1.左甚五郎(ひだりじんごろう)シリーズより
「竹の水仙」(たけのすいせん)
口演:初代 京山幸枝若
曲師:藤信初子、小池菊江
2.左甚五郎(ひだりじんごろう)シリーズより
「千人坊主」(せんにんぼうず)(実況盤)>
口演:初代 京山幸枝若
曲師:藤信初子、小池菊江
3.左甚五郎(ひだりじんごろう)シリーズより
「掛川の宿」(かけがわのしゅく)
口演:初代 京山幸枝若
曲師:藤信初子、小池菊江
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初代 京山幸枝若(きょうやま こうしわか)
若き日から浪曲師の父親の厳しい稽古に耐え、浪曲京山門下に入門。浪曲は勿論、歌謡曲はじめ河内音頭など持ち前の美声で会場を魅了。「左甚五郎シリーズ」は落語・滑稽もので、巧みな話術に爆笑を誘う。最近の浪曲舞台は曲師(三味線伴奏)を舞台に出して見せるが、この頃は下手の幕の中、まして幸枝若師は2人の2挺三味線の伴奏で珍しかった。伴奏パワーが出るからだともいった。持ちネタのなかでも十八番看板の名調子「左甚五郎」を三題。〈お時間まで〉
浪曲…
祭などで寺社に祈願を読み上げる祭文をまねて、錫杖ほら貝などを手にし、門付けを行い歌祭文と説教浄瑠璃などを取り入れながら、でろれん祭文、ちょんがれ節、浮かれ節から小屋掛けにて三味線と結びつき「浪花節」とよばれた。浪花亭駒吉などによって寄席に進出、初めて浪花節から浪曲へ変わったのは大正5年のこと。三味線弾きも曲師となる。節は関東節・関西節・中京節があり、明治40年<武士道鼓吹>の初代桃中軒雲衛門は本郷座に出、明治45年に歌舞伎座の劇場出演までできるようになった。関西には二代目吉田奈良丸(大和丞)、初代京山小円、京山若丸が出て明治末から大正を大いに飾った第一次黄金時代を迎えた。
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