CD20枚組・解説本付き・化粧箱入り《全39席》+予約特典1席!
収録内容
  • DISC-1
    文七元結(上) [31'54"] ('94/11/30)
    文七元結(下) [46'25"] ('94/11/30)
  • DISC-2
    あくび指南 [10'39"] ('94/11/30)
    柳田格之進 [53'41"] ('93/9/22)
  • DISC-3
    宗珉の滝 [53'06"] ('95/9/20)
    火焔太鼓 [26'05"] ('95/9/20)
  • DISC-4
    唐茄子屋政談 [52'46"] ('86/9/11)
    野ざらし [25'16"] ('99/9/3)
  • DISC-5
    三年目 [42'58"] ('90/9/12)
    大工調べ [34'17"] ('87/11/5)
  • DISC-6
    宿屋の富 [28'08"] ('96/10/8)
    付き馬 [51'13"] ('90/9/12) 桃月庵白酒によるCD試聴記
  • DISC-7
    四段目 [34'14"] ('00/10/5)
    今戸の狐 [42'17"] ('88/9/26)
  • DISC-8
    坊主の遊び [30'10"] ('91/11/11)
    抜け雀 [45'49"] ('99/9/3) 古今亭志ん橋によるCD試聴記
  • DISC-9
    干物箱 [32'14"] ('93/9/22)
    芝浜 [45'32"] ('91/11/11)
  • DISC-10
    もう半分 [42'57"] ('96/10/8)
    幾代餅 [33'40"] ('89/7/14)
  • DISC-11
    碁泥 [34'43"] ('78/11/15)
    寝床 [43'45"] ('84/11/16) 古今亭志ん陽によるCD試聴記
  • DISC-12
    三枚起請 [39'50"] ('84/11/16)
    鰻の幇間 [37'57"] ('85/7/19)
  • DISC-13
    そば清 [42'50"] ('92/9/17)
    船徳 [36'15"] ('98/7/29) 佐藤友美によるCD試聴記
  • DISC-14
    井戸の茶碗 [34'33"] ('87/11/5)
    子は鎹 [43'35"] ('98/7/29) 長井好弘によるCD試聴記
  • DISC-15
    厩火事 [38'31"] ('88/9/26)
    黄金餅 [38'11"] ('92/9/17) 高田文夫によるCD試聴記
  • DISC-16
    大山詣り [39'40"] ('89/7/14)
    妾馬 [38'37"] ('83/11/4)
  • DISC-17
    品川心中 [38'32"] ('83/11/4)
    化け物使い [40'32"] ('85/7/19)
  • DISC-18
    こんにゃく問答 [38'54"] ('97/7/29)
    明烏 [37'44"] ('82/1/14) 日高美恵によるCD試聴記
  • DISC-19
    高田馬場 [37'18"] ('81/4/23)
    お見立て [38'48"] ('82/4/15)
  • DISC-20
    二番煎じ [42'22"] ('82/1/14)
    お若伊之助 [36'59"] ('82/4/15)
古今亭志ん朝
インフォメーション

特典情報

  • allowご予約頂いた方に特典を差し上げます!
    『古今亭志ん朝 県民ホール寄席』をご予約して頂いた方に、貴重な未発表音源が入った特典CD「お化け長屋 [43'08"]  ('97/7/29)」をプレゼント! お近くのCDショップ、またはネットショップなどでご予約ください。
CD試聴記

「黄金餅」

  • 高田文夫  志ん生のこの噺を聞いて育った私は大学に入り達者な田島クン(のちの右朝)の「黄金餅」を森田芳光と共にいつもきかされた。社会に出るとトントンと進む調子のいい“道中付け”をきかせてくれる志ん朝とおどろおどろしい談志のこの噺をきき、業の肯定とは何たるか―――――――などと考えもしなかった。一年後輩の森田は監督として「の・ようなもの」でデビューし、志ん魚(とと)(伊藤克信名演)の日本一下手くそな“道中付け”で衝撃を与えてくれた。今でもこのシーンでは涙する。思えば志ん朝も談志も右朝も森田も居ない。私はもう餅屋でも始めるしか手はないようだ。

    高田文夫(放送作家)


