひとつのリミックス版、「メキシカン・ロック・ヴァージョン」も予約特典のボーナス・ディスクに収録したので、もう思い残すことはない、という気分。
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大都会交響楽
このシングル・ヴァージョンは、かつて「恋のルール・新しいルール」という曲とカップリングで7インチが作られていて、このボックス・セットにあえて選ぶ必要はまったくなかったのですが、アルバム・ヴァージョンの方はどうしても7インチを作りたくて、まっさきに選曲しました。けれども、そのカップリング曲を考えると、コレはやはりシングル・ヴァージョンしかないよな、と考えてしまったのです。アルバム・ヴァージョンの方をA面とするのも、なんとなくしっくり来ないので、やはりB面に置きました。どちらもたいへん気に入っている曲です。
両ヴァージョンともに、オーケストレイションは村山達哉さん。ピチカート・ファイヴの時代は、とてもお世話になりました。
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メッセージ・ソング
この「メッセージ・ソング」もかつて『ピチカート・ファイヴ・イン・ザ・バッグ』というアナログ・レコード・セットを出したときに7インチ・アナログ化されてはいるのですが、そのときは片面に2曲入り。やはり片面1曲、45回転の7インチがロックDJの心意気。なんちて。この歌も、後から好きだと言ってくださる方がたくさんいて、ありがたいことだと思いました。
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きみみたいにきれいな女の子
やはりサイズの長い曲だったので、7インチ・サイズにエディットするつもりでスタジオでプレイバックを聴いたところ、もうすこしいろいろなアンサンブルをクリアに聴かせたい、と考えて、けっきょくミックスをやり直しました。かつて、90年代以降のピチカート・ファイヴの作品はリマスターしたくない、などと偉そうに言っていた時期があって、じっさいそう思っていたのですが。ようやくアナログでプレイすることができて嬉しいです。
>なお、この「メッセージ・ソング」と「きみみたいにきれいな女の子」の7インチは、わざと表4(裏ジャケ)の画像の天地をひっくり返しています。じぶんはレコードバッグの中でレコードの出し入れする口の部分を右側にするクセがあって、たとえば「きみみたいにきれいな女の子」を使いたいときには裏ジャケを前にしてバッグに入れる、そのときにちゃんとレコードの出し入れ口が右側にくるように、と考えて、このようなデザインにさせていただきました。誰よりも「オレの使いやすさ」を優先した仕様。印刷ミスではありませんので、ご留意ください。
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ウィークエンド
1998年のアルバム『プレイボーイ・プレイガール』は、日本コロムビアの担当ディレクター・渡辺佳紀氏から、次回は歌モノにしてほしい、とのリクエストを受けてスタジオ入りした作品。ちょうどそのすこし前から、東京は渋谷のオルガンバーでDJを始めて、小バコのクラブで良い感じに響く曲、というのを夢中になって探していた時期で、クラブやレコードショップで受けた刺激をじぶんの音楽に封じ込めたい、と考えて作った曲のひとつがこの「ウィークエンド」でした。
これも12インチ、7インチとアナログ化されているのですが、やはり片面1曲、45回転の7インチがほしい、という煩悩に負けました。いまでもDJとして、お気に入りの曲です。
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テーブルにひとびんのワイン
やはり小バコのクラブで良い感じに響く音楽を追求していた時期の曲。その頃、毎週かならず行っていた渋谷のレコードショップで1曲だけ最高にカッコいい曲の入っているレコードを試聴させてもらったとき、このたった2分くらいの長さの曲だけのために3万5千円も出すのは、と迷っていたら、お店のスタッフのKくんが「コニシさん、この曲を聴いて1曲作れるなら安いものですよ」と言うのです。ああ、たしかにそうだな、となぜか納得して買い求め、その曲にインスパイアされて作ったのがこの曲です。こんなことを書いているのは、原曲?と比較しても遜色ない「オリジナル」なものができた、と自負しているからなのですが。ギターとヴォーカルは斎藤誠さん。ドラムスは当時のライヴのメンバーだった寺谷誠一さん。元アーバン・ダンス。
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また恋におちてしまった
ここ数年、ピチカート・ワンのライヴで取り上げて持ち歌にしているほど気に入っている曲ですが、初めてレコーディングしたときは、どうも楽曲と野宮真貴さんのヴォーカルの相性がよくないように感じられて、ずっと後悔していた曲です。今回、ふたたびミックスを施してみたのですが、やはり気に入った感じにならなくて。ところが、アナログのテストプレス盤に針をおとしてみたら、不思議なことになぜかしっくりするサウンドになっていて驚きました。こういうこともあるのですね。
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連載小説
1987年の『カップルズ』というアルバムのために最初に書いた曲。家でギターを引きながら、半年くらい掛けてすこしずつ作っては直しをくりかえして完成させたことを憶えています。その曲をなぜ再録音したか、というと、あるときとつぜん、Bメロからタンバリンが聴こえるアレンジが降りてきたから。タンバリンが鳴り出すと、そこからベースラインも動き出して、ああ、オルガンバーで掛けたい、という音が頭の中で聴こえてきたのです。それでリメイクをしてみた、というわけです。何箇所か歌詞も変えてみたのですが、それがよかったのか悪かったのか。とはいえ、心の中で自作曲のベスト・ファイヴを選んだら、かならず入るだろう、というほど好きな曲です。
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アメリカでは
2001年に発表したアルバム『さ・え・らジャポン』の中でカヴァーした東宝映画『君も出世ができる』の中の挿入曲。作詞は谷川俊太郎、作曲は黛敏郎、映画の中で歌っているのは雪村いづみさん。ということでご本人をお迎えして歌っていただくことにしました。デューク・エイセスの歌の部分のコーラス・アレンジは高浪慶太郎さんです。じぶんの中のクラブ・ミュージックはこの辺りで止まっています。
