時代は今、大人のラブソンング〈熟恋歌〉を必要としている。
石井聖子の“歌謡バラード”の出番である。
数多いラブソングの中で特に成熟した大人同士の濃密な愛を描いたラブソングを〈熟恋歌〉と私は呼んでいる。
熟恋歌は大人のリアルな愛を歌うのが特徴だ。若い恋愛が願望とするならば大人の愛はジェラシー。どんなに愛し合っても、私はあなたになれないし、あなたは私にはなれない。だから愛すればジェラシーを感じてしまうのだ。
そんなジェラシーを埋めるためには、哀しいくらいひたむきに愛を紡ぐしかない。離れたくないから時を越えて悲しみまでも共有してしまうのだ。そんな大人の愛を表現している素晴らしいラブソングが石井聖子の「この…駅で」「恋はまぼろし〜Te amo〜」である。
一度動き始めた官能は理性では止められない。止められないからこそ大人の愛は怖いのだ。「この…駅で」で石井聖子は「あなたでなくちゃ 愛せない 他人の人には 飛び込めない」と歌う。ここに理性はない。理性がないからこそ本能におもむくままの貪欲さがリアリティーをかもし出しているのだ。
このリアリティーに衝撃を受け、私たちは瞬時にしてハートを鷲づかみにされてしまうのだ。同様に「恋はまぼろし〜Te amo〜」で彼女は「恋はするものではなく 恋は恋は 落ちるもの。」と歌う。理性で止められるなら大人の愛とは言えない。理性ではどうにもならないからこそ、愛はまさに不条理なのである。
「落ちていく」としか言えない理性を超えた愛の世界。幾多の恋愛を経験して大人の愛を実践してきた者にしか描けないし、表現できない成熟した大人の情熱的で官能的なラブソング。石井聖子の「恋はまぼろし〜Te amo〜」はまさに究極の〈熟恋歌〉である。
時代は今、大人のラブソング〈熟恋歌〉を必要としている。
石井聖子の〈歌謡バラード〉の出番である。
富澤一誠