「抜け雀」

  • 古今亭志ん橋  あたしが二ツ目に成り立てで、初めて大根多を教わった噺が、この「抜け雀」でした。
    長い噺で大変だなと思いながら稽古をお願いしたところ「あゝいいよ」とこころよく引き受けて頂き、差し向かいで一席噺して頂きました。さあこれから細かく何度か噺してくれるのかな、と思っていたら、師匠が「おしまい」と云って、立ち上がってしまいました。あたしは思わず袂を掴み、「お待ち下さい」師「何だよ」「これでおしまいですか?」師「当たり前だよ。まだ続きでもあるのか?」「いえそうではなく解りません」師「どこが解らないんだよ」「全部です。一度では覚えられる訳がありません」と申しますと、師「馬鹿だねお前は、何の為に俺の弟子になっているんだ、普段俺の噺をよく聴いて頭に入れてから稽古を頼むんだろ、それでなきゃ覚えられる訳も出来る訳もないよ!」と、芸の姿勢について教えて頂いたことを、このCDを聴いてまざまざと思い出しました。

    古今亭志ん橋


「付き馬」

  • 桃月案白酒  実は私、素人の頃は自分の師匠の雲助も好きで追いかけましたけど志ん朝師も結構観に行ってるんですよ。しかもまさにこのCDに収録されている「付き馬」の県民ホール寄席を観に行った記憶がありますね。私が廓噺好きだっていうのもあるんですけど、やはりこの噺の志ん朝師のあのひとり語りの場面ね、だんだん不機嫌になっていくあの相手の存在が見えるんですよ。まあいわば人をだましちゃう噺なんで下手をするとちょっと嫌な噺になりかねないのに、志ん朝師のあの語り口でしゃべられると、こいつに付いて行っちゃおうかなって思ってしまう。そんな感じが好きだったし、いいなと思ってました。特に説明などの所謂ダレ場と呼ばれるところを、ブレスといいましょうか一拍置くところをズラすことで、そう感じさせない語りは、とても勉強になりましたね。もっとも噺家になってから気付いたことですが。
     あと志ん朝師にお声をかけていただいたことで思い出すのは二つ目の頃ですかね。先代馬生師匠のネタ、たとえば「あくび指南」なんかをやっていると「ああ兄貴の形だね。こうやって残してくれるといいんだよ」なんて言ってくださいましたね。私の「あくび指南」は雲助に稽古してもらっているので当然大師匠の先代馬生の形で、くすぐりのところが違うんですよね。
     ええつまり詳しくは僕のCDも聴いてくださいね。(笑)

    桃月庵白酒


「寝床」

  • 古今亭志ん陽  私が初めて生の落語を聞いたのは18年前。会場は忘れましたが、志ん朝独演会でした。そしていまでも印象に残っているのがその時に聞いた「寝床」。会場内の一体感と爆発的な笑い声。「この人のようになりたい!」私が噺家を志すきっかけになった噺です。
     今回の音源は正確に言うと「素人義太夫」という噺。「寝床」の一番盛り上がった所で落とすスッキリした演り方をしています。その代わりと言ってはなんですが、マクラのカラオケ論は師匠の本音が出ていて必聴です。

    古今亭志ん陽


「子は鎹」

  • 長井好弘  1979年6月、学生生活最後の思い出にと東京・三百人劇場の「志ん朝の会」に行った。翌年秋、一緒に「子は鎹」を観た彼女から、北関東で警察担当記者になった僕の元へ「結婚します」という手紙が届いた。2001年1月17日、これが新宿で観る最後の志ん朝になるとも知らず、一人でトリの「子は鎹」を観た。そして2016年秋、もう出尽くしたと思っていた志ん朝の音源に、また巡り合えた。志ん朝の「子は鎹」は、いつ聴いても泣けてしまう。懐かしく、うれしく、そして、ちょっと困った落語である。

    長井好弘(読売新聞企画委員)


「船徳」

  • 佐藤友美  目に焼き付いている志ん朝の姿があって、その像を壊したくなかった。亡くなってから、CDやDVDで志ん朝を見たり聞いたりすることがずっと怖かった。
     生で何度も聴いた志ん朝の『船徳』、最高の記憶をがっかりさせたくなくて、おそるおそるCDに耳を傾けると、いきなり目の前に志ん朝が立ち現れた。若旦那が汗だくで櫓にしがみつく後半を面白おかしく重点的に描くことが多い噺だが、志ん朝のは前半の船頭たちと親方&おかみさんとのやり取りがイキイキとして実に楽しい。思うように進まぬ噺の中の舟と違い、噺は流れるように進む。何て美しいテンポと口調だろう。このままいつまでも聴いていたい。
     大好きな志ん朝に、再び会えたような心持ちになり、大笑いしながら嬉しくて泣きそうになった。