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現代人
なぜかできてしまった、というタイプの曲。意味などない、これがほんとうのナンセンス・ソング。
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愛餓を
はっぴいえんど『風街ろまん』のラストに収録されていた松本隆-大瀧詠一コンビによる名曲のカヴァーです。ちょうど来日中だったクレモンティーヌさんにヴォーカルをお願いしたところ快諾してくださいました。編曲は窪田晴男さん。なので、じぶんはまったく何もしていないのです。だから安心して聴けますね。
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12月24日
スクーターズのロニー・バリーこと星野節子さんをヴォーカルにお招きしたアルバム・ヴァージョン。日本のヴォーカリストでこれほどシュレルズやロイヤレッツやボベッツといったガール・グループの声を感じさせる方はいないのでは。楽曲がスカふうのアレンジですから、ミリー・スモールをイメージしてのオファーだったかもしれません。トロンボーン・ソロは東京スカパラダイスオーケストラの北原雅彦さん。ひじょうにたくさんのテイクをかさねていらっしゃいました。当時のアルバムでは曲の冒頭に、ふかわりょうさんのナレーション部分を設けていました。これも7インチ化を切望しておりました。
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めざめ
市ヶ谷にあるサウンド・ヴァレーというスタジオで「悲しい歌」という曲のリズム録りをした後、スタジオに残っていらしたベーシストのキタダマキさんと「めざめ」のデモを録音しました。そしてアルバム用のレコーディング。どちらも捨て難いので、両方を並べてみました。山上路夫-村井邦彦コンビの音楽への憧れを「歌にした」。という作品です。
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君が代
演奏時間のみじかい曲をならべてみました。この「君が代」は当初、このアナログの最後に入れるつもりでしたが、やはり内周だと良い音にならないのと、DJで使うときに曲のアタマを探すのに苦労するのではないか、という理由でB面のトップに置き換えました。でも、次の曲を前もって決めておかないと現場であわててしまうかもしれません。それ以前に33回転、ということを間違えないようにしないと。
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私のすべて
コレも7インチにしておくと、いつか現場で役に立つときがくるのではないか、と考えて選びました。夏木マリさんヴァージョンの「私のすべて」は映画『墓に唾をかけろ』のテーマにつなぐ、その次は『スエーデンの城』のテーマに、というルーティンのセットを一時期いつもやっていたので、こちらも何か閃くときがやってくる、と期待しています。
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不景気
エスカレーター・レコーズでデビュー?した「グランプリ」という女性デュオに歌ってもらったヴァージョンをこの7インチに収録しました。これもずっと気に入っていて、できることなら長く歌い継がれて欲しい、と作者として願ってやまない作品です。
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一月一日
野宮真貴さんと、現在はハナレグミの永積タカシさんのデュエット。レコーディングした当時はまだSUPER BUTTER DOG というバンドに在籍していたはずです。これも大晦日から元旦にかけてのカウントダウンのパーティーのときに使える? だいたいカウントダウンのDJセットではもっと「おめでたい」曲ばかりプレイしておりますが。
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グッバイ・ベイビイ・アンド・エイメン
1999年に作った曲。これもどうしてこんな曲を作ったのか、いまとなっては思い出せないのですが、大好きだった20世紀、というワン・フレーズは、きっと頭の片隅にあったのでしょう。これも演奏時間のひじょうに長い曲で、かなりエディットを施しましたが、けっきょく33回転で収録しました。
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サマータイム・サマータイム
2001年の1月の初めに解散することを決めて、そこから3月に企画アルバム『pizzicato five R.I.P』をリリースすることを決め、そこに「東京は夜の七時」の新しいリミックス(このブロークン・ビーツふうリミックスは気に入っています)と、この「サマータイム・サマータイム」のリメイク版をレコーディングしたのですから、このバンドは最期まで忙しかったですね。ところでこのリメイク版、オーケストラが鳴り出す間奏の部分、あえてテンポを走らせたのですが、ちょっとやり過ぎたかな、という後悔の念をずっと抱いていて、そこで今回はスタジオで念願叶って納得のいくテンポに戻すことができました。
2019年9月20日、明け方近くの渋谷オルガンバーのダンスフロアで、この7インチをプレイしてみたのですが、まさしくロックンロール、という音圧でほんとうに嬉しくなりました。その夜は早い時間になんと野宮真貴さんが予告も無しに遊びに来てくださって、「きみみたいにきれいな女の子」「テーブルにひとびんのワイン」「陽の当たる大通り」「万事快調」「東京は夜の七時」「三月生まれ」「悲しい歌」「スウィート・ソウル・レヴュー」といったレパートリーを、このアナログ・7インチ・ボックスのテストプレス盤を伴奏にして歌ってくれました。大好きな渋谷オルガンバーのサウンド・システムで(調子が悪い日もあるけれど、調子が良いときはホントにサイコー)鳴らしてみた7インチは嬉しくなってしまうような音圧・音質で、次々とカットインで曲を出していたら、まるで楽曲にあたらしい命が吹き込まれたような、そんな錯覚さえ抱きました。ブースの前にいたDJ・林大介さんは「2セット、予約しました」と言ってくれましたが、A面B面を続けて掛けたい、と考えたら、たしかに2セット買い、もアリですね。なんていかにも調子のいいセールス・トークでこの楽曲解説を締め括りたいと思います。