美空ひばりと福島県いわき市との深いゆかりは、1987年に発表された復帰第一作「みだれ髪」から始まりました。
1987年4月22日、美空ひばりは両側大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎により緊急入院。療養生活の中で「みだれ髪」の企画が立ち上がると、ひばりは作曲家・船村徹に「決して手加減はしないでください」と伝えました。こうして「みだれ髪」には、ひばりの生涯における最高音が取り入れられました。
作詩家・星野哲郎は、夕暮れの塩屋埼灯台に孤高の女王・美空ひばりの姿を重ね、「みだれ髪」を書き上げました。
同年8月3日に退院したひばりは、10月19日、コロムビアレコード第一スタジオで「みだれ髪」と「塩屋崎」をレコーディング。12月10日、復帰第一作「みだれ髪/塩屋崎」として発売され、大ヒットとなりました。
発売に際して、ひばりはいわきを訪れる予定でしたが、体調により訪問を断念。その際、当時のいわき市長・中田武雄氏へ、訪問できないことを詫びる手紙を送りました。
翌1988年4月11日、東京ドームこけら落とし公演「不死鳥コンサート」で「みだれ髪」「塩屋崎」を歌唱。いわきからも多くの人々がバスで応援に駆けつけました。同年10月には「みだれ髪」の歌碑が建立され、その後、遺影碑や「ひばり街道」などが整備され、美空ひばりといわきのゆかりは大切に受け継がれてきました。
2011年3月11日の東日本大震災では、いわき市薄磯地区が津波による甚大な被害を受け、115名の尊い命が失われました。
その後、2024年10月17日には、美空ひばり銅像「永遠に煌く」が京都から「雲雀乃苑」へ移設されました。胸の前で手を組み、鎮魂を祈るかのように佇むその姿こそ、この地にあるべきものとの思いから、全国の美空ひばりファンのご厚志により移設が実現しました。
そして2026年、約39年の時を経て、美空ひばりが中田武雄氏へ送った手紙が、いわき市庁舎から地元有志の手により発見されました。
「美空ひばりといわきの絆を伝える大切なものとして、後世に残したい」という地元有志の思いに、ひばりプロダクションも賛同。地元いわきをはじめ、全国の美空ひばりファン、石井ふく子から寄せられたご厚志により、その手紙の複製が「雲雀乃苑」に展示・公開されることとなりました。
約40年にわたり受け継がれてきた、美空ひばりといわきの絆。
塩屋埼灯台と「みだれ髪」、祈りを込めて佇む銅像、そして一通の手紙が、その物語を今に伝えています。
この地を舞台にした二つの歌
「みだれ髪」
作詩・星野哲郎 作曲・船村徹
塩屋埼灯台に美空ひばりの姿を重ねて生まれた作品です。
「塩屋崎(しおやみさき)」
作詩・星野哲郎 作曲・船村徹
この土地と、ここに暮らす人々への思いを歌った一曲です。
美空ひばり 公式YouTubeチャンネルにて、「不死鳥コンサート」より「みだれ髪」と「塩屋崎(しおやみさき)」のライブ映像を公開!
★美空ひばり 公式YouTubeチャンネルは
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