    佐藤友美(「東京かわら版」編集長)


「明烏」

  • 日高美恵  東京の落語家の方が上方でなかなか受け入れらなかった時代に落語会や襲名披露公演に多く招かれ、お客さんにも、上方の落語家にもとても愛されていたのが古今亭志ん朝師匠でした。大阪・ミナミのトリイホールで毎年開く独演会の楽屋は師匠を慕う落語家であふれ返っていたと語り継がれています。トリイホールでは亡くなられてから昨年まで、ご命日の10月1日に東京から縁の方を招いて、偲ぶ会が続けられていました。大阪に生まれ育ち、普段は上方落語にどっぷり浸っている私ですが、志ん朝師匠のことが大好きで、よくCDを聴いています。このBOXには上方では演じられない噺が多く収められていて、うっとりするような志ん朝師匠の江戸落語の世界が広がっています。テンポのいい洗練された語り口で繰り広げられる江戸前の粋な芸は、何度聞いても驚くほど新鮮で、まるで魔法のようです。滑稽噺も人情噺もどれをとっても名演で選ぶのは至難の業ですが、39席の中から「明烏」を挙げさせていただきます。うぶな若旦那や遊び人の源兵衛、多助ら個性的な登場人物が生き生きと描かれ、色街・吉原の情景が鮮やかに浮かび上がる珠玉の一席です。志ん朝師匠がトリイホールで最後に演じた噺でもあります。

    日高美恵(演芸ライター、上方落語情報フリーペーパー『よせぴっ』編集長)


連載コラム
志ん朝と「県民ホール寄席」―“ここだけの”席亭コラム―

ごらく茶屋・濵永廣生(県民ホール寄席・席亭)

第一回:20年続けて独演会を...

  •  当時、私は”横浜労音”(横浜勤労者音楽協議会)というところにいまして、そちらは基本的には音楽鑑賞会をやっていた団体だったんです。中で1965年くらいから年一回ほどのペースで「労音寄席」が企画されていたのですが、落語をもっとやって欲しいとの声がありましてね。ただ寄席形式だともう一つお客様の入りが思わしくない時もあって、これは独演会形式の方が良いのではないかと考えたんです。そこで当時人気のありました師匠方にお願いして70年代半ばくらいからいろいろな方の独演会を開始し、志ん朝師匠には1975年の「古今亭志ん朝独演会」からスタートして76、77、78年と計4回開催しました。
     その後団体名が“ハマ音”(横浜音楽鑑賞協会)と変わり開始しましたのが「県民ホール寄席」です。もちろん志ん朝師匠にも引き続きその会への出演をお願いしまして、その志ん朝師匠出演の一回目(81年)に今回のボックスにも入っています「高田馬場」ともう一席が「試し酒」だったんですが、この「試し酒」のサゲのところでお間違いになったんですよ。それですぐに楽屋にうかがうと「敵(かたき)をとるからね」っておっしゃって、それから毎年この「県民ホール寄席」を気にかけて下さり、年一回のペースで出演していただくことになりました。このCDのマクラの中でも、年一回はこの横浜に来ないと気がすまないというような意味合いのことをおしゃべり下さってます。
     「県民ホール寄席」が伝統的な会と言われるようになったのも、志ん朝師匠が毎年出演していただいたことが大きな一つのキーとなっていると思っています。
     まあそれから2000年までの20年にもわたって独演会を続けていただいて、毎年楽しみでした。ただ客席で聞けないのが辛くてね。そりゃあ主催者なんだから当たり前と言えば当たり前なんですけど。それと私たちスタッフの打ち上げなんかにお声をかけても基本的にはお出にならない方でしたけど、後年の2~3回くらいでしたか、「今日は行きましょう」なんて付き合って下さって、これは本当に嬉しかったですね。(談)

第二回:マクラが面白い師匠

  •  「県民ホール寄席」と呼称してますが、基本的には毎回独演会形式なんですね。なので時間があるので、ゲストの色物さんを入れてもたっぷり2席は聴いていただけるんです。そういうわけでこちらでの志ん朝師匠はかなりマクラにも時間をかけて下さったという印象がありました。
     おそらく普段はなかなかおっしゃらないであろう若い頃の女性の好みですとか聞くと嬉しくなっちゃいますね。「三年目」でちらっとお話されていますけど、きりっとした顔だちの方が好きだったんだそうです。外国の女優で言えばフェイ・ダナウェイとかラナ・ターナーとか、日本の方ですと実は淡路恵子さんが大好きだったんだそうです。だからNHKの「若い季節」で共演できた時には大喜びで仕事していたなんて、師匠のかわいらしさがうかがえてこの時のマクラは大好きです。これはCDを聴いていただければさらにたっぷりそのあたりのお話が楽しめますよ。
     それからやっぱり前座時代の思い出なんかも楽しいですね。「そば清」のマクラでは意外にも師匠ご自身の大食い自慢の話なんかがありました。故橘家文蔵師匠と二人で前座をやっていたころ、横浜に相鉄演芸場というのがあった時代に東京から少し早めに来て、その演芸場の近所にある店をまわってカレーを食べて、ラーメンを食べて、とんかつを食べて、その後にうどんをというんで私が負けたんだ、なんてこととか、お弟子さんたちの大食いエピソードなんかも含めておしゃべりされてます。
     あとは「お化け長屋」(特典盤)では「四つごろに出る幽霊は前座なり」なんて川柳を説明しながら昔の寄席のことをちらりとお話されてて、そんなことも楽しい思い出です。
     とにかくえっ?と思えるようなマクラでも、そのすべてが本編へときれいに流れるようにつながっていて面白いんですから、これ以上の方はなかなかいらっしゃいませんね。(談)

第三回:楽屋ばなし・ウラ話

  •  志ん朝師匠はお弟子さんには優しい師匠だったという印象があります。会の初期の頃の前座さんは志ん太さん(現古今亭志ん橋師匠)、次が志ん上さん(現桂ひな太郎師匠)、それから朝松さん(現古今亭志ん陽師匠)それぞれが必ずお付きで来ていましたが、あまりあれこれおっしゃっているところを見たことがありませんね。でも一度だけおやおや?ということがありました。今の志ん橋師匠が前座だったころに楽屋でタバコを吸っていたんですよ。一般の方はご存じないかもしれませんが、落語家さんの世界では前座の時は酒もタバコもやってはいけないということが不文律なんだそうですね。もちろん師匠と一緒の楽屋で吸うなんてのはとんでもないことですよ。その日の志ん朝師匠は軽くお昼寝をされていたんで、その寝ている師匠の横で志ん太さんが一服したんです。ところが師匠は途中で目が覚めちゃって、でも今起きると小言を言わなければいけなくなるからと、しばらく寝たふりをしていたんだそうです。それを知らずに二本目のタバコに火をつけようとしたんで、さすがに起きて「こらこら」となったんですが、でも大して怒られたというわけでもなかった感じでした。(笑)
     話は変わりますが志ん朝師匠は車がお好きでね、ご自分で運転してくることも多いんですよ。ある日の会では道路が大渋滞していたらしく、なかなか楽屋に到着しないんです。そうしたら開演時間の6時半少し前にホールに電話がかかってきて、「今まだ途中だから、誰か楽屋入りしている人がいませんか?」っておっしゃるんで「色物さんがいらっしゃいます」ってお伝えしたら「じゃあ、悪いけど僕が着くまで延々とやっててくれって」というわけで、普通色物さんはそんなに早く楽屋入りしないんですけど、その日たまたま曲独楽のやなぎ女楽師匠が早く入っていらしたんです。で、女楽師匠にそのことをお願いしますと「ああ、うん、いいよ、たっぷりやるから」って(笑)。志ん朝師匠も「良かったー、女楽さんが入ってて良かったー」ってとても感謝されてましたね。その時のことは「柳田格之進」のマクラでおしゃべりされてます。(談)


    濵永廣生(はまながひろお) プロフィール
    1943年 中国にて生まれ、ほどなく帰国、山口県下関市にて過ごし、県立下関高校を卒業、東京電力勤務を経て1969年*横浜労音(**ハマ音)入社。以来落語関係のイベントに携わり、「県民ホール寄席」開始に尽力。2004年ハマ音解散に伴い「(有)ごらく茶屋」を設立。

    略称補足:*横浜勤労者音楽協議会 **横浜音楽鑑賞協会